趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第4回「大田垣蓮月×富岡鉄斎」 2015.10.29


社会の一員として、学校にもしっかりと役割を果たしてほしいと思います。
早川信夫解説委員でした。
次回は、村田英明解説委員です。
ぜひ、ご覧ください。
幕末の動乱のさなか西郷隆盛に届けられた歌。
「日本人同士で争う事は何とも哀しく痛ましい」。
この歌に心を動かされた西郷は江戸城総攻撃を回避する決断を下したといいます。
西郷の心すら動かす謎の女性…絶世の美人と言われ幕末から明治の京都に生きた尼僧です。
…にも秀でた才能を発揮した蓮月。
しかしその生涯は波乱に満ちていました。
家族と次々と死別。
しかし後に文人画家となる富岡鉄斎と出会い親子のような絆で結ばれます。
京都で蓮月と鉄斎ゆかりの地を巡り謎の尼僧の生涯に迫ります。
どこまでも細い蓮月の書には一体どんな人生が刻まれているのでしょうか。
「臨書」とは書をありのままに写し取る事で歴史上の人物に触れる事。
文字の傾きや震えかすれなどから書いた人物の生きざまや息遣いまでも追体験していきます。
講師は…石川さんは長年書とは何か独自の視点で探究。
臨書を通じて多くの人物と向き合ってきました。
私羽田美智子が石川先生と臨書を体験しながら歴史に名を残した人物の生きざまに迫ります
毎年10月に行われる時代祭。
紫式部や坂本龍馬など都の歴史を彩る人々が行列し1,200年の時代絵巻を繰り広げます。
この列に若き日の大田垣蓮月の姿がありました。
京都の人々が彼女を敬ってきた証しです。
私たちは京都の町の喧噪を離れ静かな佇まいの西賀茂へ
今からおよそ800年前に創建された寺…
ここに蓮月ゆかりの建物が残っています
(石川)これですね。
こちらですか?
蓮月が晩年85歳で亡くなるまでの10年間を過ごした庵です
やっぱりとても質素でシンプルなお宅ですよね。
無駄を全部排除した感じがしますけど…。
その精神が何となくうかがい知れる感じの建物ですよね。
まさに隠棲の地じゃないですかね。
1791年京都に生まれた蓮月は17歳の時幼なじみと夫婦になります。
しかし産まれる子が次々他界。
ついには夫までも亡くします。
29歳で蓮月は再婚。
2人の子の母となりますがまたしても死別。
「寄り添うくりの実のようにむつまじく暮らしていたのに」。
独り残された蓮月がその心境を詠んだ歌です。
失意のどん底にいた彼女は知恩院で出家剃髪。
「蓮月」と名乗ります。
京都に住み蓮月の作品をこよなく愛する方がいると聞き会いに出かけました
こんにちは。
どうも石川です。
はじめまして。
ジョン・ウォーカーさん。
多くの蓮月作品を所有しその魅力を海外にも発信しています
たくさん蓮月さんの作品をお持ちなんですって?はいそうです。
ジョンさんは2014年自身のコレクションを公開する展覧会で学芸員を務めるほどの研究家です。
早速蓮月の書を見せて頂きました
こちらは蓮月の作品です。
画帖です。
わ〜…これ表紙からすごいすてきな。
うわ〜!
蓮月の自作の歌がつづられています。
「ふしのねを水ニうつしてたこのうら能なミなミならぬ可介やミるらん」。
さざ波に映える富士の峰の美しさを詠んでいます
美しいですね〜!線がとっても細いですよね。
その「細い」っていうのは一体何だろうかという。
しかも細いけれども弱くないんですね。
ポンと玉がはじかれるようなそういう強さを…ありませんか?玉をはね返すようなそういう強さというか針金のようなというか…。
世俗を離れ尼になったもののその美貌から言い寄る男たちが後を絶たなかったという蓮月。
そこで自ら前歯を引き抜き老婆のごとき面相に変えた。
これは歴史学者磯田道史さんの著書「無私の日本人」に紹介されるエピソードです。
社会と一線を画して生きようとする蓮月の強い意志が見られます。
ジョンさんに蓮月が作った焼き物も見せてもらいました
(ジョン)5枚ありますけど一番美しい歌です。
うわ〜!きれいですね。
