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(黒柳)皆様これは40年前にデビューなさった頃の今日のお二人のお写真でございます。
それから40年。
今やもう大御所におなりになったお二人ですけど。
ようこそおいでくださいました。
こんにちは。
よろしくお願いします。
オール阪神さんと巨人さんでいらっしゃいます。
(2人)お願いします。
お名前のとおりの…「お名前のとおりの」っていうの変ですが巨人さんのほうはお名前のとおりということで…。
でもあの…よろしくお願いいたします。
(2人)お願いします。
色々伺わせていただきます。
波瀾万丈色々なことあったと思いますけど40年?はい。
ちょうど『徹子の部屋』も40年…。
一緒ですね。
そうです。
ですから本当に同じ頃始まったと言ってもいいと思ってね。
でも1人で40年だと気軽ですけどお二人で40年は大変ですよね?何べんも危機はありましたけどねやっぱりね。
危機はあったでしょうそりゃね。
しかもまあお若い時からでしょうからね。
私も同じですけどやっぱり1人…やっぱりなんかね…1人って…スタッフはいますけど1人っていうのと2人っていうのとやっぱりね…。
やっていくのは難しいかわかりませんがなんか失敗した時にお互い2分の1ぐらいの失敗みたいな形で。
ちょっと心強さがありますよね。
2人の場合は。
「お前のせいだ」とか…。
そうそうそうそうそう。
お互いなすり付け合いのね。
なるほどね。
でも今やもう本当にもう大阪でねお二人は一番もう大御所っていわれるように…。
まだまだ上はいてはりますから。
でも随分たくさんの賞をお取りになりまして。
まあ何ですかね?上方お笑い漫才大賞。
それからお笑い大賞とかねそういう賞もたくさん取っていらっしゃって何しろよかったですね。
それでお年があなたがちょっとお若いの?下…5歳ですね。
5.5歳だよね。
5.5歳ですね。
5.5歳?正確には5.5歳下なんです。
そうなんですか。
じゃあやっぱり「兄さん」って?そう。
知り合うた頃は「あんちゃん」「あんちゃん」って呼んでました。
やっぱり年上ですから。
ほんで会うた時もご飯はもちろんごちそうしていただいて。
年下ですから。
僕働いてましたからねその時ね。
で学生でしたからいつもご飯食べに行ったら僕が出すというそんな形です。
そう。
やっぱりあれですかね?年上の人はやっぱり払うっていうことになってるんですかね?それはまあね。
仕方ないですねはい。
でもあなたのお家は卵屋さんですって?家は卵屋で。
僕芸人やるまでずっと卵屋をやってまして。
卵屋っていうのは産んだ卵を…?養鶏場と契約しまして卵の卸で。
要するに食堂とか学校とか市場とかに卵を持っていくわけで。
卸ですね。
壊さないで届けられればいいと…?そうです。
よく壊しましたですけど…。
あれさもし壊したらね一時にいっぱいですもんね。
はい。
乱暴に扱うとすぐね割れるしほんでゆっくりすると腐るし。
もう大変な仕事でしたけどね。
そうだと思いますよ。
本当にそうですよね。
でももう…素人の頃からもうなんか売れてらした…あなたですか?お互い素人番組荒らしというか。
素人でモノマネとか漫談とかを個人個人でやってたんです。
大阪ではねアマチュアが出る演芸番組たくさんあったんです。
多かったんですよ。
四十何年前に。
それは舞台ですか?それともテレビ?テレビですね。
ほとんどがテレビですね。
テレビラジオにもありましたねそういう番組が。
新番組始まる時はまだ応募の方がいないんで1回目は必ずお互い呼ばれるんですよ。
電話かかってくるんですよ放送局から。
「出てくれへんか?」…。
こんな番組始まんねんけど1回目は出る方がいないんでね。
本当にねアマチュアの時にね一年間で一番多い時に8回テレビラジオに出てました。
アマチュアで。
すごいですよね。
すごいですね。
みんなに覚えられるでしょ?だんだん。
阪神君なんかは高田君という有名な少年でしたからね。
高田君なんですか?あなたは。
そうなんです。
「また高田君テレビ出てるわ」…。
「背は低いけど高田」って…。
「ありがとう」。
何を言うてんですか。
あなたは本名はついでに何て仰るの?巨人さんは。
僕は南出といいます。
南出さん。
そうなんですか。
今の文枝さん?三枝さんがなんかお名前をお付けになったんでしょ?そうですね。
僕らアマチュアで組んでる時期がありましてその時に当時三枝師匠が…。
今映ってるこの方。
三枝師匠が「お前らおもろいからちょっとうーん…僕が名前付けたるわ!」言うて…。
「お前南出・高田やったらあかんやろ!」言うて付けていただいたんが…。
モノマネばかりやってましたもんで。
2人でね。
だから「まねまね、ゴンスケ・マンスケ」という名前をいただきまして。
どうでもいいですけど相当すごい名前ですよね。
僕がゴンスケでこっちがマンスケなんですが。
これで学園祭とかね色々呼ばれて。
アマチュアで学園祭に行ってお金もろうたこともあるんですよ。
その「まねまね」で?
