歴史秘話ヒストリア「スゴいぞ!国宝 松江城」 2015.10.28


ご覧下さい。
この風情ある町並み。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
私は今日は島根県松江市に来ております。
松江の町にはあちこちこうした水路が走っておりましてこのように船に乗って町を見る事ができるんです。
船の目の高さで見る城下町。
いいものですねえ。
今回ご紹介したいのはあちら。
ご覧になれますか?松江城です。
実はこの松江城このほど国宝になったんです。
一体どんなお城なのでしょうか?今年新たに国宝となった島根県の松江城。
でも何がすごいのでしょう?実はこのお城織田信長の時代から続く古式ゆかしい形なんです。
松江城は日本に今12天守が残っていますけれども天下人に受け継がれた正統派天守現存唯一のものだと思っております。
城内には他のお城では見られないユニークな工夫がいっぱい。
日本で唯一というもの!更に松江城驚きの仕掛けをお見せします。
松江城天守を支える継ぎはぎだらけの柱。
一体なぜこんな事に?実はこれらの柱にこそ国宝指定の意外な決め手がありました。
松江城は呪われている?お殿様は次々と早死にして天守には怨霊まで登場!城を怨霊から救った奇想天外の方法とは?お菓子に金魚におそばまで松江独自の文化もご紹介。
驚きと神秘に満ちたお城にご案内します。
松江城の本丸を目指しております。
この門から向こうが本丸天守が見えてくるんです。
今国宝になってからたくさんの方々がいらしてるというお城なんですがさあどんな天守なんでしょうか。
ああありましたあちらです。
国宝松江城の天守です。
戦国時代から生き抜いてきたお城だけに力強いですよね。
そして端正な姿ですね。
国宝松江城天守。
高さ22.4m。
今から400年以上前戦国時代の終わりに建てられました。
松江城の形は他のお城に比べてかなり独特です。
一般的なお城の天守といいますと下から上に向かって屋根が何層も重なっているそういうイメージですよね。
でもこの松江城の天守の形はといいますと…そんなふうに見える構造です。
こうした構造は「望楼型」と呼ばれ天守の形としては大変古いものだそうです。
大型の天守というのは…非常に学術的に価値の高いものになります。
天守のすぐ近くまでやって来ました。
この天守の前に小さな建物が突き出た構造になっていますよね。
これは「付櫓」と言いまして松江城の特徴の一つです。
なぜこんな構造になっているのかさあ中をのぞいてみましょう。
わ〜立派!行きますよ。
開けてくれるでしょうかね。
よ〜し!お邪魔します。
…と入っていくといきなりこれ石垣がありまして壁になっているんですよ。
「あっ」と。
例えば敵「あっ」と思いますね。
そうするとこちらの横のスペースここ死角になっておりましてもしここに兵を忍ばせておけば敵が侵入しても不意打ちできるという仕掛けです。
僅か10m四方の櫓の中に曲がり角を使った不意打ちの仕掛けが4か所も用意されています。
さあ敵目線でおのずとこちらに行きますよね。
でもこの付櫓敵を撃退するための死角を利用した仕掛けがもう一つあるんです。
それはこちらです。
かかれ〜!
