生字幕放送でお伝えします伊藤⇒スタジオパークから…観客⇒こんにちは!きょうの司会は戸田恵子さんです。
戸田⇒よろしくお願いします。
きのうは寒いと言っていましたがきょうは暖かくなっていましたね。
暑いぐらいです。
夏日になると言っていました。
きょうはスタジオヒートアップというよりもしっとりとした歌はきょうは聴けますよ。
連日、スタジオがライブハウスのようで本当に幸せです。
本日のゲスト、シンガーソングライターで俳優のりりィさんです。
♪〜
(「私は泣いています」)お願いします。
りりィさんといいますと今も流れていますけれども1974年の大ヒット曲「私は泣いています」。
戸田さんは、よくこの歌を?もちろんですよメガヒットですもの。
知らない人はいないですよ。
よく歌いました。
戸田さんもですか。
ありがとうございます。
当時この曲がヒットしたときはりりィさんは?22歳です。
当時どんな感じでしたか。
この曲がヒットしたとき。
なんか事務所は喜んでくれて、私はなんか、意味が分からなかったんですけど。
ひと事みたいな。
大体デビューしたとかレコードをだったんですその当時そういう感覚があまり分からなくてでもなんかすごいことなんだなというのは周りの感じから分かったんですけれどもね。
「私は泣いています」実は今週の土曜日にBSプレミアムで放送する「ザ・フォークソング〜青春のうた〜」で披露していただくということなんですね。
きょうもスタジオパークで生で2曲披露していただきます。
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よろしくお願いします。
デビューから43年輝く女性りりィさんにぐぐっときょうは迫っていきたいと思います。
そんなりりィさんへの質問とメッセージ、こちらのほうへお寄せください。
りりィさんスタジオのお席のほうへお願いします。
どうぞ。
シンガーソングライターで俳優のりりィさんです。
りりィ⇒よろしくお願いします。
スタジオパーク15年ぶりですね。
そんなに時がたったと思えないんですけれどもね。
あっという間という感じですか?過ぎてしまえば。
だんだん年を重ねてだんだん短くなっていきますよね1年間が。
そんなりりィさんご出演のNHKの番組、先ほども紹介しましたが「ザ・フォークソング〜青春のうた〜」今度の土曜日放送です。
フォークソングの伝説のような方々がたくさん出演されます。
こうせつ筆頭にいろいろ。
そのころはもう1回終わったのかな?マキとかが出たのかね。
第2夜です。
今度の土曜日です。
1970年代を彩った名曲がずらり。
フォークソングの達人たちが懐かしの名曲を熱唱します。
きょう最後のゲストはりりィさんです。
彼女のハスキーな歌声に、僕はねジャニス、ジャニス・ジョプリンを重ね合わせてしまうんですね。
りりィさんは「心が痛い」と「私は泣いています」の2曲を披露してくださいます。
♪「私は泣いていますベッドの上で」♪「私は泣いていますベッドの上で」♪「あなたにとって」♪「愛のくらしは」♪「とてもいやなことばかり」思わず目を閉じて聴き入ってしまう感じですか戸田さん。
ずっと聴いていたいですね番組見なくても。
いやいや、番組をぜひ見ていただきたいと思います。
これは70年代大ヒットした曲です。
りりィさんにとって70年代はどういう時代だったんでしょうか?60年代の中盤からちょっと引き続いていると思うんですけれどもなんかすごく音楽シーンがどんどん変わっていった時代なんですよね。
ジャズがはやったかと思えば今度はロックがはやってそのころは私は大体16歳ぐらいだったんですけどなんか初めて聴くロックに結構驚いて。
そのロックの時代に育ってきてそれでもって私たちの時代はフォークロックという時代があったんです。
だからフォークとロックが混じったようなロックバージョンに日本語の詞が、というふうなイメージなんですかね。
私はプライベートで東京に出てきて、わりとすぐのころに原宿のお店でりりィさんとか拓郎さんとか皆さんがいらっしゃるところに何度か遭遇したことがあります。
本当ですか?東京はすごいなと思って。
