今、ある映画監督が静かなブームを呼んでいます。
詰めかけた若者たちが見つめるのは50年前に撮られた戦争映画。
鬼才として知られた岡本喜八監督の作品です。
10年前に亡くなるまで39本の映画を送り出した岡本監督。
それまでの戦争映画の常識を打ち破る奇想天外なストーリー。
娯楽性を追求しながらも戦争の本当の姿を伝えています。
半世紀の時を超え再び輝きを放つ岡本喜八監督。
今の時代に通じるメッセージを読み解きます。
こんばんは。
「クローズアップ現代」です。
戦争の本当の姿を次の世代にどう伝えるのか。
この70年の間生き残った人々の証言や新たな事実の発掘などを通して戦争の記憶を残していこうという様々な模索が続けられてきました。
しかし、戦争を知る人々が次第に少なくなる中で戦争の記憶の継承はますます難しくなってきています。
終戦から高度成長期へと時代が激しく変化する中映画を通して戦争と向き合いいかにして自分が伝えたいメッセージを作品に込めるのか試行錯誤を続けてきたのが10年前に亡くなった岡本喜八監督です。
終戦直前に徴兵された岡本監督。
兵士としての8か月間は栄養失調と特攻訓練そして死の恐怖と向き合うしれつな体験だったと振り返っています。
戦後、商業映画の監督となった岡本監督。
1959年に初めて戦場を舞台にした作品「独立愚連隊」というはみ出し者の兵士を主人公にした作品で、大ヒットを飛ばします。
その後も中国大陸の戦場を舞台に日本の兵隊を主人公にした作品を次々と制作していきます。
いずれの作品でも当時の戦争映画では珍しかった軽快なテンポ痛快なアクションやユーモアにあふれ多くの観客は娯楽映画として作品を支持したのです。
しかし、岡本監督が作品に込めた戦争の愚かさや軍隊の非人間性などの描写には必ずしも当時大きな関心は集まりませんでした。
これらの作品が作られてから半世紀余りたった今改めて岡本監督の戦争映画に若者たちの共感が寄せられています。
今夜は岡本喜八監督が戦争映画に寄せた思いをたどります。
20年前アメリカで映画の撮影を行う岡本喜八監督の映像です。
西部劇やミュージカルに憧れて映画の道を志した岡本監督。
50年近い監督人生を通して貫いたのは見る人を楽しませたいといういちずな思いでした。
岡本喜八の名前を知らしめたのは監督になって2年目。
初めて挑んだ戦争映画でした。
昭和34年に公開された「独立愚連隊」。
太平洋戦争末期敗色濃厚となった中国戦線に送り込まれたはみ出し者たち通称、愚連隊が活躍する物語です。
よーし、逃げろー!
異色の主人公が繰り広げるアクションとラブストーリー。
岡本監督みずからが脚本を手がけました。
兵士たちを英雄視するのではなくコミカルに描いたこの作品。
戦争を愚弄していると批判を受けましたが興行的には大ヒットしました。
岡本監督は後にこの映画に込めたある思いについて語っています。
戦争を独自の視点から描こうとした岡本監督。
そこには、みずからの体験が大きく影響していました。
映画界に入ったのは19歳のとき。
太平洋戦争の真っただ中でした。
岡本監督はすぐに軍需工場に徴用。
その後、陸軍予備士官学校に送られます。
そこで目の当たりにしたのは爆撃によって次々と殺されていく仲間たちの姿。
皆、20歳前後の若者でした。
岡本監督から強い影響を受けたという映画監督の塚本晋也さんです。
岡本映画には戦争を体験した者にしか描けない境地があるといいます。
戦後70年のことし。
再び注目される岡本監督の作品。
今を生きる若者たちは何を感じているのか。
「独立愚連隊」のラストシーン。
本隊が撤退する中愚連隊だけが取り残されます。
最後まで戦う隊員たちに多くの若者が共感していました。
先行きが見えない時代の中で岡本映画の主人公にみずからの姿を重ね合わせる人もいます。
会社員の奥山翔平さん26歳です。
奥山さんの心に残ったのが特攻隊の若者たちが出征前に最後の宴会を開くシーン。
もし自分が同じ立場だったら同じようにふるまうことができるのか考えたといいます。
商業映画を通して戦争の姿を描いてきた岡本監督。
しかし、自分が本当に描きたいこととの間で葛藤していました。
監督となって9年目に取り組んだ超大作「日本のいちばん長い日」。
ご聖断は下った。
描いたのは戦争の終結を伝える玉音放送を阻止しようとする軍部と政府との攻防です。
陛下の録音が放送されてしまってはすべてが終わりになります!
映画は4億円を超す大ヒット。
数々の賞を受賞しました。
一躍、脚光を浴びた岡本監督。
しかし、映画の内容には納得していませんでした。
岡本監督の妻、みね子さんです。
当時、戦場で死んでいった末端の兵士や市民を描かなかったことに罪の意識を感じていたといいます。
自分が描きたい戦争とは一体何なのか。
当時の岡本監督の強い決意をつづった手記が見つかりました。
大変古めかしい原稿なんですけど。
タイトルは「肉弾とあいつ」。
次回作となる映画、「肉弾」の制作スタッフに宛てて書かれたものです。
「日本のいちばん長い日」の欠落した部分はことし「肉弾」で埋めねばならぬ。
「肉弾」は岡本喜八そのものである。
脚本は3年前から書き始めていました。
資金の半分は自分たちで集め1000万円の低予算で完成させます。
「肉弾」は特攻が決まった隊員の1日限りの休日を21歳の主人公、あいつを通して描きます。
候補生たちは入隊以来初めての24時間外出をいかに自由にいかに有意義に過ごそうかただそれだけを考えていた。
空襲によって両手を失った老人との出会い。
死んじゃだめだよ。
はっ?
死んじゃっちゃこんないい気持ちになれっこない。
そうですね。
その後、主人公、あいつは一人の女性と出会い、結ばれます。
俺は死ねる。
これで死ねる。
君のために死ねる。
俺は、君を守るために死ねるぞ。
映画、「肉弾」に込めた思いを岡本監督は手記の中でこう記しています。
岡本監督の映画に数多く出演している俳優の仲代達矢さん。
「肉弾」ではナレーションを担当しました。
今回、岡本監督の手記を初めて目にしました。
岡本監督の怒りが色濃く現れているのが「肉弾」のラストシーン。
右後方、敵空母1隻、接近。
主人公、あいつは特攻に失敗し、漂流を続けます。
あの太陽…。
そして、時代は一気に映画が公開された昭和43年へ。
若者たちでにぎわう海岸に流れ着いた、あいつ。
ばか野郎、ばか野郎ばか野郎!
危機感も知らずに泰平ムードに酔っている21歳の青年たちに伝えたい。
危機感を覚えている21歳の青年たちには拍車をかけたい。
無性にそう思ったのである。
今月。
都内の大学で学生が企画した「肉弾」の上映会が開かれました。
岡本監督のメッセージは若者たちにどう伝わったのか。
映画を通して戦争の本当の姿を伝え続けてきた岡本喜八監督。
81歳でがんで亡くなるまで次回作の構想を練り続けていました。
岡本喜八監督と親交があった、映画作家の大林宣彦さんです。
きょう私たちがいるここは、長岡造形大学の教室で、大林さんはきょうもここで戦争と映画についての授業を行われたということなんですけども、その若い人たちと接していながら、この岡本監督の映画が、共感を呼んでいるということの理由、どう見ていらっしゃいますか?
あのね、日本は一度戦争を忘れて、危機感をなくして、今のVTRにもあったように、浮かれていたんですけども、今、若者たちが再び危機感を肌で感じ始めたんでしょうね。
それゆえに、戦争映画を身近に感じてきた。
彼らはもう今やね、僕たちが戦前の人間だと言います。
だから、僕たちが作った過去の戦争映画を、これから未来を平和にするために、糧にしたいということがね、今本当、どこの大学でも、高校生や中学生までがね、ビデオで戦争に関するエッセーのような映画を作り始めてるんですよ。
何か切迫感を感じてるということですか。
やっぱり時代が、どこかね、危機感を感じさせるんでしょうね。
そんなことでこの喜八さんの昔の映画が今によみがえって、不幸なことに、時代が喜八さんの戦争映画に追いついてきたと。
戦争映画の幸せは、時代の不幸ですからね。
痛烈な体験をした岡本監督が最初に作った映画は今のVTRにありましたように、独立愚連隊という映画で、非常にその娯楽性にあふれた映画として、観客に捉えられた。
でも本当には、よく見ていくと、戦争の悲惨さ、それから愚かさというものもにじみ出ているんですけれども、どういう思いで監督は作ったというふうに思われますか?
まさにその危機感が失われた時代なんですよね、1959年、高度経済成長期がこれから始まろうって時で。
少し風化が始まった。
ただ喜八さんは本当の戦争体験者で、仲間のあいつたちがみんな殺されていったと。
そういう方たちはね、今、生き残ってここにいるという、自分が生きてるということが欺まんであるというお気持ちがあるんです。
欺まん?
