NHKスペシャル 新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」 2015.10.28


巨大なクレーターは地雷の爆発した跡。
第一次世界大戦の激戦地だった北フランス。
百年前この戦場の一角に発明されたばかりの小型のムービーカメラが姿を現した。
人々の営みを動く映像として記録できる画期的な装置。
格好の被写体として選ばれたのは戦争だった。
カメラは巨大な地雷が爆発する一瞬を見事に捉えた。
戦争の何たるかを世界に初めて思い知らせたワンカットとなった。
戦争映像の膨大なコレクションで知られる…特に貴重な映像はロンドン郊外の特別倉庫に保管されている。
ムービーカメラに記録された映像は初めての本格的な戦争記録映画「ソンムの戦い」となった。
大戦のさなかヨーロッパで上映され2,000万人が映画館へ殺到。
イギリスでは今も「スター・ウォーズ」をしのぐ観客動員数を誇っている。
当時映画館に詰めかけた観客の多くが夫や息子の姿を必死で捜したと言われる。
恐怖と緊張にこわばる兵士の表情。
動く映像のあまりの生々しさに人々は言葉を失った。
撮影したのはイギリスの従軍カメラマンジェフリー・マーリンズ。
マーリンズ自身動く映像が持つ革新的な力に驚かされた。
それから百年。
映像は世界を動かす巨大なパワーとなった。
私たちの一挙手一投足がビッグデータとして記録されビジネスや国家運営の手段となった。
人工衛星にもカメラが搭載され地球上のあらゆる場所の超精細な映像を24時間撮影している。
誰もが撮影者となりあらゆるメッセージが映像となって瞬時に世界を駆け巡る。
もはや世界で起こる出来事の全てが映像化されると言っても過言ではない。
映像が発明されて百年余り。
それは人類が蓄積した膨大な記憶である。
今アーカイブスの整備と情報公開が世界中で進み未公開映像が続々と発掘されている。
私たちは発掘した映像を最新のデジタル技術によって修復。
薄れゆく人類の記憶をよみがえらせる。
「新・映像の世紀」では歴史を動かした主役脇役たちの人間ドラマに焦点を当て6回にわたって百年の時を追体験していく。
私たちはなぜ今こんな世界に住んでいるのか。
これからどこに向かうのか。
映像から読み取れる人々の経験と知恵は今を生きる私たちの行く末を照らし出す確かな道しるべとなるだろう。
1回目の今日はムービーカメラが初めて大規模に使われた20世紀最初の世界大戦を見つめる。
開戦直後ドイツ軍とイギリス軍が激突した国ベルギー。
今も年間3,000発の不発弾が見つかる。
その1割が毒ガス弾である。
全ての不発弾を処理するには300年かかるという。
ヨーロッパは今も百年前の戦争の負の遺産を抱えている。
ヨーロッパだけではない。
第一次世界大戦は20世紀を覆う不幸の種子を世界にばらまいた。
そこに関わった人物の意図のあるなしにかかわらず。
あのアインシュタインが天才と呼んだドイツの科学者フリッツ・ハーバー博士。
初めての化学兵器毒ガスを発明した。
以来科学技術の最大の目的は戦争への貢献となった。
ロシア革命を成し遂げ世界で初めての共産主義国家を樹立したレーニンは恐怖政治の創始者でもあった。
国民に真実を隠し異議を唱える人物を強制収容所に送り込み20万人を処刑した。
劇映画にもなった砂漠の英雄「アラビアのロレンス」。
新たなエネルギー石油をねらったイギリスの情報将校としてアラブ社会に食い込んだ。
今に至る中東紛争のきっかけを作ったのはロレンスの裏切りだった。
私たちの生きている世界自体が第一次世界大戦の産物なのである。
1900年19歳のスペイン人の若者が初めてパリへやって来た。
後に20世紀最大の巨匠となるピカソである。
華やかな都市文化地下鉄。