身近にすごい人がいるぞと。
そうなんですよ。
原宿の裏のほうのお店とか。
当時よくいらっしゃったんですか。
うちの当時の事務所と拓郎たちの事務所が当時すごく仲がよくてその店に暇なときはみんな夜な夜な集まってそこが毎日のように飲み会で。
毎日のように飲みに行っていたんですね。
だからこうせつたちとか正三さんとか。
東京ってすごいなと思ったんです。
70年代ってそういう感じだったんですね。
早速でございますが70年代の曲を1曲をここで生で歌っていただきたいと思います。
歌う曲は、いちばん最初にまともに作った曲。
どれもみんなまともですよ。
「愛」という曲です。
母親がその前に亡くなってしまってなんか、その母親のことを思ってやっと少しさみしさが抜けたころにできた曲というので、ちょっと昼間聞かせるにはちょっと暗すぎるんですけれども。
ぜひ、ありがとうございます。
ご準備のほうお願いします。
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りりィさんご出演の「ザ・フォークソング〜青春のうた〜」。
BSプレミアムで31日夜8時からです。
こちらでも2曲披露していただくということです。
収録もすごく楽しかったんじゃないかって。
想像できますね。
70年代の当時、青春を迎えていたお客様もたくさんいらっしゃっていたという感じでした。
歌を聴いていただきましょう。
ギター演奏は齊藤洋士さんでりりィさんで「愛」。
♪〜♪〜
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ありがとうございます。
ありがとうございます。
ぐっと聴き入ってしまいましたけれども。
しっとりと。
今聴くと70年代とはまた違った感じですっと入ってくる気がしましたね。
歌もなんか、大人になるんですね。
気持ちがどんどんやっぱり変わっていくじゃないですか。
だから同じ歌でもエッセンスが変わってくるんですけど、やっぱりそれでももうこの歳だと歌えないという歌もあるんですよ、やっぱり。
だからこの歳も感情が入っていけるそういう歌をチョイスして今も歌っているんですけど。
そんなりりィさんに戸田恵子さんにぐぐっと迫っていただきましょう。
りりィさんは1952年生まれ。
小学生のときは国語が大好き。
詩を書くことが得意な少女でした。
どんな詩を書いていらっしゃったんですか?あまり覚えていないんですけど単純に普通の詩で途中から歌詞というのを覚えて歌うというのが自分の間近に感じてきた時期があったんです。
そこから歌詞をずっと書いて愛だの恋だの花だのという感じの詞なんですけどね。
音楽を本格的に始めたのは中学3年生のとき。
ギターを教わり弾き語りを始めます。
中学卒業後には、曲作りも始め生活費を弾き語りで稼ぐほどになりました。
中学卒業と同時に?たまたま、うちの母親があなたは中学卒業したんだから1人でやりなさいと言って私は箱根に行くと言って行っちゃったんですよ。
しかたがなく、なんかアルバイトとかをやりながらそのうちに歌を人に聴いてもらうというのは、そこで何かなんかお金が発生するということを分かってじゃあそれがいちばん楽かなと思って。
歌ってお金がもらえるほどの力がないと。
力というよりも、もの珍しさだったと思うんですよ女の子がギターを弾いて歌うなんてその時代なかったですから。
お店を回って。
すごいですね。
そんなりりィさん、17歳のときたった1人の身寄りであるお母様を亡くします。
17歳のときに。
ちょっと早かったですよね。
母子家庭で育って、全く知り合いがいなくなっちゃうわけですね。
そうですね。
どうしようかと思いませんでしたか?あまり思わなかったんですよ。
なんか、何だろう。
弾き語りで一応?生計を立てていましたからね困惑はなかったんですね。
大人だったんですね。
早熟というか独立していた。
お母さんがやりなさいと言ってくださったおかげでできているということもあるでしょうね。
きっとそういうのもあるでしょうね。
大変だったと思います。