(一同)お〜!攻める方は天守の上を目指して前へ前へと進んでいくわけですがそこを後ろから攻撃されるというわけです。
全く隙がない造り。
ほんとに油断できませんね。
付櫓の役割は侵入した敵を攻撃するだけではありません。
もう一つ防衛上の工夫があるんです。
天守の壁に開けられたたくさんの穴。
これらは「狭間」と言い近づいてくる敵を鉄砲や弓矢で攻撃するためのものです。
(銃声)ところが狭間は城の角には作れません。
そのためどうしても攻撃の死角が出来ます。
そこで付櫓の出番です。
付櫓からの狭間攻撃が加わると死角がなくなるのです。
よ〜く考えられていますねえ。
松江城を造ったのは…信長秀吉家康と戦国の覇者3人に仕えて乱世を生き抜いた武将です。
幾多の戦をくぐり抜けてきた吉晴の築いた城だけに松江城は極めて実戦向き。
いわば「戦う城」なのです。
戦う城・松江城に施された工夫はもちろん付櫓だけではありません。
天守の1階部分に上がってきました。
こう見ると意外に広いですね。
1階部分の床面積は120坪およそ400平方mもあります。
これは姫路城に次ぐ広さです。
階段は狭くて急なので攻める側は少しずつしか上れません。
2階は1階より狭くなっているかと思いきや同じ広さなんです。
これも戦いを有利に進めるポイント。
一人ずつしか上がってこられない敵を大勢の兵士が迎え撃つというわけです。
さあ天守の3階に上ってまいりました。
この松江城ならではの珍しいものをご紹介いたしますね。
それは階段です。
階段の何が珍しいかというと素材です。
これは昭和30年に松江城の解体修理を行った時の調査報告書。
…と記されています。
桐の階段は全国的にも他に例がないと言われています。
桐の木とはタンスなどに使われる高級素材ですよね。
当時としても桐の木は大変貴重だったと思うのですがなぜ桐の木が階段に使われたのでしょうか?松江城の階段はいざという時には敵が上れないように引き上げてしまえたのだそうです。
桐で出来た軽い階段であれば上げ下げも素早くできますよね。
この階段以外にも松江城が実戦を意識した造りである事を示す場所があります。
天守の地下に下りてきました。
この部屋地下に何かタルが置いてあるように見えますでしょ?でもこれ井戸なんです。
直径が2m弱でしょうか大きな井戸ですね。
「な〜んだお城なら井戸ぐらいあるでしょ?」と思いますよね?確かに城の敷地に井戸があるのはごく普通の事です。
でも天守の建物の中に井戸があるのは現存天守では松江城だけなんです。
城を築いた堀尾吉晴はなぜわざわざ天守の中に井戸を作ったのでしょうか。
吉晴が38歳の時秀吉のもとで…秀吉は城を囲んで食料の補給を断ついわゆる「兵糧攻め」を行います。
秀吉の使いとして城に入った吉晴が見たもの。
それは馬や人の死体まで食べるほどに飢えた人々の姿でした。
この体験から吉晴は食糧や水を十分確保し籠城できる城造りを目指したのです。
城の地下には食糧庫もあります。
これだけの広さがあれば安心して戦いに臨めそうです。
天守の中で籠城するという事になったら生活するという事ですからトイレも必要になります。
ここです。
どんなトイレなの…あ〜!何やつじゃ!失礼失礼。
ふぅ。
ちなみに雪隠の中にも狭間があります。
用を足しながら攻撃もするという事なんですかね?さて今回松江城が国宝に指定された理由となったものを御覧頂きましょう。
それはこの柱です。
ちょっと変わった柱ですよね。
何か継ぎはぎだらけで補強しているようなそんな柱です。
柱には板をかぶせその上から鉄製の帯を締めています。
この板は「包板」といって細い木材を補強するためのものです。
でも補強しなくては使えないような木材を使った理由は何なのでしょうか?松江城が建てられた慶長年間は城の築城ラッシュでした。
関ヶ原の戦いが終わり家康から領地を賜った大名たちが全国で一斉に城を建てたのです。
そのため大きな木材は奪い合いになりました。
ちなみに豊臣秀吉が大坂城を造った時には権力にものを言わせて全国から良質の木を集めています。
でもそれは秀吉だからできた事。
吉晴はまず城の近くの山で大きな木を片っ端から切らせました。
するとあっという間にはげ山に…。
まだ木材は全然足りません。
松江城からおよそ30km離れた十九社神社。
吉晴はここで木材を手に入れています。
この木をわしの城にもろうていくぞ。
お殿様これだけは勘弁してごしなはい。
すまぬ。
背に腹は代えられんのじゃ。
切れ!なんと村で大切にしていたご神木を切ってしまいました。
この木がなくなったせいで神社のお祭りは絶えてしまったのだとか。