ちょうど開幕したパリ万博では動く歩道も登場。
パリは世界の平和と繁栄を象徴していた。
このパリ訪問で受けた刺激がピカソの創作の原点となる。
デザイナーココ・シャネルが活躍し始めたのもこのころ。
コルセットで縛る女性服の常識を壊しスポーティーなデザインでファッションに革命を起こす。
女性の社会進出が徐々に始まる中大評判となった。
アメリカのライト兄弟はエンジンによる飛行機で空を飛ぶ事に成功した。
テクノロジーは人類に幸福をもたらすものと無条件に信じられた。
誰もが飛行機ダンスを踊った。
オーストリアの人気作家だったツヴァイクは大戦前のヨーロッパをこう回想している。
だが1913年。
戦争の危険を強く警告する人物が現れた。
イギリスのSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズ。
「宇宙戦争」や「タイムマシン」で知られる。
ウェルズは20世紀の運命を驚くほど正確に言い当てた。
世界はドイツとイギリスの率いる二大陣営に分かれ世界最終戦争を始める。
飛行機が戦争の道具に使われ空爆が始まる。
戦車が発明され田園を踏み荒らす。
ウェルズの予測は更に続く。
8年前にアインシュタインが相対性理論を発表。
原子にばく大なエネルギーが秘められている事を突き止めていた。
ウェルズは原子爆弾が生まれ文明を壊滅させると広島長崎まで見通していた。
ウェルズの予言は翌年的中した。
1914年6月。
オーストリア=ハンガリー帝国サラエボで起きた出来事が始まりだった。
サラエボ訪問中の皇太子夫妻が凶弾に倒れた。
犯人はセルビアの民族主義者。
オーストリアの支配に反発する秘密結社の一員だった。
皇太子夫妻のひつぎが運ばれる。
亡くなった皇太子の伯父皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。
報復のため直ちにセルビアに宣戦布告した。
するとバルカンに領土的な野心を持つロシア帝国はセルビアへの支援を表明。
ニコライ2世は兵士を総動員し戦争に備えた。
列強は安全保障のため軍事同盟を結んでいた。
イギリスはフランスとロシア。
ドイツはオーストリアオスマン帝国と結び二大陣営に分かれた。
戦争を望まないほかの国々も軍事同盟に縛られ30か国を超える国々が戦火に巻き込まれていく。
オーストリアの同盟国ドイツは8月に入ってロシアとフランスに対し宣戦布告する。
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が兵士を鼓舞する肉声が収録されていた。
8月4日。
ドイツは突如中立国ベルギーに侵攻する。
ドイツ軍は市民にも銃を向けた。
150万のベルギー人が国外へ逃れた。
20世紀は難民の世紀でもあった。
ベルギーと軍事条約を結んでいたイギリスが参戦に踏み切る。
国中が騒然とする中50万の若者が志願した。
40年の平和が続いたヨーロッパでは戦争の記憶は薄れ若者は戦争をロマンチックな冒険と考えがちだった。
誰もが戦争は数か月で終わると信じていた。
兵士たちの肉声が大量に残されていた。
王立戦争博物館では大戦百周年をきっかけに戦争を生き延びた兵士1,300人の証言を集めた。
イギリスでは志願した若者の多くは貧しく失業者も多かった。
ほとんどの兵士は訓練不足のまま前線に送られた。
イギリスの新兵はドイツの新型機関銃の格好の餌食になる。
機関銃に対する防衛戦法として登場したのが塹壕である。
ひとまずはこの狭い溝に身を潜め突撃命令を待つ。
塹壕戦で使われた人形の首。
この首を掲げて敵の出方をうかがう。
イギリスフランスの連合軍がドイツと戦う戦場は西部戦線と呼ばれた。
塹壕は西部戦線に沿ってヨーロッパ大陸を縦断する。
飛行機から撮影した映像。
塹壕は延々700キロも延びた。
最悪なのは雨だった。
不潔極まりない塹壕で兵士はシラミと病気に苦しんだ。
予防注射を受けるドイツ兵。
塹壕戦が長引きチフスや肺結核などの伝染病が流行した。
梅毒などの性病もまん延した。
これは性病への予防を呼びかけたフランス軍の教育映像。
20万を超える連合軍兵士が梅毒にかかった。
兵士に配布される必需品が増えた。
コンドームである。
この戦争をきっかけに世界へ普及していく。
大戦中性病を警戒した当局は慰安婦のみならず女性全般への性病予防を強化した。
フランス軍兵士が行列を作る。
目当ては軍公認の慰安施設である。
大戦が始まって1年もたたないうちに戦火はアフリカやアジアなど世界に拡大する。
日本はイギリスとの同盟を理由に連合国として参戦。
ドイツ領青島への出兵を決めた。
1914年の青島。
ドイツに残されていた珍しい記録映像である。
ドイツは1898年から青島を租借。
東洋艦隊の拠点としていた。
7月。
本国からの指令を受けドイツの主力艦が次々と出港した。
日本はドイツの強力な軍隊が留守の間に青島を攻略。
ほとんど傷を負う事なく巨大な権益を獲得した。
この年アメリカの外交官がイギリスに電報を打った。
後に日本は大陸へ派兵を拡大。
列強の懸念は現実のものとなる。
中央アジアでも戦闘が繰り広げられていた。
激突したのはオスマン帝国とロシア帝国。
オスマン軍は黒海とカスピ海に挟まれた国境コーカサスへ進軍した。
3,000メートルを超える真冬の山岳へ12万の大軍を送る無謀な作戦。
1万を超えるオスマン兵が戦闘に参加する事なく凍え死んだ。
遺体を片づける作業を監視しているのはロシア兵である。
愚かな作戦により9割のオスマン兵が戦死した。
開戦後5か月。
西部戦線では150万の兵士が戦死した。
多くの遺体が塹壕の中に放置された。
若者たちを酔わせた冒険への熱狂は急速に色あせた。
自らこの戦争に志願したアメリカの作家フィッツジェラルドは後に塹壕の跡を訪れている。
1915年。
一人の女性が自らの命を絶った。
ドイツで初めて女性として化学の博士号を得た秀才…夫は天才科学者…空気中から窒素を取り出す方法を確立しノーベル賞を受賞した。
博士の研究を応用して窒素肥料が開発され飢餓に苦しむ世界中の人々が救われた。
ノーベル賞の授賞式で記念撮影に臨む博士の貴重な映像。
ひな壇でメガネを振っているのがハーバー博士である。
戦争が始まると博士は極秘の研究に取り組んだ。
ハーバー博士が所長を務めていたカイザー・ウィルヘルム研究所。
現在世界最高峰の科学研究を誇るマックス・プランク研究所の前身である。
飾られている写真はドイツが生んだ2人の天才アインシュタインとハーバー。
アインシュタインはハーバーの研究を知らされ思わず叫んだ。
ハーバーが取り組んでいたのは毒ガスの開発であった。
史上初めての化学兵器。
自ら戦場に赴いて実験を指揮した。
1915年4月22日。
化学兵器が初めて戦争に使われた。
7キロの前線にわたって168トンの塩素ガスが放たれ600人の兵士が犠牲となった。
兵士は恐怖でパニックとなり周辺の住民も巻き込まれた。
直ちに毒ガスから身を守るマスクが開発された。
衝撃を受けたクララは夫に激しく抗議した。
だが夫は平然と言い放つ。
実際には毒ガスによって戦争は長引き被害は拡大した。
連合軍も強力な毒ガスを開発両軍合わせて6,600万発のガス弾が撒かれ死傷者は100万人に及んだ。
5月1日。
毒ガス戦の成功を祝いハーバー博士をたたえる祝賀会が開かれた。
その夜クララは夫のピストルを持ち出した。
そして自らの胸に向けた。
残されたハーバー博士にも悲劇が待っていた。
後にユダヤ人の大量殺戮のために使われた毒ガスである。
