ろーかる 特報フロンティア▽私は戦場に行かない〜命がけで“非戦”つらぬいた青年 2015.10.26


・危ない危ない危ない危ない!・危ない…。
・危ない。
先週大混乱のうちに成立した安全保障関連法。
平和をどう守っていくのかという問いが私たちに突きつけられました。
憲法守れ!憲法守れ!デモには多くの若者たちが参加し自らの考えを声高に叫びました。
・憲法守れ!憲法守れ!かつて熊本にたった一人で戦争反対の声を上げた若者がいました。
日本が戦争に突き進む中兵役を拒否。
一切の戦争協力を拒み続けました。
(砲撃音)国に言論が厳しく規制されていた時代。
北御門さんが残した日記などの膨大な資料には命を懸けて貫き通そうとした信念がつづられていました。
危険思想を取り締まる…逮捕覚悟で戦争反対を訴えました。
生涯執筆や講演を通じて平和を伝え続けた北御門さん。
その考えは多くの文化人や学者に影響を与えました。
戦後70年。
時代にあらがった一人の青年の姿を見つめます。
熊本県南部の湯前町。
大正2年北御門さんはこの町で地主の次男として生まれました。
(チャイム)
(取材者)おはようございます。
おはようございます。
北御門さんが少年時代を過ごした家には現在甥の浩さんが暮らしています。
ほんとかうそか分かりませんけどね…少年時代北御門さんは軍国教育を受けて育ちました。
学校の軍事教練では喜々として敵に銃を向けていたといいます。
しかし17歳の時ある作家と出会い考えが変わります。
ロシアの文豪トルストイ。
「力や金に溺れる者は滅び非暴力無欲こそが真の幸せにつながる」と説きました。
北御門さんはトルストイの作品にのめり込んでいきました。
23歳の時ロシア語を学ぶため満州現在の中国東北部に渡りました。
当時満州は日本が実効支配していました。
そこで北御門さんは大きな衝撃を受ける事になります。
その時の事について書かれた資料が北御門さんが後に移り住んだ水上村の家に残されていました。
(すすぐ)11…1112だ。
30冊に及ぶ日記。
満州で日本の軍人の家に招かれた時の記述です。
「私は昨日山田夫人の部屋でアルバムを見せてもらった。
その中には日本の兵士が衆人環視の中で支那の若者の首を藁切りではさみ切って居る写真があった」。
「吐氣が襲いめまいが私をとらえた」。
(銃撃音)
(砲撃音)日本は全面戦争へと突入します。
翌年25歳の北御門さんのもとへ徴兵検査の知らせが届きました。
北御門さんは検査会場に行きませんでした。
命を失う覚悟でした。
翌日になって北御門さんは検査場に現れました。
徴兵官に堂々と兵役拒否を伝えるつもりでした。
しかし告げられたのは意外なひと言でした。
「心に病あり」として徴兵を免除されたのです。
免除を言い渡された瞬間北御門さんは何も言えませんでした。
命懸けの覚悟が鈍ったのです。
「安堵失望屈辱…引き下がって徴兵官の眞正面に座った時言い知れぬ涙が胸許からこみ上げ両眼から溢れた」。
(取材者)こんにちは。
(ぶな)はい。
生前の北御門さんと20年にわたって交流を重ねた…北御門さんの生涯を描いた著作があるぶなさん。
徴兵を拒否した時の事を尋ねると北御門さんは決まって黙り込んでしまったといいます。
徴兵免除を言い渡された2日後の日記です。
「私の義務は残って居る筈だ。
私が生を終ふる最後の日まで一切の暴力や欺瞞と闘ふ」。
当時国家に逆らって反戦を訴える事は現代に生きる我々にとって想像もできないほどの覚悟が必要だった事でしょう。
北御門さんが兵役拒否した3年後の昭和16年日本は太平洋戦争へと突き進んでいきます。
北御門さんは「非国民」と非難され村の中で孤立。
ついには危険思想の持ち主として警察の監視を受ける事になります。
北御門さんのもとを1人の男が訪ねてきました。
やって来たのは…危険思想の持ち主を監視し逮捕投獄する任務を帯びていました。
「戦争反対を口にすれば逮捕されるかもしれない」。
しかし北御門さんは意を決して松永刑事を招き入れました。
逮捕覚悟で思いの丈を語った青年に対し刑事が口を開きました。
作家のぶな葉一さんは北御門さんから松永刑事と出会った時の事を詳細に聞いていました。