ご神木まで切っても木材はまだまだ足りません。
吉晴は更なる手を打ちます。
これは城の床下に使われていた木材です。
うっすらと刻まれた文字にご注目。
「富」という字です。
この「富」とは月山富田城の「富」の字の事だと考えられています。
吉晴が松江城を築く前に住んでいた城です。
自分の城を取り壊しそこで使われていた木材をはるばる30kmも運んでリサイクルしていたのです。
この穴はいかだに組んで運搬するために開けたものと言われています。
領内にある木材をあらゆる手を使ってかき集めた吉晴の苦労がうかがえます。
こうした努力はついに「国宝級」の技を生み出す事になりました。
先ほど柱が国宝認定の理由だと申し上げましたがその核心となる部分がこちらです。
この柱は上から下まで通し柱になっています。
でもこちら側は上にしか柱がないんですね。
ここ柱途中でありません。
何かバランスが悪いんですがこの事が重要なんです。
例えば姫路城の場合。
長さ24mもの大黒柱が2本天守を貫いています。
この大黒柱が姫路城大天守を支えているのです。
しかし当時の松江でそんな贅沢はできません。
そこで生まれたのがこんな工夫です。
まず地階に2階分を貫く柱を建てます。
床を作ったあとでまた2階分の長さの柱を建てます。
これを繰り返して床を作る度に2階分を貫く柱を建てていきます。
こうして長い大黒柱を使う代わりに短い柱を交互に組み合わせる事で強度を高めるという独自の構造が生まれました。
この構造は後に名古屋城や大坂城などにも引き継がれますが松江城はその現存する最も古い例です。
松江城が国宝になったのもこの構造が大きな理由になっています。
長い柱が手に入らないという苦境が革新的な天守の構造を生んだのです。
あ〜明るくなってきました。
さあいよいよ…あっ松江城の天守最上階まで来ました。
ここほら360度松江の町が一望にできます。
そして何といっても宍道湖。
うわ〜よく見えますねえ。
これやっぱり殿様になった気分ですよ。
まあこうして城造りの苦労分かってくるとこうやって見える景色が更に絶景に思えてきます。
う〜んすてき!人々の知恵と努力が詰まった国宝松江城天守。
古風な外観の中に隠された工夫の一つ一つが松江城を他のどんな城とも違う個性的な城にしていたのです。
さてここでちょっと城下に目を移してみましょう。
松江の町で目につくのはたくさんの和菓子屋さん。
松江は京都金沢と並ぶ「和菓子どころ」。
実に風流なお菓子がたくさんあります。
こちらは「沖の月」と名付けられたお菓子。
紅白に染め分けた姿を海を照らす月に見立てています。
菜の花畑にちょうが飛んでいるように見えませんか?なんとも優雅ですね。
これらのお菓子は全てとある松江のお殿様が自分のお茶会のために作らせたものです。
江戸時代後期松江の領主となった…茶人としても知られ不昧流というお茶の流派があるほど茶の湯好きのお殿様でした。
その影響からか松江には日常的に抹茶を楽しむ文化が根づいています。
朝起きたら一服来客があったらもう一服。
あぐらで茶飲み話をしながら和菓子をつまむのが松江風の抹茶の楽しみ方です。
不昧が松江に残したものはお茶文化だけではありません。
こちらは「いづもナンキン」という県の天然記念物の金魚です。
金魚といえば鮮やかな色を楽しむものと思いがちですがこの「いづもナンキン」は白みの中に少しだけ赤が混じった風情を愛でるのです。
不昧はこの金魚を月明かりの下で眺めるのが好きだったそうですよ。
なんとも粋なお殿様ですねえ。
更には松江名物の「割子そば」。
これも不昧にゆかりがあると言われています。
独特の重ねられる容器に盛りつける「割子そば」。
こちらは不昧の時代に使われていた「割子」というそばの入れ物です。
不昧は紅葉狩りの時こうした器を使って野外でそばを楽しんだと言われています。
そうした不昧の粋な食べ方が「割子そば」として今に伝わっているのです。
松平不昧公が残した豊かな文化。
それが城下町・松江の大きな魅力なのです。
それではお城に戻りましょう。
松江城天守の東側にやって来ました。
戦国時代に造られたこの松江城。
幾多の困難を乗り越えて今に至っています。
中でも最大の危機とされるのがなんと怨霊との戦いです。
かつてこの場所には「コノシロ櫓」という名の櫓が建っていました。
そしてまさにそこが怨霊をめぐる物語の大事な舞台となるのです。
松江城の存続を懸けた怨霊との対決をご覧下さい。
時は慶長13年4月。
松江城築城の頃のお話。
いつものように石垣造りに励んでいた時の事です。
(2人)うんしょ!うんしょ!