(2人)はい。
まあでも今ね笑いはるかわかりませんが当時の三枝師匠に名前付けてもらうこんなうれしいことなかったですから。
誰も笑いませんよ。
今笑うてはりましたやん。
スタジオの方…。
それはゴンスケ・マンスケで笑うたんやろ?そうよそうよそうですよ。
どんなモノマネなすったんですか?モノマネ…人のモノマネ…人がやるモノマネを見てやってしまうという…。
古いやつですね。
上田吉二郎さんとか。
たぶんもうほとんどご存じないかもしれませんが。
「おう何だ?このヤロー」「ガタガタガタガタぬかすんじゃねえ」これ1人でやるとねあんまりおもろないんですよ。
2人でやると…。
(2人)「おう何だ?このヤロー」「ガタガタガタガタぬかすんじゃねえ。
ブハハ〜」言うたらちょっとおもろくなるんですよ。
私一緒に共演したことあるんで…。
ハハハッ!えー!大河内傳次さん?えっ今の大河内傳次さん?上田吉二郎さん。
あっ…そうか。
びっくりした。
上田吉二郎さんがあの方セリフを覚えないとこういうのを持たせて…何ていうんですか?昔お勅語っていったんですけどくるくる巻いたのを持たせてねお弟子さんにこういうふうに…。
カンペですか?セリフを?セリフをねそこでね持たせて…テレビですよ?やらせるんですよ。
そしたらいつか見てたらね…丁寧に描いてあるんです。
山がこうなってね爆発してるんです山がね。
火山が爆発して…描いてあるんですよ。
あんまりおかしかったんで…ちょっと間が開いたんで「あの絵は何ていう言葉なんですか?」って言ったら「えっ!と驚くんだ」って言うのよ。
はあはあ…その印ですか?そんなこと覚えたらいいでしょ?それを「えっ!」っていうのを。
お弟子さんがそんな丁寧に描いてねどんどんどんどんやってらっしゃいましたよ。
だから私はちょっと知ってるからみんなが…。
当時よくみんな上田吉二郎ってどんな人だか知らないけどみんなマネ…。
やりましたね。
それからあれでしょ?大河内…。
大河内傳次さん。
あの方はどんなですか?「拙者大河内傳次」ってね。
これ僕も「うぉ〜うぉ〜」言うて2人とも…。
たぶんほとんど…わからんでしょ?スタジオの方は。
『徹子の部屋』に初めてお二方でおいでくださいました時ですね30年前になりますけれども。
30年前ですか?30年前です。
どんな…。
デビュー10年目ですね。
ご容貌だったかちょっとご覧ください。
全然変わってると思いますよ。
どうぞ。
「ご自身は巨人のことをお好きなんですか?」「僕ですか?僕ね巨人という名前ですけども本来は阪神ファンなんです」「阪神ファン?」「阪神ファンバリバリの」「あなたは阪神なんだけど阪神はファンなんですか?」「私がさっきも言いましたように全く野球がわかりません。
何が何かもう…」「全然おわかりにならないんですってね?」「一説によると私がわからないっていうネタをあなたたち使ってらっしゃるって本当なんですか?」「なんかね他のね番組で聞いたことあるんですよ」「私は監督さんに“ホームランのサインっていうのはどうやるんですか?”って伺ったら“これだけはいくら出しても選手が打てません”って言われたんで“そういうのないんですか?”っていうそれを使って…?」「阪神君は全く野球知らんということで舞台でネタで使わせてもろうてます。
なんぼか出さないかんね」「よろしいんです。
じゃあ本当はご存じ?」「野球おわかりにならない?」「わからないんです」「せやから選手見ても誰が誰か背番号もわからへんし」「極端な話知ってるのは巨人軍のね昔だったら王選手今監督ですけども」「王さん長嶋さんね」「さて阪神タイガースの7番は誰でしょう?」「言われてもわからへんのです」「全然わかんない」「ブーやね。
わからへんでしょ?」「はあ…誰?」「真弓さんやがな」「ああ真弓さん」「まゆみさん?」「真弓っていうのは名字ですよ」「ああそうか」「お名前かと思って随分可愛いお名前…」「なんで女の人が阪神タイガース…」女の人も野球やってるのかと思ったぐらいですよあの時はね。
まゆみさんね。
おかしかった。
まゆみさん。
さっき出てましたVTRね。
はい。
あの時のネクタイね実は僕まだ持ってまして。
今日それを持ってきて締めようかなと思うたの。
さっきいっぺん締めててんけども違かったらあかんと思うて。
あのネクタイ懐かしい…。
締めてきたらよかったな。
そうだったんですか?あの時の思い出で?はい。
これからオール阪神さん巨人さんに漫才やっていただくんですけど実は巨人さんはネクタイを…30年前に『徹子の部屋』に出てくださった時のネクタイを今日…。
これなんですけど持ってきてくださったんですけど。
どうしようかなと思ってやめておこうと思ってやめたのをまた今締め直して…。
すいません。
ややこしいことで。
30年前のネクタイをそのままずっと取っておいてくださってこれは『徹子の部屋』でやったのだというふうにして今日お持ちくださったっていうことは本当に涙が出るぐらいありがたいことだと思ってます。
じゃあ涙が出るぐらい笑わせていただいて…。
よろしくお願いいたします。
はい。
えーいこか。
はい。
どうもようこそ…。
誰も来てへんわね。
どうもこんにちは。
阪神でございます。
巨人でございます。
こういう漫才なかなか難しいんですよ。
お客さんいてないというかね…徹子さん一人でしょ?それも斜め前やからね。
やりにくいですよ本当に。
今までこんなことやったことないんですがこれから一生そういうこともないと思うんですが。
ないと思います本当に。
ただね一人という時ほんまにいっぺんあったんですよ。
あったんでございますよ。
昔二十何年前ですが京都花月でね…。
これ今潰れてないんでございますがね。
潰れる前の日ぐらいですか。
ほんまにお客さん一人やった…。
一番後ろに座ってまして。
座ってまんのやこれね。
おばちゃんおばちゃん。
おばちゃんでございますよ。
おばちゃんがドーン!座ってまんのやこれがね。
これがもう全然笑わへん。
何言うても笑うてくれませんね。
ほとんど動かないんですよ。
動かへん状態で…。
死んでんのちゃうかな?これ。
死んではない。
こう見てたらねどこかで見たことあんねん。
私も見たことありますねん。
(2人)誰かいな?と思ったら…。
売店のおばちゃん座ってはりました。
座ったらあかんちゅうに…。
でも阪神ちゃんはね風邪引きません。
めちゃめちゃ元気というか健康なんですよ。
健康でございますねこれはね。
背はちょっと低いですけども。
背は低いですけどね。
言うときますがそんな低くない。
この人が高いから低く見えるだけでございますからね。
前から見てもろうてどっちが背高く見えます?お前アホやろ。
それあんたとわかってはんねん皆さんね。
本当に元気ですよ。
というのはねよく寝ます。
確かに私はよう寝ます本当にね。
2〜3分あったらガーッ寝ます。
寝ますね本当に。
寝る子は育つ。
あれ嘘ですね。
それどういう意味やねん。
寝る子は縮むんやと思います。
たぶん寝てる間にね乾燥してるんとちゃうか?そんなことありません本当に。
今日も東京駅に着きました新幹線で。
でタクシー乗りましてまあ2分やね。
2分で…。
(2人)ガーッ。
着いても起きないんですよ。
「着いたよ阪神ちゃん。
阪神ちゃん着いたよ」。
「今から『徹子の部屋』出してもらわなあかんって」「阪神ちゃん阪神ちゃん」。
起きないんですよ。
私がね運転手さんにお金払ったらハッと起きるんです。
おい!待ておい!いやらしいな。
俺はケチか?お前は。
でも本当にねこうやってね40年間健康で漫才やらせていただきまして。
ありがたいもんでございますね。
この番組に10年ぶりに出していただきまして。
またあのね…。
皆さんにお会いできたことを…。
皆さんとお会いできたことを…。
何とも思うてません。
いいかげんにせえ!アホ。
