明日へ−支えあおう−証言記録 東日本大震災 第46回「岩手県大槌町吉里吉里」 2015.10.27


あの日未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録。
第46回は岩手県大町の海沿いに開けた吉里吉里地区です。
吉里吉里海岸では毎年住民たちが海岸清掃を行っています。
この浜は吉里吉里の名前の由来になったと言われる大切な場所です。
この日集まった300人は強制されたわけではなく自分の意思で参加していました。
あの日地震発生からおよそ30分後16mを超える津波が吉里吉里を襲いました。
地区の半数近くの家が流され多くの人が家族や親戚を亡くしました。
しかし吉里吉里の人たちは震災当日の夜早くも災害対策本部を立ち上げ自力で復旧に動きだします。
住民全ての顔を知っていた元町内会長が中心になり行方不明者の捜索に乗り出します。
対策本部の呼びかけに応じて集まった200人の男たちが団結してガレキを取り除きます。
ガソリンスタンドの従業員は地下にある燃料を取り出すため多彩な技術を持つ職人たちを集めました。
自衛隊などによる本格的な支援が入るまでの5日間。
行政に頼らず自分たちの力だけで復旧を進めた吉里吉里の人たちの証言です。
穏やかな三陸の海に面した吉里吉里地区は震災前およそ2,500人が暮らす漁業の町でした。
春はワカメ夏はウニそして冬はアワビやホタテと四季折々の漁で生活してきました。
家族で漁業を営む東谷寛一さん一家です。
夫の寛一さんは消防団の分団長や公民館長などを務めてきた町のリーダー的存在。
妻の幸子さんは婦人消防協力隊の隊長で地域のお母さんたちのまとめ役です。
あの日東谷さんは漁協の会議に出るため隣町に向かっていた時大きな揺れを感じました。
…という事を聞いたんで。
東谷さんは急いで吉里吉里に引き返します。
1,000万円をかけて新たに建てたばかりの港の倉庫が気になったからです。
港に着いた東谷さんは倉庫が無事だった事を確認し安堵しました。
そしてふと海を見ると大きな異変に気が付いたのです。
津波が4mの堤防を越え港に迫ってきていました。
東谷さんは車で高台を目指し間一髪津波から逃れる事ができました。
一方自宅にいた妻の幸子さんは大きな地震に驚き同居している夫の母に避難しようとせきたてます。
しかし母はなかなか応じてくれません。
幸子さんは嫌がる母の手を引き避難所の小学校へ向かいました。
小学校にたどりついた幸子さん。
その時先に避難していた知り合いから津波の事を聞き驚きます。
避難所に指定されていた吉里吉里小学校は山の中腹に建っています。
学校には400人を超える住民が続々と避難してきました。
しかし電気水道が止まり連絡手段も絶たれていました。
その時避難所に集まる被災者たちの不安そうな様子を見て自主的に動きだした人がいます。
藤本さんは過去に何度も津波を経験してきた父親の言葉を思い出していました。
藤本さんは祭りの提灯に使う照明を小学校に運ぶ事にしました。
学校に行き発電機から電源を取ろうとしましたが故障して使えません。
電源を探していた藤本さんに協力を申し出たのは観光バス会社の人たちでした。
3台のバスが校庭に運び込まれます。
観光バス会社の責任者松橋明さんです。
バスのバッテリーを発電機の代わりに使おうと考えたのです。
日が暮れて暗くなってきた避難所に明かりがともります。
更にその電気を使い暖房用のジェットヒーターを動かす事ができました。
夕方から雪が降り始め冷え込んだ体育館を暖める事ができました。
港に倉庫を見に行って命からがら山へと逃げた東谷寛一さん。
午後5時過ぎに避難所にたどりつきました。
そして妻の幸子さんと再会した時近所のお母さんたちの気になる会話が聞こえてきました。
東谷さんは校長に頼んで1階の教室を借り避難所にいた5つの地区の役員を集めます。
この大震災で町全体に大きな被害が出ていると考えた役員たちは外からの救助を待たず直ちに行動する事を決めます。
そして独自の災害対策本部を立ち上げました。
大町役場がある中心部は津波とその後の火災により壊滅していました。
役場職員は30人が行方不明となり町長も亡くなりました。
町の支援は望めない状況でした。
更に周りの地区からも次々と火の手が上がり吉里吉里は完全に孤立します。
震災翌日の朝第1回の災害対策会議が開かれました。
集まったのは消防団OB町内会長そして学校長など16人。
まず組織の体制作りが話し合われ僅か10分ほどの早さで決まりました。
対策本部本部長は地区のリーダー役の東谷寛一さん。
副本部長や各班の責任者もそれぞれの役割に合った能力の持ち主が選ばれました。
芳賀正彦さんは3丁目の自主防災会会長として会議に出席していました。
組織の体制が決まると次に行動目標を話し合いました。
最優先課題は2つ。
行方不明者の捜索を行う事と救援車両を受け入れるためにガレキ撤去をし道路を開く事です。
この2つの活動を現場で率いるのは副本部長の芳賀衛さんです。