(ジョン)先生この歌分かりますか?「沖つ風やや」…。
これがすごいんだよね。
この裏も含めて…だからこれが立体的な一つの紙になってるんですね。
こちらにも自作の歌が刻まれていました
風や雪といった大自然の景色を詠んでいます
どうぞ。
あっ!あ〜ほんとだ。
細い手やった…細い指ですね。
う〜んほんとですね。
ひっかいたと。
あっくぎで?はあ〜…。
くぎの先からあたる時のガリガリガリっていうその力がこちら側に伝わってきますね。
女の人がくぎで書くという。
石川先生はこの蓮月の焼き物と書にある共通点を見つけました
この書というものが筆で書いてるわけですけど例えれば実はこれはくぎで書いてるんですよね。
そういうつもりで見て下さい。
くぎで紙に書いてるとみるとこの書き方って非常に分かりやすいですね。
筆先が立った状態で紙にあたればそのまま進んでいくという。
そうすると玉があたってもはじき飛ばされるぐらいの強さを持ってるっていう。
当時人気の蓮月焼。
すると贋作…つまり偽物が出回ります。
焼き物は作れても歌は詠めない贋作師たちに蓮月は…。
こうして蓮月は贋作にも歌を書きました。
自ら「世捨て人」と称し欲を一切持たない蓮月の人柄がしのばれます。
京都の町の中央を流れる鴨川。
ここにも蓮月の面影がありました
鴨川きれいですね〜。
これの元を蓮月が架けたと言われてる…。
この橋ですか?ええ。
だからこの辺りに板を渡して人が行き来してたんですけど車を引いたりするの大変だからそれでお金を出してここに橋を架けたと言われてますね。
蓮月橋です。
蓮月さんが建てた橋。
蓮月は日々土をこね焼き物を作りコツコツためたお金で人々のためにこの丸太町橋を架けたのだそうです
私たちは蓮月のお墓を訪ねました
ああいいねえ。
あれだ。
え〜!
大木の桜の木に寄り添うように佇む小さな蓮月の墓石
うわ〜なんかお墓もひっそりと…。
そうそう。
「大田垣蓮月墓」って書いてありますね。
これ鉄斎が書いた字ですね。
これを?うん。
刻まれているのは富岡鉄斎の文字。
蓮月が晩年に実の息子のように接した人物です。
鉄斎は生涯に1万点を超える書画を残した日本を代表する文人画家。
今でも京都の町には鉄斎の描いた看板があちこちに残っています。
当時から一目置かれる存在の鉄斎に大きな影響を与えたのが蓮月でした。
蓮月は読書好きで耳が不自由な少年鉄斎に出会いいつしか面倒を見るようになりました。
1871年長崎に遊学中の鉄斎に蓮月がしたためた手紙には「異国の人に会いいろいろな話を聞き優れた書画に触れ私の家に帰ってきて下さい」。
それはまるで息子を気遣う母の手紙のようでした。
蓮月の薫陶を受けた鉄斎はやがて文人画家として世間から高い評価を受けるようになりました。
85歳で亡くなる間際蓮月は周囲にこう言い残しました。
ひつぎは鉄斎が蓮と月を描いた木綿の布に包まれました。
そこには蓮月の辞世の歌が…。
家族と死別する深い悲しみを乗り越えこの世の一切の欲を捨て富岡鉄斎に大きな影響を与えた蓮月
彼女の生きざまをその書から読み解きます。
今日の臨書は大田垣蓮月。
九楊先生お願いします。
大田垣蓮月さんの書ですけども今日はどこを…?今日は「ふしのねを水ニうつして」のところの「水ニうつして」。
ここを書いてみましょう。
蓮月の書から「水ニうつして」の6文字を書きます。
「水」は漢字「ニ」はカタカナです。
うわ〜これ緊張…緊張する。
羽田さん最初の臨書です。
ああいいじゃないですか。
フフッ。
細く書く事を意識したのですが蓮月のようにしなやかにはなかなかいきません。
もうちょっと先で。
もっと筆先。
だから宙に浮いてもいいから筆先がこの一筋がヒュッと触れた時に…ここに?うん。
この触れた時…この時にバンッとこう。
それはどういう意味でしょうか。
紙に象徴される世界にごく僅かだけ触れるんですね。
で太いというのはまあいろいろありますけどこの紙に対して筆がグッとこう強くあたるわけですね。
だからこれが一つの社会であり世界であるとするとこの「太い」というのは自分の側がグーッと寄っていってそしてこの社会と関係すると。
