(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストこの方の辞書には無駄な脂肪っていうものはないみたいなんですね。
ふふっ。
ほんとに何年たってもスリムでいつもキラキラピカピカはつらつとした方です。
浅丘ルリ子さんです。
(拍手)どうもすみません。
ふふふっ…。
すごいんですよ。
ないでしょ?大丈夫私だってありますから。
ありますか?理想体重はいくつですか?っていうか今いくつですか?39。
3…40切ってるんですか?うん切ってるの。
そんな触んないでほら…。
なんで?大丈夫大丈夫。
大丈夫だってば。
あっ駄目…ふふっ。
意外にトーク番組はお嫌いなんですよね?はい。
ちょっと待って…手握って。
もうしっかり手握って…。
あははっ!なんか寅さんになった気持ちだね。
「大丈夫だよリリー。
今日は俺に任せといてくれ」。
(低い声で)分かったよ。
うん。
ふふふっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
14歳の若さで映画「緑はるかに」のヒロインに抜てきされ銀幕デビュー。
小林旭さん石原裕次郎さん勝新太郎さんなど大スターに愛され数々の作品でヒロインを務めました。
(浅丘)私は悪い娘でした。
今度お会いするときはきっと素直ないい娘になっています。
日本映画の黄金期を支えこれまで出演した映画は158本。
「男はつらいよ」シリーズではキャバレー歌手リリー役が評判を呼びました。
60歳のときには29年連れ添った石坂浩二さんと離婚。
その後も女優として活躍を続け75歳になった今も精力的に活動しています。
あははっ!今日は美しく輝き続ける浅丘さんが女優として駆け抜けた60年をサワコに語ります。
あの〜最近日経新聞の「私の履歴書」がすごく話題になってて。
もう私もびっくりしちゃってこんなに反応があるものかと思ってもうあの…いろんな各企業の偉い方とかそういう方たち私を知らない方でもなんか読んでくださって。
でなんか集まりをしたいって言うんですよ。
集まりって何?そういう方たちが集まって私を呼んで本物はどういう人なのかっていうことを見極めたいという。
その企業のトップの方々が。
何人かの方にはお会いしましたけど。
ええそれで?お薬メーカーのあの…トップの方とか。
するとお薬を頂いたりとかいろんなものを頂いたり…。
かわいがられちゃって。
へえ〜。
ええ〜っと曲いきましょうかね。
えっ曲いくの?もう。
うん。
1曲目。
あの〜2曲選んでいただいてるうちの1曲。
「MoonlightinVermont」です。
ええ〜っとエラ・フィッツジェラルドとええ〜っとルイ・アームストロングです。
私大好きなんですけども。
あなたも好きなの?あれ大好きなの。
っていうかあのアルバム大好きなの。
あっほんと?エラ・フィッツジェラルドと…。
サッチモの。
はいはい。
私も映画を見たんですけど「ヴァーモントの月」っていう映画を見てその曲がすごく好きになって。
まだデビューする前ですか?はい。
小学校6年…1年…中学1年ぐらいかな。
えっそのころその曲好きになるって結構…。
(浅丘)すごいでしょ?大人びて。
何から何まで…いっぱいいろんなジャンルの歌を聴いてほんとに歌が大好きで。
ほんとは歌手になりたかったんですもんね。
はい。
でその曲だけ鮮明に覚えててで何かというと「ヴァーモントの月が大好きです」って言って…。
言ってたんだ。
はい。
あぁ〜…なんてうれしい。
ねえ。
ああいう訳だったんですね。
初めてその訳を…。
あっ訳詞ね。
この番組に来てこういう内容の歌だったっていうことを知る人は多いです。
多いでしょ?好きだったんだけど知らなかったっていう。
じゃあ小学校の頃からもうあらゆるジャンルの曲を聴いて…。
で4人姉妹の2番目次女でいらっしゃったんですよね。
でお父様が政治家の秘書もなさったことがあり…。
いろんなそういう…。
で体を壊されて雀荘を経営されたっていう。
その…流転ぶりはなんだっていう。
いろいろもうほんとにすっごいこう山あり谷ありで食べるものもない着るものもないそれはもう4人女の人…女の子を抱えて母もどれだけ頑張ったことか。
神田に移って…。
神田のガード下に住んでらしたんですって?それでね佐和子さん1週間ぐらい前にそのうちを見てきたの。
あるんですか?