芳賀衛さんは最も行方不明者が多い2丁目の元町内会長。
全ての住民の事を熟知していました。
衛さんは東谷さんと住民たちに呼びかけ協力を募りました。
すると我も我もと200人以上もの男たちが集まってきました。
吉里吉里の道路は多くのガレキに覆われていました。
衛さんたちは救援車両を受け入れるため国道45号線を塞ぐコンビニの屋根をどかす事から始めました。
続いて行われたのは行方不明者を捜索するためのガレキ撤去です。
津波の被害を免れた重機を運転し駆けつけたのは建設業の芳賀藤一さんです。
この道50年の大ベテラン。
しかし困難がありました。
通常のシャベルでは家の下敷きになっている人を傷つけるおそれがありました。
そこで藤一さんはアームの先端を付け替える事を思いつきます。
通称「つかみ」という細かな作業ができる機具です。
ガレキを少しずつ取り除きその下にいるかもしれない人を傷つけないような作業ができるようになりました。
藤一さんは一つ一つガレキをつかんでいく作業の中突然目に入ったものに驚きます。
亡くなったお年寄りの姿でした。
ガレキ撤去で大きな妨げになっていたのは電柱と電線でした。
重機では取り除く事はできません。
その問題を解決したのは小学校へ観光バスを運んだ松橋さんでした。
自動車整備工場も営み技術も持っていました。
一方消防団員たちは余震が続く中ガレキで埋まった町を走り回り生存者の救助活動をしていました。
碇川公二さんはガレキをかき分け声をかけながら生存者を捜していきました。
この時吉里吉里に唯一あった診療所は津波で破壊され医療機器は使えなくなっていました。
「らふたぁ」とは高台にある特別養護老人ホームの事です。
そこには酸素吸入器や点滴などの医療設備が備えられていました。
施設長は消防団員でもある芳賀潤さん。
即座にけが人を受け入れる体制をととのえます。
この施設では重篤な患者の治療を行う事はできません。
そこで芳賀潤さんは内陸部の病院に搬送するため衛星携帯電話でヘリコプターの要請を試みました。
施設の前にある今は仮設住宅が建つ中学校のグラウンド。
この場所にヘリコプターが来るように要請します。
そして2日後消防防災ヘリコプターがやって来ました。
4人の重症患者が搬送されていきます。
ヘリコプターの重要性を知った芳賀潤さんは中学校の校庭に見よう見まねでヘリポートの印Hマークを書きました。
すると思いも寄らない事が起きます。
要請していない自衛隊のヘリコプターが降りてきたのです。
ヘリポートを作った事で患者やお年寄りの搬送が急速に進むようになりました。
避難所の厳しい生活の中でも吉里吉里ならではの協力体制が築かれていきます。
小学校は避難所に指定されていましたが水や食糧の備蓄がほとんど無くおよそ400人の避難者たちは震災当日の夜何も口にしていませんでした。
食糧の確保に動きだしたのは本部長東谷寛一さんの妻幸子さんです。
幸子さんは早速家庭科室を借り料理が作れる状態かどうかを確認しました。
明かりを避難所に持ち込んだ宮司の藤本さんは神社に行きあるだけの米をかき集めました。
避難者の中にも幸子さんを助けようとする人たちが現れます。
12日の早朝から幸子さんは仲間と朝食のおにぎりを作り始めました。
幸子さんたちが握った小さなおにぎりはおよそ400人の避難者全員に行き渡りました。
水の調達では若い協力者が現れました。
中学校の生徒たちです。
調理をするお母さんたちも工夫して水を使いました。
避難所生活でもう一つ心配されたのは風邪や感染症などの流行です。
暖房はあるものの夜は氷点下まで冷え込みます。
その対策を任されたのは…内陸部から1年前に赴任してきたばかりだった佐藤校長はこの避難生活の中で吉里吉里の人たちの人間関係を知りました。
震災発生から3日目。
対策本部では深刻な問題が報告されました。
地域の復旧活動の生命線である燃料が無くなるというのです。
発電機代わりのバスや行方不明者の捜索に使う重機が動かせなくなってしまいます。
東谷さんは副本部長の芳賀正彦さんに相談を持ちかけました。
実は副本部長の芳賀正彦さんはガソリンスタンドの従業員です。
本社とは連絡が取れませんでしたが正彦さんは独自の判断でガソリンの供給を引き受けます。
しかしガソリンスタンドは津波で破壊されガレキに覆われていました。
正彦さんは地下にある燃料を取り出すため多彩な技術を持つ人たちに声をかけました。
マンホールからタンクの底まではおよそ2.5m。
燃料を取り出すには専用のポンプが必要でした。
さまざまな部品を組み合わせてポンプが出来るとくみ上げ作業を始めます。
しかし最初に出てきたのは燃料ではありませんでした。
ようやく混じりけの少ない燃料が出てきました。
避難所の暖房用の灯油も確保できました。
これで大丈夫と喜んだのもつかの間この成功が新たな問題を引き起こします。
国道45号線を復旧させた事で近隣の町から多くの車が入ってきていました。
ガソリンスタンドが再開しているといううわさはたちまち広がります。