う〜ん…。
それっていうのは蓮月さんが自分と社会との向き合い方にイコールだったりするんですか?だからスタイルとしてそれが表現されると思うんですね。
社会に対する位置の取り方が。
蓮月の影響を受けた富岡鉄斎。
その代表的な作品の一つ「酔李白像」です。
「臣是酒中僊」と書かれたその筆は太い。
社会との距離が近いとも考えられる書きぶりです。
師と弟子でありながら蓮月と鉄斎の書では社会との距離の取り方が大きく異なっていたのです。
羽田さん蓮月の距離の取り方を意識して再び臨書です。
なんかどうしても私太くなってっちゃうんですけど。
蓮月には思うように近づけません。
ちょっとこれだと「は〜い聞いて」って感じがまだあるんですよね。
「皆さん聞いて下さい」っていう。
そういう…いよいよ九楊先生の臨書。
紙と筆先の距離に注目です。
いいんじゃないですかこれで。
とんでるけど。
でもこの書を見ると線は細いですけども確かな手応えみたいなものはありますもんね。
どこも油断がない。
全く油断がない。
ある意味では金属的な感じまでしますね。
あるいは張りつめた絹糸みたいな感じの強さでね。
その表現だとなんか私今ピンと来ました。
絹糸…う〜ん!光沢があるんですね。
そうそう…。
ここで九楊先生から羽田さんに提案がありました。
こうさざ波があって…。
田子の浦の波です。
ここにこう書きましょう。
「水ニうつして」。
うわ〜!蓮月の絹糸のような強さと優しさを意識して羽田さん仕上げです。
うんいいじゃないですか。
水に字が映えてますよ。
蓮月独特の書きぶりをうまくとらえました。
蓮月の書には私利私欲を捨てた潔い生き方優しくあろうとしたその強さを感じました
線が細くて美しくて余計なものがこの書の中に何もない。
それでいて人の心を震わす美しい文字を書かれたっていうその蓮月さんっていうお人柄が臨書をさせて頂いた事によってもっともっと「なるほどな」っていう…。
ほんとに何も持たない人の強みというかそういうものを感じてとても感動しました。
藤原行成筆と伝えられる平安時代屈指の名筆「升色紙」。
この書にひらがなならではの美しい表現があります。
「たのめしことぞ」と「いのちなりける」の2行が重なり合う「重ね書き」という書き方です。
今我々が見ても美しいですね。
見え隠れするこう…。
こっちが見えてるかなと思うと向こう側が見えてると。
着るものの美学なんかにも合わせだとか重ねというのがありますがそれがひらがなが生まれた時から日本の文化の底流を流れている。
重ね書きはひらがなの美しさを表現する日本語特有の手法なのです。

(テーマ音楽)2015/10/29(木) 10:15〜10:40
NHK総合1・神戸
趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第4回「大田垣蓮月×富岡鉄斎」[解][字]

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門、今回は京都の尼僧にして歌人、陶芸でも活躍した「無私の人」大田垣蓮月の優美な細く強い書と、弟子の富岡鉄斎の絆に焦点を当てる。

詳細情報
番組内容
「大田垣蓮月」の名をご存じ?幕末の京都に生きた容姿端麗の誉れ高い女性。しかし産んだ子を次々と亡くし不幸な日々を送るも、和歌、書に秀でて多くの作品を残した。出家後「蓮月焼き」と呼ばれる京名物の焼き物を作ったことでも知られる。自身がどんなつらい目にあっても、寛容な「無私の心」で人々を助け数多くの伝説を残した。そんな彼女が晩年、わが子のように接したのが文人画家の大家・富岡鉄斎だ。二人の書が語る人生とは?
出演者
【講師】書家・京都精華大学客員教授…石川九楊,【生徒】羽田美智子,【出演】大田垣蓮月研究家…ジョン・ウォーカー

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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