松永刑事は2年にわたって監視を続けます。
しかし北御門さんを逮捕する事は最後までありませんでした。
松永刑事は12年前に他界。
今は熊本市南区の墓地に眠っています。
父親の睦さんは国を守る使命に忠実な真面目な警察官だったといいます。
「国体」って分かんないでしょ。
国家体制…。
「父はなぜ北御門さんを逮捕しなかったのか」。
保孝さんは疑問に思っていました。
意気投合したようなところがありますね。
今回保孝さんは北御門さんの日記を初めて読みました。
そこには懸命に国に仕えてきた父親が新たな考えに触れ変わっていく様子が記されていました。
2人が出会って1年後の日記です。
「松永さんが訪ねてきた。
心安く打ち解けて談笑した」。
「帰りに松永さんが私の本を借りていった。
没収しないで下さいと言ったら大丈夫ですよ。
何も警察官として来たのではなく個人として遊びに上がったのだからと笑って言った」。
「私が警察官と友達になるなんて変なことになったものである」。
更に1年後。
「松永さんがきて新内閣の顔触れを教えてくれた。
相変らず軍部財閥政党官僚の雑炊ー顔触れは気に入りましたかと松永さんに問われてあまりうれしい顔触れでもありませんと答えた」。
あれ〜…。
…というようなとこじゃないですかね。
今回発見された資料の中から松永刑事が北御門さんに送った手紙が見つかりました。
「昭和19年当時の課長から逮捕するよう指令を受けましたが私は北御門氏は何も運動する人ではないのでそれはできないと断然はねつけておりました」。
「今でも自分の判断が正しかったと心の中で楽しんでおります」。
戦況は日に日に厳しくなり日本は追い詰められていきます。
学童もその親も勤労奉仕に一つとなって二百町歩開墾への水田事業…
国民は皆戦争に協力するよう強いられました。
北御門さんも軍事施設を造る勤労奉仕を命じられます。
北御門さんは勤労奉仕の拒否を直談判するため水上村の岡格村長を訪ねました。
北御門さんの主張をはねつけていた岡村長ですがしばらくしてこう告げました。
北御門さんは勤労奉仕を免除されました。
村長自ら警察などに働きかけたといいます。
なぜその判断を下したのか。
熊本市に岡村長の子供たちが暮らしています。
生前戦時中の事を家族に話す事はほとんどありませんでした。
北御門さんについてひと言だけ漏らした事がありました。
太平洋戦争中に戦死した水上村の若者は175人。
戦後岡村長は戦争協力者として公職を追放されました。
口には出せなかった戦争への怒りを若い北御門さんに託し黙って処分を受け入れました。
戦後北御門さんは生涯を水上村で過ごしました。
田畑で作物を育てながら執筆活動や講演を通して平和を訴え続けました。
時代に流されず自らの信念を貫いた北御門さん。
晩年の肉声が残されています。
2015/10/26(月) 15:15〜15:41
NHK総合1・神戸
ろーかる 特報フロンティア▽私は戦場に行かない〜命がけで“非戦”つらぬいた青年[字]

熊本の故・北御門二郎さんは、戦中、徴兵を拒否し一切の戦争協力を拒んだ。なぜ、そんなことが許されたのか。膨大な資料からひも解く、戦時下の知られざる物語。

詳細情報
番組内容
国民が戦争に協力するよう強いられた時代に、戦争協力を拒否した北御門さん。取材を進めると、北御門さんを陰ながら守った人の存在が分かった。危険思想の持ち主として北御門さんを監視した特高刑事。北御門さんの日記には、次第に心開く特高刑事の意外な姿が描かれていた。さらに、北御門さんに勤労奉仕の免除を言い渡した村長。遺族の証言で、北御門さんに託した村長のある思いが明らかになった。徴兵拒否者が広げた波紋に迫る。
出演者
【出演】北御門すすぐ,松永保孝,石田昭義,岡三樹夫,【キャスター】有田雅明

ジャンル :
ニュース/報道 – 報道特番
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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