(崩落音)
(2人)うわ〜!突然積み上げた石垣が音を立てて崩れ落ちてきました。
(2人)うんしょ!うんしょ!しかたなくもう一度石垣を積み直していると…。
(2人)うわ〜!なんとまた同じところが崩れてしまったのです。
心の声なにゆえ石垣が崩れるのじゃ?吉晴は原因を占わせます。
すると…。
石垣ん下掘ってみらっしゃい。
半信半疑で石垣の下を掘らせてみるとなんと本当にドクロが埋まっていました。
さてはあれか?吉晴には思い当たる事がありました。
もともとこの石垣の近くにはご神木があったのです。
でも吉晴は…。
城造りの邪魔だ。
切ってしまえ。
ははっ。
切り倒されたご神木はこのドクロを祀ったものでした。
とはいえ切った木は元には戻せん。
いかがしたものか…。
殿。
かくなるうえは人柱より他にないかと。
心の声人柱か…やむをえん。
その夏吉晴は城下の若者を集め盛大に盆踊りを開きます。
その中に踊り上手で評判の小鶴という娘がいました。
(息をのむ声)吉晴は小鶴を人柱として石垣の下に埋めたのです。
その後石垣が崩れる事はなくなり工事は順調に進んでいきました。
ところが明くる年の盆踊りでの事です。
踊りが始まるとそれに合わせるかのように石垣が大きく揺れ始めたのです。
(悲鳴)い…石垣が揺れちょ〜!
(悲鳴)なんでだらか?小鶴がたたっちょ〜わね。
人々は不安げにうわさし合います。
殿。
これでは盆踊りの度に石垣が揺れまた崩れましょう。
人柱となった娘が今も踊りたがっておるのだな。
哀れな…。
されどこれでは城が…。
分かっておる!一つ手だてがある。
吉晴は松江の町にお触れを出します。
それはあるものを禁止するというお触れでした。
知らないです。
そうです。
吉晴が禁じたのは盆踊り。
そのためか松江城下では今も盆踊りが行われないのだそうです。
築城開始から3年余りたった慶長16年。
松江城はようやく完成を迎えました。
ところが…。
(雷鳴)まだたたりが続いていたのでしょうか。
続いて城主となった孫の忠晴は35歳の若さで急逝。
後継ぎがいなかったため堀尾家は断絶となりました。
次にやって来た京極忠高も僅か3年で病死します。
後継ぎがいないままの突然の死でした。
まんだ小鶴がたたっちょ〜だわ。
ほんに怖い事ですわ。
次の殿さんにも悪い事があ〜で。
人々は恐れおののきました。
堀尾家京極家に続いて新しい殿様が松江城にやって来ます。
それがこちら松平直政公です。
直政は14歳で大坂冬の陣に参戦。
家臣の制止も聞かず一人敵陣に斬り込むほどのやんちゃぶり。
(直政)オラオラオラ!まるで負ける気しねえぜ!松江に到着したその日直政は天守最上階に初めて上ります。
心の声この松江城って城な〜かなかいいねえ。
するとそこに…。
突然白装束の女が現れ直政をにらみつけました。
心の声えっ何?松江城って幽霊付き?心の声「城は私のもんだ」って急に言われても…。
聞こえなかったふりでもするか。
心の声うわ〜何か答えないと。
よしそなたの申すとおり…その言葉を聞くと女はスーッと姿を消しました。
心の声うわ〜つい「この城やる」とか言っちゃった〜!殿のこの発言に城内は大騒ぎ!なにゆえそのようなざれ言を!松平のお家はどうなる?怨霊に城をやるなど言語道断!そこつにも程がある!心の声何かマジで…ヤバイ。
おりしもそこに新城主・直政への献上品が次々と届きました。
その中に直政の目をくぎづけにするものがありました。
心の声これだよ!それは「コノシロ」。
ニシン科の魚で大きさによって「シンコ」「コハダ」「コノシロ」と名前が変わる出世魚です。
直政さんまさかとは思いますが「コノシロ」が「この城」?心の声「コノシロをやる」うんうそは言ってないよな。
早速直政は家臣に命じて天守に「コノシロ」を供えさせます。