さっきの歌もそうですけれどもお母さんを亡くして孤独に感じた部分もあったでしょうね。
やっぱり半年ぐらいはしんどかったですね。
でもなんか毎日毎日夢の中に出てきてくれて夢でずっと半年間暮らしていて。
あれも不思議な体験なんですけどね。
必ず山の上におうちが建っててそれでいつも生活してるところなんですけど、そこにいるんです。
普通に生活しているんです、そこで。
あれは不思議でしたね。
その後、18歳でスカウトされ20歳でレコードデビュー。
1974年、22歳のときに作詞・作曲した「私は泣いています」が大ヒット。
人気シンガーソングライターとなります。
かっこいい。
その当時の時代という感じがしますね。
スタイルもね。
足も長い。
なんで短くなっちゃったんでしょうね。
そんなことないです。
さらに大島渚監督の映画に出演されて俳優活動もスタートします。
俳優活動もスタートします。
このころ、一躍注目されたということですがどうでしたか。
なんかうれしいような恥ずかしいようなどうしたらいいか分からないというか難しかったですね。
半分やっぱりちやほやされるものだからその気になってしまったり自分の中ではあまりいろいろなことを覚えていなくてあのころはどうだったこうだったと細かいことを覚えていないぐらい忙殺されたときで。
おかげでなんというのでしょうか歌を続けられているんだけれども「私は泣いています」のおかげで一時はこの曲を歌うのも嫌になった時期もあって。
そんなりりィさん大ヒットしたんですけれどもここでクイズです。
視聴者の皆さんの画面、決定ボタンがある場合は決定ボタンを押してクイズに参加してください。
17歳でスカウトされてデビューしたりりィさんは、そのときにあることを決意して歌手の世界に入ったということです。
この3つからお選びください。
メールが届いています。
北海道の方からです、50代の女性です。
北海道道東の標茶町という町に住んでいる50代です。
りりィさんが塘路にいらっしゃったとき釧路のほうにありますねいらっしゃったとき、生の「私は泣いています」を聴いて感動しました。
かつてテレビで見たことしかないりりィさん、とてもきれいで気さくな方でした。
また、ぜひいらしてくださいといただいています。
ぜひぜひ。
道東に行かれたんですね。
そして石川県の50代男性の方からです。
りりィさん、こんにちは。
中学生のとき兄の買ったレコードがりりィさんの曲でした。
そのころからずっとファンです。
素朴で優しい人柄のりりィさんが大好きですといただいています。
ありがとうございます。
兵庫県の50代女性の方です。
りりィさんお元気ですか。
まあまあです。
ライブステージ拝見しました。
りりィさんの歌が大好きで私も今度のライブで「私は泣いています」をギターで弾き語りします。
この方も歌われるんですね。
すごい。
ステージ、精いっぱい頑張ります。
りりィさんまたライブステージがあればいきますね。
待っておりますといただいています。
よろしくお願いします。
りりィさん歌手になるときに、ある決意があってデビューしたということです。
視聴者の皆さんの答え、圧倒的に多いのが緑の2年でやめるです。
2853ですね。
答えは、2年でやめようと思いました。
やめようと思っていた?人前に弾き語りとかをやっていたんですけどそんな人前に出てやるのってすごいてれ屋だったのですごい嫌だったんですよ。
でもなんか大人に囲まれて断れない状態。
あまり断るのが苦手で断れなくて経験してみてどうしてもだめだったら2年でやめさせてくださいと契約が2年だったもので2年でやめさせてくださいと言ったんです。
一躍大注目ということになりました。
プロフィールの後半です。
音楽活動、俳優活動が順調な中りりィさんは1983年に結婚。
そして2年後に男の子を出産したことを機に、育児に専念されます。
このときは仕事をおやめになって。
私はそれまで器用な人だと自分と思い込んでいて聖徳太子みたいに7つのことでもできるぞと思っていたんです。
子どもが産まれたとたんに一切子どものほかに感情が入らなくなってしまって。
子ども一筋だったんですね。
歌を歌っていても気持ちが入らないものですから私の歌、結構気持ちが入らないと歌えないのでちょっと今、無理だなと思ってとりあえず今は子育てだけにさせてくださいと言って。
その時々のりりィさんのお気持ちがはっきりされているんですね。
自分の意志で。
自分でもびっくりしました。
2年で考えさせてくれ、とか今は自分の歌が歌えないから育児に専念しますとか当時は珍しい感じかもしれませんね。
息子さんに専念されたということですね。
およそ10年の休業を経て1995年から芸能活動を再開し積極的に新しいことにチャレンジを始めます。
1997年のドラマ「青い鳥」では初の母親役に取り組み注目を集めます。
NHKでもドラマ10「さよなら私」で主人公の母を演じました。
娘から末期がんであることを伝えられるシーンをご覧ください。
頑張ったのね。
よくできました。
♪〜お芝居をするということは俳優としても活躍していらっしゃいますけれど。
戸田さんを前に恐れ多いんですけれど。
私は根っからやはり芝居をやるというスタンスはとてもできないのでもともと役者ではありませんでしたのでその人になってみたり生活環境の中でその人がどういう思いでそういうせりふを言うのかなとかそういう方面からやるんですけれど、だから基礎がないものですから雰囲気でしかない。
でも本当にすばらしいです。
切ないシーンでした。
1999年にはボーカルユニットりりィ+洋士を結成。
ツインボーカルという新しい音楽スタイルにも挑戦。
ことしは日仏合作映画「FOUJITA」にも出演するなど、さまざまな表現活動を続けています。
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ありがとうございます。
ここで転機になったことについてほぼ10年間ほぼ活動休止していたということですけれど子育てのためですね。
ここでクイズです。
10年間子育てに専念していたんですけれど復帰のきっかけの、ある出来事があったそうです。
それはいったい何なのかお考えください。
いったい、どんな出来事があって復帰を決められたんでしょうかお考えください。
メールをご紹介しましょう。
福岡県の方からです。
30代女性の方です。
りりィさんが母親役をされるのが好きです。
永作博美さん、山口智子さんのお母さんをされていましたね。
りりィさんの演技は素朴で何か優しくていいんです。
そこにいるという存在感があるんでしょうね。
そんなことありません。
埼玉県の方からです、女性の方です。
NHKのドラマで歌人の、壮絶なシーンを演じられたのを見て感動と衝撃で「私は泣いていました」。
歌とかけているんですね。
りりィさんの、存在感のあるそれでいて自然な演技卓越した俳優さんになっていらっしゃって「さよなら私」の確執を抱えた母親もとても印象に残っていますということです。
雰囲気が何か独特ですよね。
やわらかい感じがあったりアンニュイな感じを出されたり。
ふだんはどんなことをされていますか?お仕事とかないときのりりィさんはふだんは何をされていますか?趣味とか、されていることはありますか。
今、全くないんですよ。
体にいいことを何かするとか?ただ、海のそばに住んでいるので窓から見える海の景色がちょっとぜいたくですね。
いいですね。
そういう土地に住んでいるのが心の洗濯みたくなっていますね。
すばらしい、すてき。
りりィさん、10年間の子育てに専念して、復帰するときあることがきっかけになったということです。
それはいったい何だったのか。
視聴者の皆さんの答えはこちらです。
圧倒的に赤が多くなっていますね。
そのほかは同じぐらいですね。
りりィさんお答えは?お母さんだったらたぶん分かると思うんですけれど膝に乗らなくなったんですね。
それで復帰を?そうなんですよ。
今まで自分の中にいっぱい詰まっていた思いがある日、子どもは大人になっていくわけでお友達と遊んでいつしか膝に乗らなくなるんですよね。
帰ってきたら膝に乗っていたのに、定位置のようにいたのにそれがいなくなってランドセルを置いて友達のところへ遊びに行くようになって、私はもう必要じゃないんだと思ったときによりどころがなくなっちゃってでも自分が心のよりどころにできるのはやっぱり歌かなと思ってそういう思いで始めてみようと思いました。
自分が輝くためにということもあるんでしょうね。
母親がそんなふうにくじけていたら気にしちゃうじゃないですか子どもは。
だから私が元気にしているとその分、安心してくれるかなと思って。
そして復帰をされていらっしゃるということで続いて伺うテーマはこちらです。
復帰してすぐ歌える感じにはなったんですか?自分の中では日本語を一切歌わずに日本語だと感情が入っていかないんですよ。
ロックとか英語の歌を2年間ぐらい歌ってリハビリをして、その歌が心の中に入ってこられた、自分の歌が。
自分が人に感じてもらうということは、自分が感じないとだめだなと私は思っているのでそれで、やっとある日できて、これだったら日本語も歌えるなと思ってそれからまた始めました。
すぐに、というわけではなかったんですね。
長かったですね。
実際に歌ってみて、どうでしたか。
声とかブランクがあったわけですよね、10年間ぐらい。
それはどうでしたか。
声はうまく出たんですか。
いちばん困ったのは声がきれいになっちゃったんです。
ついでにお酒もずっとやめていたので。
そうだったんですか。
今でもだいぶきれいなんですけどそこを責められるんですよ。
声が変わりましたねきれいになりましたね、と言われるんです。
おかしい。
りりィさんというとハスキーボイスですよね。
それが急にクリアな感じで。
歌い続けていると使っていくからそういうこともあったかもしれませんけれどすごく新鮮なお休みがあって。
もともとトラブルがあったわけではなくて、赤く腫れていただけだったんですって、診てもらったら。
歌うのを休んでいれば治っていきますよと前に言われていたんです。
本当に治ってしまってどうしましょうと。
すてきなお声ですよ、本当に。
でも逆にまた違ったりりィさんですよね。
私は17歳まで、もともとクリアボイスだったんです。
お酒とかそういうものでのどを潰してしまってあんな声になってしまったんですけれどそれがまた声が戻ってきたかなという感じで私は歌いやすくてとてもいいんですけどね。
おもしろいと言ってはなんですけれどそんなことがあるんですね。
気持ちというか、取り組み方は変わってきましたか。
70年代に歌っていたときと今歌っているときは歌への気持ちは変わっていますか。
あのときに新鮮な気持ちというのはデビューして歌い続けている間になんかちょっと汚れてきましてなんて言うのでしょうかお客さんを度外視して歌っていたときもあったりしてあまり自分の好きな時代じゃないです、どちらかというと。
今は小さなライブ会場を主にやっているんですけれどすごく近くでお客さんとの距離感がすごく短くて、お互いにキャッチボールをしながら歌っている感じでその場ができるのでとても楽しみですね。
一個一個全然違うので。
そういうふうに変わってきているんですね。
では早速、今度、第2章ではありませんけれど、続いて歌を歌っていただこうと思います。
歌っていただく歌は?りりィ+洋士でやっているんですけれどその中での曲を1曲歌って聴いていただこうかと思います。
洋士が作曲で、私が作詞で構成しているんですけれど私の線とは全然違った感じの歌が歌えているんです。
その曲を聴いていただきたいと思います。
これは、ある平和会議というのがありまして世界的なんですけれどそのために作ったんですけれどその平和会議がなくなってしまってどうしようと。
メッセージソングとして子どもたちに何を残していこうという自分で考えましょうという曲なんですけれど私たちの雰囲気じゃないねと思っていてやっていたら震災とかがありましてきっかけに私たちがこれを伝えていこうよということで歌っています。
タイトルは何ですか。
「残そう」です。
では歌のご準備をお願いいたします。
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それではお時間を少しいただきまして総合テレビこのあとの番組を新聞のラジオテレビ欄ラテ欄でご紹介します。
今夜はずっといきまして夜8時「ためしてガッテン」長寿ホルモンを出す方法です。
メタボ、糖尿病一挙解決ということです。
いったいどんな方法があるんでしょうか、今夜8時です。
そして夜10時「歴史秘話ヒストリア」。
こちらは人物ではなくて松江城が主人公です。
城を襲う幽霊が出てくるということです。
今夜10時ぜひご覧ください。
では歌をお聴きいただきましょうりりィ+洋士で「残そう」。
♪〜
拍手
ありがとうございました。
りりィ+洋士のお二人でした。
齊藤さんありがとうございました。
ありがとうございました。
手話も入れていましたね。
何も、音だけではなくて洋士はギターを弾きながら歌っていて私は歌だけ歌っているのもなんだなと思ってすることがないかなと思ってこの曲だけなんです。
手話を勉強して。
そのために勉強されたんですね。
すごくいいメッセージがたくさん詰まった歌ですね。
70年代のリズムとまた違っていますね。
ありがとうございました。
最後に視聴者の皆さんからいただいた質問・メッセージにお答えしていただきます。
質問です、福島県の方からです。
ずっと前から気になっていましたけど、りりィさんのお名前の由来は何でしょうかということでいただきました。
全然おもしろくないんですけれど16歳ぐらいのときに友達どうしで外国の名前を付けるということが、はやっていたんです。
そこで私はりりィだったんですけれどほかの人は全部消えていって私だけりりィが残ってしまったんです。
そのままりりィになってしまいました。
ニックネームだったんですね。
愛知県の方からです。
50代女性の方です。
やわらかな雰囲気のりりィさんすてきです。
そんなりりィさんはふだん怒ることはありますかといただきました。
今は、ほとんどありません。
今は、ということですか。
いろいろありましたよね。
お子さんをきつく叱られたりということもありましたか。
2歳半ぐらいまでは叱っていたんですけれど何でそんなに怒るの?と言われて反省してそれからやめました。
メッセージです。
山形県の方からです。
きょうは「愛」を歌っていただきありがとうございました。
2年前に歌っていた母ばかり見ているさみしくなっていた心にしみていきました。
声を出して泣いて聴いていました。
すてきな女優さんりりィさん大好きですといただきました。
愛媛の6人の孫のおばあちゃまからいただきました。
大好きです。
りりィさんに憧れて酒とたばこでハスキーな声を目指します。
全然だめでした、今はたばこもやめていますということです。
弾き語りは今もやっています。
永遠のあこがれりりィさんこれからもご活躍くださいといただきました。
静岡県の方からです。
かっこいいお姉さんが歌っているあの歌を歌いたいと一生懸命覚えて観光施設でのど自慢大会で歌って優勝したことが今でも自慢ですといただきました。
すごいありがとうございます。
りりィさんは今もかっこいいですといただきました。
兵庫県の方からです。
映画「FOUJITA」を拝見しました。
りりィさんのたたずまいと表情せりふどれをとってもすばらしく俳優りりィさんの底力が胸に深くしみこんできました。
本当に見事に演じられたと私は思いました、といただきました。
ありがとうございます。
2015/10/28(水) 13:05〜13:52
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは りりィ[字][双]
“ザ・フォークソング”に出演 1970年代の青春を語る ゲスト:りりィ 司会:伊藤雄彦アナ、戸田恵子
詳細情報
番組内容
双方向データ放送番組。テレビのリモコンを使って、ゲストに関するクイズやアンケートに挑戦!気になるゲストの生トークにあなたも参加しませんか?テレビをネットにつなぐとさらに楽しめます。
出演者
【出演】りりィ,【司会】戸田恵子,伊藤雄彦
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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