あのときに自分も一緒に死んでいるべきだった人間が、今も生きてここにいて、平和な世の中にいるということが、どこかおこがましい。
そういうこともあってね、この風化した時代に、喜劇で、戦争を笑い飛ばしてやろうと。
これはね、あの時代を、仲間たちを失った人たちだからできる表現でね、喜劇というんだけど、本当は皮肉なんですよ。
戦争というばかばかしいことを笑い飛ばすことでね、今、生きてる自分、そして死んでしまった人たちのことをしっかりと記憶にとどめようということだったんだけれども、これはやっぱり、喜八さんが映画人として大好きな西部劇ね、あれを僕たち見たときはね、もう戦争のことなんか忘れてましたよ。
西部劇としてもおもしろい。
勝った国のジョン・ウエインやゲーリー・クーパーなど、西部劇のヒーローと同じ拳銃を持った負けた国の日本の兵隊が、愚連隊ということばも、敗戦後に生まれたことばですから、そういうことで生きてるというのはね、戦争体験者から言うと、戦争を愚弄した映画だということもあったんです。
批判もあったんですよね。
批判もあったんです。
でもそのようにしか表現できなかったというところに、喜八さんのつらさ、つらい思いがおありになったのね。
商業監督として?
そうなんです。
商業映画の監督ですから。
日本のいちばん長い日も、東宝の大作ですよ。
大ヒットした。
これまで任された大監督ですね。
その喜八さんがなぜか、身銭を切って、自主制作で、肉弾という映画をお作りになる。
これはやっぱり、独立愚連隊や、日本のいちばん長い日では果たせなかった自分の本当の思いね、だから肉弾を実は、素顔の独立愚連隊だと。
独立愚連隊はどこか商業主義の中で自分も仮面をかぶっていたけれども、本当の自分の正体を、あいつたちの、仲間たちの本当の人間の悲劇をね、悲しさをきちんと描こうというのが、肉弾という映画で、これは、だからやっぱり、喜八さんの中の代表作、独立愚連隊と同じように今、若い人たちに愛されてますが、やっぱり独立愚連隊は仮面の映画。
肉弾は素顔の映画という、あの時代を生きた戦争体験者の試行錯誤や、苦しみも、そこから感じ取ってほしいなと思いますよね。
どうしてもそのエンターテインメント性の強い作品を作った監督として、知られていますけれども、若い人たちは、岡本監督の映画からその本来伝えたかったメッセージというものを感じ取っているというふうに?
逆に今の危機感がね、喜八さんのそういう笑い飛ばしてやろうという、遊びの部分を全部すっ飛ばして、本音が伝わってきたんですね。
なぜでしょうね?
やっぱり今の時代の危機感でしょうか。
若者たちはこれからを生きる人たちですから、これからの日本がどうなるんだろうということを、われわれ大人以上に真剣に考えてますよ。
そういう子たちがやっぱり、過去から学ぶことが、未来の平和を手繰り寄せる力になるという、これは人間の、生き物の本能が、生存本能が持ってるものなんですよね。
でも、喜八監督としては、うれしいことではないですか?本来のメッセージがむしろ、若者たちに今、響いているという。
なんの誤解もなく、本当の自分の気持ちが伝わる時代になったということは、喜八さんも幸せだし、岡本喜八映画も幸せだけども、それは同時に、時代の不幸であるということを、僕たちがね、認識するということが実は今、戦争映画を見る、考える、語るということが一番大事なことなんですね。
大林さんは、戦争映画というのは、風化しないジャーナリズムだというふうにおっしゃってますね。
あのね、嫌なことは忘れたいですから、戦争のことも忘れたほうが楽なんですよ。
でも忘れてしまうと、また同じ過ちを人間が繰り返すから、やっぱりそれを伝えなきゃいかん。
伝えるには、映画というものははらはらどきどき、笑ったり、泣いたりしながら、より考えやすく、より語り合いやすく、生きるので、風化をしないジャーナリズムであり続けている。
だから喜八さんのこの3作が、まさに現代生きているということは、戦争を風化させなかったジャーナリズムとしての価値があるという2015/10/28(水) 19:30〜19:56
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代▽戦後70年 若者たちへ〜映画監督・岡本喜八のメッセージ〜[字]
戦時下に生きる人々の喜怒哀楽を描き続けた映画監督・岡本喜八に、今、若い世代の注目が集まっている。戦中世代として何を残そうとしていたのか、現代へのメッセージを探る
詳細情報
番組内容
【ゲスト】映画監督…大林宣彦,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】映画監督…大林宣彦,【キャスター】国谷裕子
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映画 – 邦画
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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