翌日天守に行ってみるとすぐ近くの櫓に三方が捨てられコノシロはありませんでした。
直政は「コノシロをつかわす」という怨霊との約束を守ったのです。
以来女が現れる事は二度とありませんでした。
心の声な〜んか悪い事しちゃったかも。
直政は三方が落ちていたその櫓で毎月祈祷させる事にします。
この伝説にちなんで櫓は「コノシロ櫓」と呼ばれるようになりました。
その後江戸時代を通じて櫓では祈祷が行われ松江城を守り続けてきたのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
明治8年松江城は陸軍省によって売りに出されます。
城内の櫓は皆4円5円といった安値で買われ次々取り壊されていきました。
そして天守も180円現在の金額にして僅か120万円ほどで買い取られます。
買い手は城を燃やして焼け残った鉄くずを売るつもりだったと言います。
これを知って立ち上がったのが地元の人々。
天守だけは守りたいと募金を始めたのです。
そして陸軍省に180円は必ず用意するから天守は払い下げないでほしいと頼み込みます。
募金をしてまで城を守ろうとする松江の人々に心を動かされたのでしょうか。
間もなく城の払い下げは中止となりました。
全ての櫓を失いながらも市民の熱意によって…やがて城は松江市が管理する事になります。
その後も城は掃除観光ガイドなどさまざまな市民のボランティア活動によって支えられてきました。
ハッハッハッハッハッ!明治初めの存亡の危機から140年。
(一同)万歳!今年ついに松江城は国宝となりました。
これまで幾度となく期待されながらも実現しなかったのは国宝指定を阻む大きな壁があったからです。
それは城がいつ造られたのかを正確に示す証拠がなかった事。
ところが3年前市内の神社である木札が発見されました。
建物が完成した時に柱に打ち付ける祈祷札です。
「慶長十六年」と記されたこの祈祷札こそが松江城が出来た年を示すものだったのです。
この札が松江城のものであるという決め手となったのは上下に開いた小さなくぎ穴。
天守の中で柱を探したところこのくぎ穴とぴったり一致するものが見つかりました。
こうピタッと合ったと。
これによって松江城が完成した年が初めて明確となり国宝指定へとつながったのです。
国宝になって以来松江城には多くの観光客が押し寄せています。
ボランティアの人々は今日も松江城の魅力を伝えるべく精力的に活動しています。
戦国時代戦いのために造られた城松江城。
400年の時を経た今人々を魅了する国宝の城として新たな輝きを放ち始めています。
2015/10/28(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「スゴいぞ!国宝 松江城」[解][字]

今年、国宝に指定された松江城天守。一体何がそんなにすごいのか?現地を訪ね、その魅力を探る。さらに歴代城主を悩ませた“幽霊”の正体とは?知られざるお城の物語。

詳細情報
番組内容
今年7月、島根県松江市の松江城天守が国宝に指定された。一体何がそんなにすごいのか?松江城の魅力を徹底的に探る。天守閣は400年前の戦国時代の姿をそのまま現代に残す貴重なもの。その造りを丹念に見ていくと、さまざまなところに築城当時の苦労や工夫、そして人々が城に託した思いを知ることができる。さらに松江城主を悩ました“幽霊”の正体とは?松江城の見どころとともに、そこに生きた人々の知られざる物語を送る。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:24626(0x6032)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: