<オリジナルドラマの原点に立ち返れ>1990年代ヒットドラマから見えてきた道しるべ
貴島誠一郎[TBSテレビ制作局担当局長/ドラマプロデューサー]
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1990年代に最高視聴率(平均視聴率ではない)を記録した民放の連続ドラマと、当時の傾向を記すために、自分なりに記憶しておきたいドラマを各年2つずつ選んでみた。
- 1990年「すてきな片想い」(26.0%・フジテレビ)
「外科医有森冴子」日本テレビ、「渡る世間は鬼ばかり」TBS
- 1991年「101回目のプロポーズ」(36.7%・フジテレビ)
「東京ラブストーリー」フジテレビ、「愛さずにいられない」日本テレビ
- 1992年「ずっとあなたが好きだった」(34.1%・TBS)
「素顔のままで」フジテレビ、「親愛なる者へ」フジテレビ
- 1993年「ひとつ屋根の下」(37.8%・フジテレビ)
「高校教師」TBS、「振り返れば奴がいる」フジテレビ
- 1994年「家なき子」(37.2%・日本テレビ)
「29歳のクリスマス」フジテレビ、「スウィート・ホーム」TBS
- 1995年「金田一少年の事件簿」(29.9%・日本テレビ)
「愛していると言ってくれ」TBS、「王様のレストラン」フジテレビ
- 1996年「ロングバケーション」(36.7%・フジテレビ)
「協奏曲」TBS、「イグアナの娘」テレビ朝日
- 1997年「ひとつ屋根の下2」(34.1%・フジテレビ)
「踊る大捜査線」フジテレビ、「サイコメトラーEIJI」日本テレビ
- 1998年「GTO」(35.7%・フジテレビ)
「眠れる森」フジテレビ、「神様、もう少しだけ」フジテレビ
- 1999年「魔女の条件」(29.5%・TBS)
「救命病棟24時」フジテレビ、「ケイゾク」TBS
- 2000年「ビューティフルライフ」(41.3%TBS)
「やまとなでしこ」「池袋ウエストゲートパーク」
毎年のように視聴率30%超のドラマが量産され、1970年代に続く連続ドラマ黄金時代である。フジテレビの月曜9時ドラマ(月9)を中心に、20歳代を主人公にした恋愛ドラマがOLの話題とファッションをリードし「トレンディドラマ」と称された。
プロデューサーの山田良明や大多亮は、日本のテレビドラマにあまり馴染みのないラブコメディを目指して制作していたという。確かに1980年代後半の「抱きしめたい!」や「愛しあってるかい」はラブコメそのもの。1989年にはバイブル的な映画「恋人たちの予感」も公開された。
しかし1991年1月の「東京ラブストーリー」がトレンディドラマを決定づけた。シチュエーションドラマであるラブコメディからストーリードラマであるラブストーリーへの転換である。ドラマに合わせて作られた主題歌はミリオンを連発。ドラマのラストシーンを更に盛り上げる鉄板の相乗効果。また、主人公の衣装はスタイリストが担当するようになり、ファッションにも影響を与えた。
1980年代が脚本家の時代、1990年代はプロデューサーの時代と言われることもあるが、ヒットドラマや記憶に残るドラマには脚本家ありだ。特に、フジテレビ・ヤングシナリオ大賞からのデビューだった野島伸司は、プロ野球であれば最年少で名球会入り・殿堂入りの才能で、脂の乗りきった作品を連打した。
野島伸司の他にも北川悦吏子、君塚良一、野沢尚、大石静、伴一彦、遊川和彦、岡田惠和、西荻弓絵、中園ミホ、井上由美子などがヒットドラマや画期的なドラマを連発した。脚本家の信頼や世界観から、原作がなくても俳優が出演を望みキャスティングできた、オリジナルドラマの時代でもあった。最新の出来事をすぐ脚本に盛り込むことができる。
時代を写す鏡として、連続ドラマがテレビ局のショウウィンドウ的な役割を担った。テレビ局の米びつ、パワーの源泉がバラエティ番組であることには、いつの時代も変わらない。
演劇界出身の三谷幸喜は「古畑任三郎」の圧巻の台詞で唸らせ、宮藤官九郎が連続ドラマの脚本家としてデビュー、新しい風を吹き込んだ。
忘れてはならないのは、ベテランの池端俊策が「協奏曲」で奥行きのある作品を、鎌田敏夫が「29歳のクリスマスマス」で元祖トレンディの本領を発揮した。橋田壽賀子先生の「渡る世間は鬼ばかり」は国民的なドラマとして、更に支持が膨らんだ。
また、枦山裕子プロデューサーは近未来SF少年少女ドラマともいえる個性的なジャンルを開拓した。日本テレビの土曜9時ドラマのファンタジー路線の原点である。
しかし「メディアミックス」という言葉が使われるようになると、脚本家中心の傾向に陰りが出てきた。「コンテンツ」などという横文字が出回ると、現場の人間からビジネスマンが主導権を持つようになる。ビジネスを否定はしないが、人気原作さえ押さえればキャリアを積まなくても現場参入が可能となる。結果として制作能力が落ちる。
山田太一さんは「オリジナルを書くことが脚本であり、原作のあるものは脚色というべきだ。もちろん原作を凌駕する脚色本にしなければならない」と、橋田賞授賞式で述べられた。山田さんの言葉の意味は重い。
1990年代のドラマは脚本家も制作者も出演者も現役ばかりです。敬省略も含め、書ききれなかったドラマや脚本家も多いので、誠に相済みません。この時期、9割以上の連続ドラマ初回を視聴した者の個人的な見解として、ご容赦下さい。最後に上記のドラマ以外で個人的なフリークドラマを書き留めます。
- 1990年「都会の森」長坂秀佳・脚本、主題歌「壊れかけのRadio」
最終回に検事を引退した佐藤慶が息子の弁護士・高嶋政伸に「ラッキョウ、食うか?」というセリフは泣けます。キメ台詞は平凡なものがいい。
- 1998年「ハッピーマニア」稲森いずみ・初主演
安野モヨコのコミック原作を思わせる、ドラマの枠を破る斬新な演出だったが、そのDNAは「のだめ」に受け継がれた!?
映画は監督のもの、とすれば、テレビドラマは脚本家のもの、というのが原点だと思う。昨今はドラマ不振だと言われる。原点回帰し、創業理念に立ち返ることからスタートするのが、不振からの脱却の道標である。半世紀を越える一般企業は同様のトライをしている。エンターテイメントだけが例外とは思えない。
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