(取材者)どの辺までですか?カーブまで?対策本部で対応策が話し合われました。
同じ被災者への供給を断らなければならない事は非常につらい仕事です。
しかしいつまで続くか分からない緊急時に貴重な燃料を無くすわけにはいきません。
対策本部は吉里吉里の緊急事態に対処する車両のみに給油許可証を発行しそれ以外は断るようにしました。
この対応で混乱を収める事ができました。
3月15日。
ようやく自衛隊の部隊が吉里吉里に入って来ました。
対策本部の人たちは自衛隊と共に行方不明者の捜索を行う事になりました。
それまでにガレキはほとんどが片づけられ道路は復旧していました。
行方不明者の捜索はガレキが残る2丁目を中心に集中的に行われます。
この時既に吉里吉里の人たちは自力で37人の遺体を収容していました。
そして自衛隊と共に更に16人の遺体を見つけ出しました。
4月30日。
避難所は小学校の再開にあわせて別の場所へ移動する事になりました。
そして吉里吉里地区災害対策本部もその役目を終えます。
震災から4年半。
吉里吉里の人たちは毎年恒例の海岸清掃のため浜に集まりました。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
この日集まったのは子供からお年寄りまで総勢300人。
祭りや学校の運動会そして海岸の清掃。
吉里吉里の人たちは小さい頃から地域のために助け合い支え合って生きてきました。
自分たちが住む地域は自分たちで守る。
脈々と受け継がれてきた伝統が大震災を乗り越える力となったのです。
外部との連絡が取れずにインフラが全て無くなった時役に立つのは隣の普通の人とのふだんのしっかりとしたつきあい。
番組最後のこの言葉が重く胸に響きます。
地域とのつながりが薄れている都会ほど災害に弱くなってるのではないかなというふうに感じました。
さて10月も後半です。
秋も深まってきましたよね。
どこかに出かけようと考えてらっしゃる方も大勢いらっしゃると思います。
東北に出かけてみてはいかがですか?地元のイケメン男子たちが案内する旅プラン紹介しましょう。
男鹿の定番デートスポット巡りさ行くぞ!まずは男鹿の全部見てもらうが。
ここ椅子に座ったままでも360度男鹿の風景見れるがな。
(籾山)デートだば水族館さも来ねばいけねえ。
お〜でっけえ。
なまはげ太鼓っていう一つの伝統が生まれて…おはよう。
八戸さ来たら…何がおいしいの?今ね旬はアワビとか。
アワビやっぱり。
お刺身。
いいねえ。
(橋本)これ南部せんべいの天ぷら?熱いっ。
アツアツでおいしい。
八戸さ来たら…芝生の海岸見た事ねえべ?今日は鳴子のいいとこいっぱい案内すっから。
この時期一番きれいなのはやっぱり鳴子峡だね。
いつまで見てても飽きないよね。
この時期は田んぼの中走るのが気持ちいいね。
(加藤)新米はおにぎりにして食うと最高だっちゃ。
いかがでした?気になる場所がありましたら是非東北にお出かけになって下さい。
1分のミニ番組でも随時放送していますので詳しくはホームページをご覧になって下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思い。
宮城県七ヶ浜町の皆さんです。
七ヶ浜でノリ養殖をしています。
震災の時は海の資財も全て無くしました。
今年ようやく震災前の収穫の規模にたどりつけそうです。
私は神明神社の氏子をしています。
今回の震災によってこの地区は約40軒の家が流されました。
七ヶ浜のサポートセンターで働いています。
サポートしてきた仮設が縮小されるのを機に私たちは来年3月に解散します。
試行錯誤はありましたがこの4年半七ヶ浜の仮設では孤独死がありませんでした。
2015/10/27(火) 02:00〜02:50
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−証言記録 東日本大震災 第46回「岩手県大槌町吉里吉里」[字][再]

あの日、岩手県大槌町吉里吉里地区は巨大津波に襲われ、大きな被害を受けた。住民たちは外からの救援を待たずに自主災害対策本部を立ち上げ行方不明者の捜索に乗り出した。

詳細情報
番組内容
あの日、岩手県大槌町吉里吉里地区は、高さ16mの津波に襲われ多くの犠牲者を出した。町役場も津波に飲まれ行政機能を失った。住民たちは、直ちに自主災害対策本部を立ち上げ、行方不明者の捜索やガレキ撤去に乗り出した。地区に住む多彩な人材を生かし、避難所の運営や燃料の確保も整然と行い、自衛隊が入るまでの5日間を生き抜いた。番組では救援を他人頼みにせず自力で住民の命を守った吉里吉里の人々の姿を証言で描く。
出演者
【キャスター】畠山智之

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
情報/ワイドショー – その他

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