元はといえばハーバー博士が開発に関わった強力な殺虫剤であった。
博士自身もユダヤ人であった。
自分が開発した毒ガスが同胞の絶滅のために使われるとは思いもしなかった。
そして博士はナチスに迫害され亡命を余儀なくされた。
博士が世に送り出した化学兵器はその後の戦争においても無差別大量殺戮の道具となった。
今も計り知れない災いをもたらし続けている。
1915年。
砲撃や毒ガスを避けるため西部戦線には地下壕が登場する。
フランスには今も広大な地下壕の廃虚が残る。
深さ10メートル迷宮のような空間は40万平方メートルにも及ぶ。
百年もの間放置されていた。
兵士は暗闇に身を潜めひたすら砲撃の嵐に耐えた。
地下壕でのイギリス軍の極秘の作戦を捉えた映像がある。
敵陣地の地下まで掘り進み地雷を仕掛ける作戦。
イギリスの兵士が暗闇の中で耳を澄ます。
ドイツ軍もまたこの向こうで同じ事を考えているかもしれない。
アルミ粉末と硝酸アンモニアを混合させた強力な爆薬を慎重に運び込む。
そして…。
(爆発音)連合軍は160キロにわたり750発の地雷を爆発させた。
ドイツ軍も700発の地雷で応戦した。
地下壕には百年前の兵士たちの叫びが残されている。
ろうそくで天上に書かれた文字。
地下壕には礼拝所も造られた。
突撃命令を受けた兵士は暗闇で祈りをささげ戦場に向かった。
大戦3年目西部戦線は動かない。
戦いは地下のトンネルから大空へ向かう。
第一次世界大戦で爆撃機が初めて登場した。
最新の科学技術が動員され戦争は新たな次元に突入した。
激しい空中戦の中から一人の英雄の名が刻まれた。
ドイツの貴族。
真っ赤な飛行機に乗っていたためレッド・バロン赤い男爵と呼ばれた。
操縦席に高性能の特製機関銃を搭載。
80機を撃墜した。
リヒトホーフェン率いる飛行部隊。
空飛ぶサーカスと異名を取り連合軍から恐れられた。
正義感にあふれ勇敢。
騎士道精神の鑑とされドイツ女性の憧れだった。
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世はリヒトホーフェンに軍人として最高の名誉であるプール・ル・メリット勲章を授けた。
しかし半数のパイロットが戦死多くが訓練中の事故だった。
人間は空を飛ぶ事にはまだ不慣れだった。
仲間が一人また一人と減っていく中赤い男爵は空を飛び続けた。
そして1918年リヒトホーフェンは撃墜された。
24歳だった。
連合軍は敵国の空の英雄に敬意を表し戦場で丁重に葬った。
(空砲の音)戦いは国家の全てを動員する総力戦の様相を呈した。
イギリスでは100万人の女性が軍需工場などで働いた。
爆撃機の翼を作る仕事。
エンジンの製造作業も任された。
飛行船を組み立てる危険な作業にも駆り出された。
男性が職場から消え女性の動員が続く。
路面電車の運転手。
炭鉱での重労働。
そして弾薬の輸送部隊。
大戦半ば戦場で消費する砲弾は一日当たり40万発に達した。
大戦を通じて14億発が発射された。
国家の生産力は既に限界に近づいていた。
それでも両軍とも西部戦線のこう着を打開する事はできない。
イギリスはひそかに新たな戦術に活路を求めた。
謀略戦である。
1916年。
イギリスはドイツの同盟国オスマン帝国を狙って破壊工作を仕掛けた。
その作戦から一人の英雄の伝説が誕生する。
オスマン帝国はドイツと軍事同盟を結び第一次世界大戦に参戦していた。
これはドイツ皇帝ウィルヘルム2世がオスマン帝国のスルタンを訪問した映像である。
600年の歴史を持ちヨーロッパからアジアにかけて広大な領土を持つオスマン帝国。
しかし度々の戦争で衰退し瀕死の病人と呼ばれていた。
オスマン帝国の領土を現在の地図と重ねてみる。
領土はほぼ今の中東全域に及んでいた。
当時オスマン帝国の人口は1,800万。
トルコ人とアラブ人が7割を占めクルド人ユダヤ人など少数民族も暮らす多民族国家を形成していた。
イギリスはアラブ民族の独立運動に目をつけた。
その動きをたきつけ内部からオスマン帝国を倒そうと企てた。
ねらいはオスマン帝国領内で次々と見つかる大規模な油田だった。
イギリスはアラブの有力者とひそかに接触した。
預言者ムハンマドの血を引くフセイン。
そしてその御曹司ファイサル。
その任務に当たったのは若い情報将校だった。
ファイサルに武器と資金を提供しオスマン帝国打倒を持ち掛ける。
イギリス人でありながらアラブ文化への理解が深く言葉も自在に操るロレンスにファイサルは大きな信頼を置いた。
(鳴き声)イギリスはファイサルにオスマン帝国を倒した暁にはアラブの独立国をつくると約束した。
約束を信じたファイサルは反乱軍を組織する。
アラブの反乱軍が敵の列車を爆破した直後の映像。
反乱軍は巧みなゲリラ戦法でオスマン軍に打撃を与えた。
ロレンスの名を世界にとどろかせるきっかけを作った人物がいた。
連合軍から依頼されプロパガンダ映像の制作を請け負っていたトーマスは撮影中にロレンスと出会った。
トーマスはロレンスを砂漠の英雄に仕立て冒険物語を作り上げた。
この日行われたトークショーでトーマス自身が映像の語り手を務めロレンスの冒険活劇を語った。
題して…エキゾチックな映像とトーマスの巧みな語り口が大反響を呼びロレンスは一躍世界的なヒーローとなる。
その後イギリスの大作映画にもなった砂漠の英雄ロレンス。
しかしロレンスはアラブの民から見れば裏切りの英雄だった。
実はイギリスはアラブ建国を約束する裏でフランスと密約を交わし戦後オスマン帝国の領土を分け合う事を企てていた。
もちろんその交渉はアラブ人には一切秘密にされていた。
しかもイギリスはあろう事かこの地にユダヤ人にも国をつくる約束をしていた。
ロレンスはイギリスの真の目的を隠しながらアラブを助けていたのだった。
イギリスが乱発したこの欺まんに満ちた約束が今に至る悲劇の出発点となる。
イギリスはアメリカにも情報戦を仕掛けていた。
ねらいは中立国アメリカを戦争に巻き込む事だった。
そのためにイギリスはウォール街の金融機関を味方につけた。
ウォール街を仕切るアメリカの銀行家…今も巨大財閥として君臨するJ・P・モルガンの2代目である。
イギリスの軍需物資の8割を調達。
アメリカの軍需工場で兵器を生産させていた。
もしイギリスが負ければ大損害を被る。
アメリカの参戦に向けてウォール街とイギリスの利害は一致した。
ウィルソン大統領は公には国民に中立を約束していた。
しかし翌年ウォール街の圧力に屈する事になる。
対するドイツも謀略戦を展開していた。
1917年。
ドイツの手厚い支援を受けて一人の革命家がロシアに向かった。
革命家としての名前はレーニンである。
12年前ロシア皇帝への反乱に参加。
その後秘密警察に追われスイスで亡命生活を送っていた。
ドイツはレーニンをロシアに帰国させるために専用列車まで用意した。
ドイツのねらいは敵国ロシアを内部から突き崩す事だった。
ロシアがドイツやオーストリアと戦う東部戦線。
ロシア軍は絶望的な戦いを続けていた。
武器も食糧も底をついていた。
戦争への怒りが頂点に達し100万の兵士が脱走。
ロシア軍は崩壊した。
「我らにパンを!」。
首都ペトログラードの女性が食糧難に抗議。
軍の逃亡者や労働者が合流。
革命に発展する。
民衆は300年続いたロマノフ王朝を打倒。
臨時政府が開かれた。
教会に隠れていた皇帝はシベリアに幽閉された。
ドイツ軍に守られペトログラードに到着したレーニン。
レーニンは兵士を組織し事実上のクーデターで出来たばかりの臨時政府を倒した。