こんなもんでいいですか?よろしいですか?すいません。
すいません。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
なんかちょっとガチャガチャなりましたけど。
すいません本当に。
あれだけ笑わせて勢いがよくて。
何ともないことないんですよ感謝してますよ。
そりゃもう感謝してます。
どうも本当…。
ネクタイをね替えて…。
そこの角のところに古いネクタイ…。
今日…もう済んじゃったことだから思い出してもちょっと駄目かもしれないんですけどビデオを録っていらっしゃる方は1回目頭のところから見てくださるとあのネクタイしてらっしゃる…赤いネクタイしてらっしゃるんですけど。
このネクタイまた弟子からもろうたやつで…。
弟子ごめんやで。
借りたの?それでその持っていらした…今やっていらっしゃる30年前に着けてくださったのをやろうと思ったけどちょっとおかしいかなと思ってやめて弟子のを借りてやってちょっとお話しになったんですけど漫才やる時はやっぱりこれでやろうってすごい勢いで向こうから取ってきてそこで替えてくだすったんですよね。
どうもそんなに思っていただいてね。
思い出の品物というので…。
でも本当にそんなことを思い出にしてくださってねそういうのありがたいと思いますよね。
40年ようやれたなと思いますね。
もう何年かでやめると…。
ケンカとかはなかったんですか?ありますよ。
毎週のように。
そう?ハハハ…。
いやほんまにね…。
漫才やって15年目ぐらいまで毎週のようにやってましたケンカ。
もうねご飯の食べ方が嫌なんですって僕が…。
僕ねご飯食べたらペチャペチャペチャって音出るんですって。
ほんなら「うるさい」って言うて。
僕は5.5歳上ですからやっぱり注意しなあかんわけですよ。
お兄ちゃんとして。
それでよう…そんな細かいことでケンカになったりもちろん他の漫才のネタでもケンカになったりするんですがいつも僕が怒ってましたね。
今はないです。
今はめちゃくちゃ仲いいです。
仲いい?もう20年前ぐらいからね。
うん。
そうですね。
なんかC型肝炎なすったんですって?僕はC型肝炎ちょっと…はい。
治しました。
2010年に1年半かけて。
1年半?1年半かかりましたね当時はね。
仕事はお休みになったんですか?それもう一回も休まずに。
うわー…。
ちょうどね今出てる写真が…。
これがC型肝炎やってる真っ最中だったもんで今より10キロほど体重減りましたね。
でもよくお治りになったですね。
治りましたね。
1年半で治りまして。
今はもっとね早い期間で…いい薬ができてますので治ると思うんですが。
まあ本当に色んな副作用が出ましてもう座ってて立ったら100パーセントの立ちくらみ。
でもう吐き気…。
あれなんですって?疲れちゃうんですってね?もう全然…5段の階段がしんどいぐらいなんですよ。
「人の空気の半分で生きてると思うてくれ」言われましてね。
電話かかってくるんですよ。
「ごめん。
今ちょっと気分悪いから車止めて休んでんねん」「ギリギリ間に合うと思うけども待っといて」っていう電話があるんです。
ただそれは…ええ格好じゃないんですが僕がそのC型肝炎の治療をやってるということは皆さん新聞とかなんかでご存じになってそれをやめるとなるとC型肝炎の治療をやってる方とかこれからやってる方に希望の火が消えるような感じで…。
悪いんじゃないかって…。
絶対仕事だけは休まないと思ってやりましたけどね。
大変でしたねそれはねつらい…。
そういう時やっぱり支えになったんですかね?阪神さんの支えは。
みんなから「顔色悪いね」「どないしたんや」とかね知らん方には「どうや?がんか?」とか言われたんですが阪神ちゃんはひと言もそういうこと言わずに漫才やってくれましたね。
僕はわかってるんです。
漫才で「ええかげんにせえ!」ってこう触るでしょ?いつも腕太いんですよスポーツマンですから。