史上初めての共産主義国家ソビエトの誕生である。
レーニンの極めて貴重な肉声が残されている。
ソビエト革命政府はドイツに全面降伏した。
ドイツの思惑どおりの結果となった。
ドイツの外交官は皇帝に報告した。
東部戦線が終結しドイツは兵力を西部戦線に集中させ決戦の時に備えた。
連合軍は破産寸前の危機を迎えていた。
イギリスの戦費は通常の国家予算の6倍を超えた。
中立国アメリカは参戦を決断した。
もし連合軍が敗北すればばく大な貸付金を回収できなくなる。
大統領はウォール街の圧力に抗しきれなかった。
6月。
アメリカ兵がヨーロッパ戦線へ向かう。
大戦終了までに200万の兵が派遣された。
パリに到着したアメリカ兵が大歓迎される映像である。
連合軍は勝利へ向けて大きな一歩を踏み出した。
大戦を離脱したロシアだったが戦いは終わらなかった。
内戦である。
ロマノフ王朝の残党を中心とする反革命軍が共産党ボリシェビキの赤軍を攻撃した。
反革命軍がボリシェビキ以上に標的にした人たちがいた。
ユダヤ人である。
社会変革を望むユダヤ人にはボリシェビキの支持者が多くユダヤ人というだけでボリシェビキの手先と見なされた。
ウクライナにおけるポグロム。
ユダヤ人の大虐殺を記録した映像が見つかった。
ロシアには19世紀以来世界で最も多い700万人のユダヤ人が暮らしていた。
これは1915年当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人ゲットーを撮影した映像である。
2,000年前に国家を失ったユダヤ人は世界各地にちりぢりとなりながらも信仰を守りコミュニティーを作ってきた。
しかし社会に混乱が生じる時しばしば憎悪は異教徒であるユダヤ人に向く。
ロシア革命の混乱も例外ではなかった。
この時10万人を超えるユダヤ人が虐殺されたといわれる。
虐殺を免れたユダヤ人はロシアから脱出。
今度はアメリカとパレスチナで強力なユダヤ人社会を建設する事になる。
5年続いた戦争はようやく終わりを迎えようとしていた。
西部戦線ではアメリカ軍の快進撃が始まる。
アメリカの資金で量産された600台の戦車800の爆撃機。
ドイツ軍は壊滅的な打撃を受けた。
ドイツ陸軍暗黒の日である。
10月。
ドイツの同盟国オスマン帝国が降伏した。
最大の軍事拠点ダマスカスがついに陥落。
アラブの反乱軍がダマスカスに入城する映像である。
反乱軍の指揮者ファイサルが凱旋。
イギリスのロレンスを伴っていた。
ファイサルはアラブ民族の独立を宣言した。
協力の見返りに独立を約束していたイギリス。
だがイギリスのアレンビー将軍はファイサルにその約束は果たせない事を初めてじかに伝えた。
大戦が終わるとアラブへの攻撃が始まった。
大戦中は同じ陣営にいたフランスによる容赦ない空爆。
アラブの独立は幻に終わった。
ファイサルは連合国から利用された末に見捨てられた。
アラブ人に更なる裏切りが待っていた。
大戦後パレスチナを統治したイギリス。
パレスチナの住民の9割はアラブ人であった。
だがイギリスは大戦中この地にユダヤ人の国をつくる事を約束していた。
ロスチャイルドなどユダヤの資本家を味方につけるためだった。
ロシアでの大量虐殺から逃れてくる人々など世界中からユダヤ人がパレスチナを目指した。
アラブ人が一度は独立を夢みた土地にユダヤ人が根を下ろす。
後のイスラエルである。
21世紀の今も続く憎悪の連鎖はここから始まった。
1918年11月11日。
ついにドイツが降伏した。
死者1,700万。
負傷者は2,000万に及んだ。
勝利者はその後の世界を巡る画策を始めた。
アメリカのウィルソン大統領はパリの講和会議に向かった。
勝利なき平和という理想を掲げ敗戦国に多額の賠償金を課す事に強く反対していた。
しかしウィルソンの理想は英仏の反対によって阻まれた。
ウィルソンに代わって賠償委員会で指導力を発揮したのはウォール街モルガン商会の実力者トーマス・ラモント。
イギリスに貸し付けたばく大な戦費の回収を重視した賠償案をまとめた。
ドイツに課せられた賠償金は1,320億金マルク。
ドイツの国家予算の20年分にあたる額だった。
イギリス代表の一員だった経済学者ケインズは巨額の賠償案に抗議して辞任。
ウィルソンを厳しく批判した。
条約を知ったドイツ人は憤激した。
この年ミュンヘンで講和条約に反発する政治団体が生まれた。
そこに一人の若者が参加する。
アドルフ・ヒトラーである。
戦争を指揮していたドイツ皇帝ウィルヘルム2世はオランダに亡命した。
これは亡命先の村でまきを拾うかつての皇帝の姿である。
1924年。
ロシア革命を成し遂げたレーニンが世を去った。
革命のカリスマレーニンは恐怖政治の創始者でもあった。
ソビエト崩壊後極秘映像が公開された。
レーニンは強制労働収容所を建設。
地主やブルジョア党に従わない人物8万人を84か所の収容所に送り込んでいた。
更に秘密警察チェカーを創設。
ポーランド出身の狂信的共産主義者ジェルジンスキーを長官に任命。
チェカーはレーニンの時代に20万人以上を処刑した。
世界初の共産主義革命の内実だった。
砂漠の英雄に祭り上げられていたロレンスが大戦後オートバイの事故で亡くなった。
これはロレンスの葬儀の映像である。
チャーチルも参列した。
アラブを裏切り激しい罪悪感に苦しんだロレンスは戦後は名前を変えしばしば行方をくらましていた。
大戦終了直後のヨーロッパ。
どこまでも廃虚が続く。
砲弾や地雷が作り出した無数のクレーター。
世界各地に火種をばらまき戦争は終わった。
大戦直後のヨーロッパを訪れた日本人がいた。
皇太子後の昭和天皇である。
その時の印象をこう書き留めている。
世界大戦を予言した作家ウェルズ。
この戦争があらゆる戦争を終わらせる戦争になりその後世界に平和が訪れると語った。
だが大戦によって世界中に紛争が広がり難民があふれ憎悪が渦巻いた。
多くの国家が来るべき戦争に備えた。
ウェルズはこう予言するべきだったのかもしれない。
これはあらゆる戦争を生み出す戦争になると。
子どもたちの間で戦争ごっこがはやっていた。
従軍看護婦のまね事。
塹壕の将校にふんする。
敵の処刑を命じる。
後にこの子どもたちの多くが本当の戦争を戦う事になる。
第一次世界大戦の終結は単なる長い休戦に過ぎなかった。
21年後世界は再び地獄の炎に包まれる事になる。
2015/10/28(水) 00:10〜01:24
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」[字][再]

20年前に放送し大きな反響を呼んだ「映像の世紀」が再び登場、新たな発掘映像で百年の時を追体験する。第1回は、映像として初めて本格的に記録された第一次世界大戦。

詳細情報
番組内容
第一次世界大戦は、今も世界を覆う不幸の種子をばらまいた。毒ガスを初めて開発した天才科学者・フリッツ・ハーバー博士の悲劇。ロシア革命を成し遂げたレーニンは、恐怖政治の創始者でもあった。砂漠の英雄・アラビアのロレンスの裏切りが今に至る中東紛争のきっかけと言われる。私たちの生きている世界自体が、第一次世界大戦の産物なのである。世界を動かした人々の人間ドラマを通して、歴史の深層に切り込んでいく。
出演者
【語り】山田孝之,伊東敏恵

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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