その腕がねフッてやったらね細いんですよ。
どんどんどんどん細なっていくんです。
でもそれを言うとものすごい気にするんでそれはもう全然ひと言も言わずに。
気が付かないふりして…。
舞台で前がね本当にもう真っ白になるそんな感じの時が何回かあったんですよ貧血で。
倒れたらどないしよう?前へ倒れたらお客さんに当たるな。
後ろ倒れて頭打ったらいかんな。
こっち倒れて阪神のところ行ったらこいつよけるんちゃうかな?とかね。
本当にそんなん思うて…。
そうですよねうん。
「そうですよね」…。
でもそうですよそりゃあ。
そうですよね。
本当に具合の悪い時って。
はい。
そういう時ありましたけどね。
そうですか。
ちょっとコマーシャル挟みまして今いくよさんのお話をちょっと伺いたいと…。
本当に悲しいことだったんですけどこの5月にいくよさんがね今いくよさん亡くなって今どんなお気持ちでしょうと思いますが。
いやー先輩ですのでね…。
あちらが先輩?はい。
実は吉本に入る時に一番最初洋之介・喜多代師匠…洋之介・喜多代という師匠がおられまして。
そこに僕らが「入れてください」って言ったんです。
その時は「弟子が多いからうちは取れません」ってお伺いしたんですよ。
で岡八朗さんの弟子になったんですが。
いくよ・くるよさんというのがその洋之介・喜多代師匠のお弟子さんでそのまま入ってたら僕らはいくよ・くるよさんの弟弟子になるんです。
そうなんですか。
その亡くなるちょっと前にここにいらしてくださってね悪かったんだけどもう治ったってねとてもお元気そうでしたからね安心してたんですよね。
僕らも本当に安心してたんですがね。
そうですか。
でも…どうぞお一人でもお元気でおやりになってくださいって仰ってくださいね。
はい。
でね本当はどっちかっていったらくるよ姉さんのほうが…太いほうの方のほうが病気がたくさん持ってはって。
心臓も悪かったはずなんです。
いっぺんね劇場で僕らが漫才やる前に…僕らの前にいくよ・くるよ姉さんがやってはったんですよ。
僕らはそのあとで…こう待ってたんです。
ほんなら舞台は見てないんですが舞台の上からドーン!いう音がしたんですよ。
ものすごい音鳴った。
ドーン!っていう。
何があったのかなって…。
舞台見るとくるよ姉さん太いほうがバーン!倒れてはったんです。
舞台で倒れてるんですよ。
心臓やった?心臓ですねあれ。
心臓で。
ほんでいくよ姉さん…亡くなられたいくよ姉さんが「くるよちゃん何してんの?早よ立たなあかんやん」「何してんの?そんな冗談しいないな」言うてたら本当に心臓で倒れはりまして。
「これほんまや」と。
「うわっ!えらいことや!」って「どんちょう下ろせ!」ってどんちょう下ろして。
幕下ろして。
その時に僕らも駆け寄って「どうしたらいいんですか?」って。
ほんだらいくよ姉さんがくるよ姉さんに「くるよちゃん水飲む?水飲むか?」って聞いた時に「飲む」とちっちゃな声で…。
うなずいたんです。
その時もうコップから飲ませられないしペットボトルでもおかしいし。
その時にいくよ姉さんが口に水を含んで口移しで相方に…。
えー…。
見てましてやっぱり女性コンビってすごいなと思いましてね。
すごいですよね。
それしか彼女は水を飲む方法がなかったんですもんね。
これ僕らにそんなんあったらできるかなと思ってね。
「僕は倒れたらやってあげるよ」言うたら「嫌や」って言うんですよ。
あれからよくおなりになってそれはよかったんですよね。
元気でねずっとやってはったんですよ。
まさかねいくよさんのほうが亡くなるとは思っていなくてね。
全然想像もつきませんでしたね。
そうですね…。
そうですか。
私大阪行ってドラマシティっていうところに1年に1度芝居行くんですよ。
そうするとおたくの…おたくのって…吉本の前にいいお寿司屋さんがあるんですって?あります。
そのお寿司屋さんから今いくよさんとくるよさんがねこんなに大きなお寿司をね差し入れてくださるんですよ。
それで私うれしくてみんなで分けて食べたりしてたんですよ。
それでいつか若い吉本の方にね「あのお寿司屋さん行ったらねいつも本当にありがとうございますって言ってください」って言ったら「あんな高いところうちらよう行かれません」って言われて。
そんな上等なお寿司屋さんなんだ?高級なね素晴らしいお寿司屋さんです。
そうなんですか。
でもまあそういう悲しいこともあったりもねするんですけど。
ちょっとあの…あなた方に前ほら2人が小さい時名前付けてくださった方いらっしゃるでしょ?はい。
何ていう名前だっけ?さっきの。
ゴンスケ・マンスケ?そうそう。
ゴンスケ・マンスケ。
ゴンスケ・マンスケって名前を付けてくださった方がねちょっとなんか…。
文枝師匠?ええ。
実は2人にメッセージをくださいました。
うわっうれしい。
よろしいですか?はい。
ありがとうございます。
いただきました。
読ませていただきます。
「巨人君こと南出君は卵屋の息子さんです」「阪神こと高田君とコンビでよく私が司会していたラジオの深夜番組『ヤングタウン』に出演してくれました」「でこぼこコンビのお二人は若い頃から芸達者でした」「アマチュアの芸を披露するヤング寄席というコーナーがありましてそこに出演する若者には私が芸名を付けました」「お二人に付けた芸名はまねまね亭ゴンスケ・マンスケです」「とにかくモノマネが上手でした」「会場の若いお客さんを沸かせのせるのがとてもうまかったのです」「またそれだけではなく司会者の私まで南出君の卵を運ぶ車に乗せてくれました」「そんな時私はプロになることを勧めたように思います」「お二人の漫才は最近ますます磨きがかかっていますね」「テンポもあるし最高のレベルに達していると思います」「今こそ吉本の大看板エンタツ・アチャコの大名跡を継ぐ時ではないでしょうか?」「いつまでも健康に留意して頑張ってくださいね」「六代目桂文枝」うわーどうも師匠ありがとうございました。
ありがとうございます。
なんていいお手紙でしょうか。
本当ですね。
あなた方の若い時のことをこんな卵の車に乗せてもらったなんていうことをね…。
僕が卵屋やってる時に…アマチュアの時ですね。
送ったんやね。
はい。
送らせてもろうたんですよ。
その僕の車…うちの仕事の車なんですがその横に文枝師匠…当時の三枝師匠乗ってくれはってそれがまたうちのおやじがもう自慢で。
それはうれしいよね。
「ここ三枝さんが座ったんやで」「簡単に人を座らせたらあかん」とかねよう言うてはりました。
でもそれをちゃんと覚えていらしてね…。
本当にありがとうございます。
どうぞお持ち帰りください。
お忙しいのにねこんなに…くださって本当にうれしいと思っています。
お二方の家族のこともちょっとお伺いしますけどちょっとコマーシャルです。
巨人さんはお子さんが?3人いてます。
3人いらっしゃってそれで孫も…?孫も4人。
今度4人目ができました。
そう。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
それじゃ本当にみんなが集まるとにぎやかで…。
そうですね。
ワイワイガヤガヤ本当に…。
そうでいらっしゃいますか。
それはようございました。
そうですかそうですか。
阪神さんちょっとお子さんはどうなの?1人います。
これは何ですか?これ40周年の我々記念リサイタルをなんばグランド花月でやった時に息子と漫才をするというコーナーが…作っていただきまして。
これ息子さんですか?左側。
はいそうなんです。
ハンサムですね。
ハンサムというか僕の若い頃とそっくりな…。
ということはハンサムなんですね。
そう言うときましょう。
一応漫才師志望のところもあるんですよ。
なんか吉本の学校行っていらっしゃる…?そうなんです。
今入れていただいて。
なんか知らん間に漫才を組んでて…。
でも今の写真ちょっともう一回見せてください。
随分坊ちゃんはあれですね今風ですね。
ちょっとね髪の毛はねちょっとパーマをかけて…。
で一緒におやりになってみてどんな感じでした?あのね親子でしょ?家におったらねなかなかネタ合わせしないんですよ。
ギリギリにネタ合わせをしてしもうてあんまりいい出来ではなかった。
「せやろ?」って。
「漫才難しいやろ?」って子供に言うんですけど…。
あのねいっぺん子供にね「漫才やめ」って言うたんですよ。
ほんで…18歳の誕生日の時に「漫才やめ」と。
ほんでもう「何か好きなの買うたる」って言うたら「漫才台本買うてくれ」と。
プロの人の。
僕らよう書かんから。
もういっぺん10分のネタが欲しいって。
そこからもう「漫才やめ」ってよう言わんようになってしもうたんですよ。
じゃあ本当にお好きなんですね。
なんかねちょっと奇麗で音楽でもおやりになりそうな感じ。
今風のね音楽でも…。
もうちっちゃい頃悪かったんですけどね。
うちの相方に怒られてましたいつもね。
僕はもうどっちかっていえばお父ちゃん役でしたね。
ええそうですけども…。
漫才のことも僕にしか聞きに来ないんです今。
私が教えたる言うたら「いや」…。
「阪神君に聞いたらええ」「お父さんに聞いたらええやん」言うんだけども「お父さん漫才のことわかってあれへんから」。
ハハハ…!ひどい。
ほんまに言うんですよ。
僕に聞きに来るんです。
そうなんですか。
さて結成40周年っていうことでライブのDVDをお出しになったんですね。
ちょっとごめんなさい。
それから…。
『ふたりのW成人式』というのが東京公演である。
これはオール阪神・巨人40周年記念公演っていうことで11月の8日に銀座ブロッサムで。
14時からですね。
これさんまさんがゲストに…。
さんまさんがね。
さんまさんと僕と同期ですから。
同期ですってねそうですってね。
それでなんばグランド花月で40周年記念公演『ふたりのW成人式』のDVDが11月18日に発売の予定だということで…。
7月にやったやつがDVDになりました。
そうですか。
でもあれですよね。
そういうご自分たちがおやりになったものがDVDになって時代ですよね。
そういうものがあとで見られるというのがね。
そうですね。
そうですね。
必ず昔のを見ると「若かったな」とか「この時よかったな」とか思いますよね。
でもやっぱりないよりはあったほうが…。
もうちょっと少し…今度ね5年とか3年とか短めに…。
よろしくお願いします。
また呼んでください。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
どうぞ。
2015/10/28(水) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 オール阪神・巨人[解][字]
〜結成40周年!波瀾万丈のコンビ愛とは〜オール阪神・巨人が今日のゲストです。
詳細情報
◇ゲスト
今年で結成40周年!上方漫才の大御所のオール阪神・巨人が登場。
◇番組内容
“歳の差”が5歳もあり、性格もまったく違う2人は、ケンカが絶えず決して仲がいいコンビとは言えなかったという。しかし6年前、先輩「今いくよ・くるよ」のくるよさんが舞台で心筋梗塞で倒れたとき、いくよさんが口移しで水をあげているのを目撃し“コンビ愛”とはこういうものかと感激して以来、変化が…。その後、巨人さんがC型肝炎を患ったときは、阪神さんが精神的に支えになったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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2/0モード(ステレオ)
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