(浅丘)そのガード下がまだあるの。
古いまんまあるの。
もうそれこそ涙ぼろぼろ。
でこっからこのぐらいのもう狭い所でそこに6人住んでて。
ほんとにささやかだけど3卓だけの麻雀屋をやってて。
それでその麻雀屋もねうちは食べ物がないのになんかちょっと頂いたりいいものが入ったりするとお客様に出すんですよ。
麻雀に来てるお客さんに?父や母が。
はい。
「私たち食べるものないのにどうしてみんなにあげるの?」って子供ながらに訴えてたんですけどでも「お客様も大事だから」って言って。
そういう両親だったもんですからだからそれがずっと続いて「日活」に入ったときもあの〜日活のそばにおうちを建てて…皆さんもう日活に若い人たちがいっぱいいらしててそれでご飯食べさせてください泊まらせてくださいって遠い人は。
あっそこに。
はいうちに。
もう両親たちが歓待してくれるもんですから…。
なんかおいしいものが食べられるのね。
うち人だらけなのいつも。
あははっ!それでいっつも何かを振る舞っていたから10升炊いたって言ってました母が。
10升!?いちばん食べたのが高橋英樹だったっていう噂は…。
(浅丘)何回も来ていちばん恩義を感じてくれてる人が英樹だったんですね。
あっそうなんですか。
「ぶうちゃんがいなくても…」。
ルリ子さんのこと?はい。
あの〜お母さんに「高橋です。
すみませんご飯食べさせてください」って言ってで1人で入ってって食べて…勝手に入って食べて。
もうあの〜お風呂へ入れば姉が背中を流してあげたりとか。
ええ〜!もういろいろ歓待してあげたの。
親切すぎる。
はいほんとに。
(妻)よいしょ。
(夫)大丈夫か?
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
洗濯槽を浅く取り出し口を広く。
奥の物まで取り出しやすい洗濯機。
世界で一番軽いボディ。
持ち運びが負担にならない掃除機。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」「緑はるかに」でデビューなさって10代の頃に最初にこう組み合わされたっていうか日活で小林旭さんの相手役として次々にどんどん…。
(浅丘)だから旭さんとはいちばん多くて42本やりましたから。
いろんなの含めて「渡り鳥」も含めてその前も含めて。
ええ。
小林旭さんとほんとにもうなんていうの?結婚直前までいって…。
それはもうあの〜だから10代…16〜17から一緒だったのかな。
小林旭さんのお若い頃の印象は?なんて素敵な青年ほんとにね。
今みたいにデブじゃないですし。
あははっ!でも随分細くなってきれいになったんですよ。
最近?ええ。
もうちょっと前はひどかったんですけど。
もうもっとお若い頃はもうほんとにスタイルがよくて顔も素敵だったし。
じゃあ共演すればするで好きな人のことは気になるだろうし。
でもそのころはね私忙しくてほんとに小林旭さんだけに関わっていられなかったんです。
うん。
ふふふっ…。
(スタッフ)あははっ!いろいろあの…裕次郎さんとか赤木圭一郎さんとかこういろんな方のところへ出なきゃならなくて。
相手役としてね。
はい。
だから旭さんが地方へ行ってなんかやってらっしゃるときは私そのまま自分の出番が終わったら帰って来てセット行っていろんなところに出ててそれでまた呼ばれたらまた向こうへ行ってとかってもうあっちこっちや忙しく。
でも募る思いが…。
もうずっと一緒にいたいのにとか。
でもそんなこと言ってる暇がありませんでした。
ああそうなんですか。
でも帰れば…もう何日かたてば一緒にいられるから。
いっそ結婚しちゃったら楽になるっていうか一緒にいられるのにっていうふうに思ったことはないんですか?そういうことがあったらしいんです。
実はあの〜親同士が…小林旭さんのお父様とうちの父が会って。
あっあちらのお父様も会いにいらしたんですか。
(浅丘)それで旭さんもいらして私を「お嫁さんに欲しい」っておっしゃったら…。
浅丘さんはいない?私いなかったんです。
どういうわけかそのことは知らなかったんです。
そしたらあの〜「まだうちの信子は…」。
うん。
本名は信子さんなんですね?
(浅丘)はい。
「結婚するのは早すぎますし今結婚して終わるのはとてももったいないと思いますからそれははっきりお断りします」って父が。
それあとで聞かされたんですか?はい。
でびっくりしてえっそんなこといつ決めたの?って。
いつ?いつそんな話し合いしたの?って…。
でも私もそういう気持ちはなきにしもあらずだったんですけれどでも結婚してしまったらお仕事ができなくなるしあんな忙しい…2人とも忙しいなかをそんな式なんてやってる暇もないですし。
だからそういうのはもう自然に立ち消えになりましたね。
ええ〜…。
もうすべてを捨ててとか。
あっそこまで大人にはなっていませんでした。
おいくつ?18〜19…20ぐらいなもんだから。
まだそうか。
かろうじてっていうかティーンエージャーの終わりぐらいだった…。
ただもうあっこの人好き!好き好きと思ってるぐらいで結婚とかそういうことはまったく考えてる暇もなかったし。
いや〜。
な…何?阿川さんはどうしたのよ?あははっ!阿川さんまだ1人なの?うんちょっと1人なの。
いい人が絶対いらしてくださると思うわ。
ありがとうございます。
だから一回してみらたら?
(スタッフ)あははっ!どうしてここでインタビューされて…。
(浅丘)だからいいの。
あなたいつもインタビューしてるんだから私がインタビューしたい。
泣いちゃうよもう。
いいよ泣いて。
(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
だいぶ慣れてきたぞ。
意外とできるのね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
和食の厳選レシピが50種類選べるレンジ。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
どう?なかなかのもんだろう。
ふふっご自分でおっしゃるんですね。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
演技っていうものはまあ私あんまりやったことないからあれですけども…映画の監督とか先輩にいろいろこう注意されたり叱られたりして。
映画のときはもちろんもうちっちゃいですから「ルリ子バカ!なんとかなんじゃ駄目だろ!」とかってもうNGはいっぱいでも平気でした。
もう私しかいませんでしたからちびっこいのは。
悪意があって怒ってるわけじゃないですし。
「ルリ子おしっこか?おいでこっちおいで隠してやるから」とかって野原で照明のおにいさんたちがみんな隠してくれたりとかってほんとにかわいがっていただいて。
ああもうみんな…みんなおにいちゃんみたいな。
はいおにいさんおねえさんで。
へえ〜。
浅丘さんがお若い頃に石原裕次郎さんと共演した映画もたくさんおありだったと思いますけれどもその中の一部があるそうですけれども。
1967年公開の映画…。
私たちの子供よって。
この映画で浅丘さんは石原裕次郎さんの元恋人のヒロイン役として出演。
(浅丘・スタジオ)素敵でしょ〜。
愛し合いながら結ばれない2人の甘く切ないラブストーリーが評判を呼びました。
(浅丘・スタジオ)長いんですよこれが。
(阿川・スタジオ)ああ…。
(浅丘・スタジオ)チューしてる間が長い。
(阿川・スタジオ)あははっ!
(浅丘・スタジオ)でお別れしなきゃ。
これ「カサブランカ」ですね。
(阿川・スタジオ)「カサブランカ」!・夜霧よ今夜も・有難う前お会いしたときには私の理想の男性像は石原裕次郎とおっしゃったでしょ。
ええ。
あの〜どちらかというと石坂浩二さんタイプよりは石原裕次郎さんタイプの方が好き。
ご自分の好みとしてはそっちだったんですか?はい。
で石原裕次郎さんとそういうふうな…なんていうの?ラブな関係にチラッとなるとか。
それはありました37本もやってれば。
もうラブシーンばっかりやっているとやっぱり自然にこう思いがいくでしょ?でもお邪魔はしてはいけませんから。
あの〜ご結婚なさってらしたから。
あっもうあの映画のときには北原…。
もうもちろんです。
だからあの〜中…心の中での恋心だけ…。
う〜ん…。
(浅丘)抱いていました。
やん!やん!ふふふっ。
やんちょっと。
ごめん足踏んずけちゃった。
大丈夫ですけど。
あっそうだったんだ。
あんなに素敵な人はいない誰も嫌いっていう人がいない。
へえ…。
それでまあセットで何日何時間…1時間半か2時間遅れて来るんですよみんなセットでスタッフや私も待ってるんですよね。
あぁ…。
もう1時間…。
まだね。
ああ〜…だんだんもうイライラしてきて。
いよいよ2時間…前に入ってきました。
はい。
ずっとにらんでるんです。
「ルリ子!おはようおはよう。
ごめんなごめんな!」。
これでもう許されちゃうの。
あははっ!2時間待たされても!?
(浅丘)ええ。
「ごめんなごめんな!ルリ子ごめんな!」って言うと「ほんとにもう遅れないでよね!」とかって言えるでしょ裕ちゃんには。
「どういうつもりよ!」みたいな。
ええ。
あの〜勝さんには申し上げましたけど。
(スタッフ)あははっ!勝新太郎さんには。
でそのあとで寅さんの映画には全部で48回のうちの4回出られてでその最終回がリリーさんなんですよね?ルリ子さんなんですよね?もうね3回目の「ハイビスカスの花」から最後の作品まで15年たってたんですね。
もういい3本やってあのハイビスカスでいちばんいいときで終わったからお断りしたんです最初は。
でも「松竹」がどうしてもって言ってどうしてもっていうことは何かあるなと思って。
ああ〜だんだん具合が悪くていらっしゃるのかなと思って。
もしかしたら…。
とにかくその記者会見やるのに寅さんのとこへご挨拶に行ったんですよお部屋が隣だから。
でご挨拶に行ったらベッドに寝てらしたの。
ふ〜ん。
びっくりしてお顔を見たらああ…寅さんがどこにもいない。
どういうわけか私台本を持ってて「サインしていただいていいですか?」って言ったら渥美さんがちょっと起き上がって「リリーさんへ渥美清」って書いてあの〜似顔絵を描いてくださって台本の裏だったんですけど。
それを大事に持っていって隣の部屋で帰ってもうわんわん泣いたんですよ。
撮影入る前に?撮影入る前に。
これから記者会見するのに。
それであるとき山田さんに「山田さんもしかしたらきっと最後になるかもしれませんから結婚させていただくわけにはいかないでしょうか」って。
リリーと寅さんを?寅さんと。
そしたら「ああごめんなさい。
もう49作目のロケハンにこないだ行ってきたばかりで」って。
じゃあそこで結婚しちゃうと寅さんの話が続かなくなっちゃうからリリーと結婚させるわけにはいかないと。
あぁ…。
女優のお仕事が途中でもうつらいと思ったことはないんですか?それがまったくねそういうのがないんです。
ないんですか?で運が強いことにあの〜映画が衰退していく頃にテレビのドラマのお話があってそれもちょっと皆さんがいろんな監督たちのいい監督がちょっとだんだん飽きてこられたかなって思うときに舞台の話が蜷川さんから38歳のときに「ノートルダム・ド・パリ」っていうので。
蜷川さんですもんね。
それをきっかけに舞台をずっと今まで続けていられるわけですから。
だから蜷川さんが…。
私やだやだやだやだ。
舞台なんて絶対嫌です。
舞台に出なくても舞台に立ってなんにも分かんなくてそこに突っ立ってもね私どうするのどうするのなんて言うの?なんて言うの?台本…台本貸してって言っても分からない誰も教えてくれないみたいな夢ばっかり見てたんですね。
だからもうずっとお断りしてたんです。
でも蜷川さんの執拗なお誘いで…。
いやよくお引き受けになりましたね。
もう怖かったです。
怖かった?最初は。
でも灰皿は飛んでこなかった?だからね蜷川さんにもうそのこと有名でしたから「蜷川さんもし私を怒ったらば私即帰りますから」って。
あははっ!かわいい〜!最初にもうそう申し上げておいたんですね。
あの方は芝居が悪いとどなりますけど自分のちゃんと意に沿ってると絶対怒らないですし何もおっしゃらないですから。
へえ〜。
日本を代表する女優として活躍してきた浅丘さん。
プライベートでは60歳のときに長年連れ添った石坂浩二さんと離婚。
大きな転機を迎えました。
私は石坂さんと結婚して…。
30年もだって…。
30年も。
でもあれですよねあの〜兵ちゃんは兵ちゃんで幸せな30年で…。
もうねほんとにねあの人がどんなに私を成長させてくださったか。
私が今こうしていられるのはあの方が「君は女優さんとしての才能がとてもあるからやめるのはもったいない。
仕事はしてください続けてください」って言って。
もうほんとに彼のいろんなことをやってあげなきゃならないのに…お客さんがいらしても自分であの人作りますから。
お料理も上手だって…。
なんでもかんでもできますから。
ほんとに放っておいても1人で暮らしていける人ですから。
(一同)あははっ!だからなんにもやらずにねあの〜…まあちょっとはやりましたよ。
あははっ!
(スタッフ)あははっ!でもまああの方はやっぱりいろんなものをいろんなことを私に教えてくださって。
知識が豊富でらっしゃってね。
いちばん私感謝してるのは興味があったのは絵のことですね。
もういろんな方の絵をほんとの所に行って…美術館へ行って見せてくれたりとか。
へえ〜!人生の家庭教師みたいな方…。
はいほんとに家庭教師でした。
もういろんなことですよ。
詩からタクトからそれからプラモデル何から何までいろんなことを教えていただいて。
だからあの人を全然もう憎んだり何したりってことは一回もない。
そうなんですか。
なぜ別れなきゃならないかっていうとあちらに好きな人ができたからですよね。
でもね好きな人ができるっていうことはしかたがないことです。
あの〜1人の人をずっとっていうわけにはいかないですいろんなお仕事をしてたら。
私たちだって舞台の中で疑似恋愛をしますよねそのときだけでもっていう。
そうですよね。
そういう感情っていうのは人間誰でもあることですしだからそれが人様にすごいご迷惑をかけるとかご家庭を駄目にするとかそういうことはいけないですけれどもそうじゃなければ思ってることは勝手ですから。
でもあちらにそういう方が…お若い方がおできになってでどうしてもっておっしゃったので。
結婚する人がいるからとは絶対言いませんでした。
そうなんですか。
ええ。
親を介護してくれる人を子供が欲しいからって。
子供が欲しい…ああそれじゃあ私はもう無理だから…。
ふ〜ん。
どうぞって。
まあでもそれもまたいい結婚生活のご経験をなさって。
とてもいい結婚でしたね。
ごめんね話が…。
全然。
とんでもないおもしろいですよ。
おもしろくない…。
いやおもしろいっつうの!
(スタッフ)あははっ!おもしろいってば!ふふふっ!じゃあ2曲目いきましょうかね。
あっうれしい!サニー・デイヴィスJr.の「NightAndDay」これねほんとになんか心からソウルっていうの?そういうものが出てでこの「NightAndDay」はいっぱいいろんな人がカバーしてらっしゃるけどすごい格好いいの!リズムの取り方がもうなんか天性のものみたいな。
昼も夜もあなたを愛してるみたいなことらしいんですけど。
らしいんですけどね。
あははっ!いいわね〜こんな…「NightAndDay」って。
ねえ〜ついてくるってあなたの思いがついてくる。
どこにいようと関係ないと。
どこにいようと。
ねっ。
いいですね。
いらっしゃいますか?今。
いつもいつもおります。
あっそうでございますか。
やだもう〜!途切れたことありません。
途切れたことがないんですか!?ええ〜!もういっぺん結婚しようとは思われなかったんですか?思わないです。
そんな面倒くさいことしたくありません。
そうなんですか。
あははっ!もう思ってるだけでいい。
佐和子さんしっかりしなさい。
はいどうもすみません。
ねえ。
恋をしてると素敵です。
いひひっ。
佐和子さん佐和子さん早いことしなさい。
この人だったら大丈夫って私が見てあげるから。
ほんとに?「駄目よあんなヤツ」とか…。
でも「つきあってごらん」って。
もしかしたらやめた方がいいかもしれないって思っててもだから阿川さんが好きになったんだからしょうがない。
私が好きになったわけじゃない。
2015/10/31(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字][解]【浅丘ルリ子▽輝き続ける75歳】
ゲスト・浅丘ルリ子/女優▽出演映画は158本!昭和のヒロインが語る大スターとの共演と名作。あの俳優は「今みたいにデブじゃないですし…」!?阿川佐和子が迫ります!
詳細情報
番組内容
ゲストは、女優の浅丘ルリ子さん。14歳の時に映画「緑はるかに」で銀幕デビュー。その後、映画“渡り鳥シリーズ”での小林旭さんを始め、石原裕次郎さん、勝新太郎さんなどの大スターと共演を果たし日活の看板女優として日本映画の黄金期を支え、更に渥美清さん主演の映画「男はつらいよ」シリーズで、マドンナ“リリー”としても人気を博しました。
番組内容2
出演映画は158本にも及び、現在も映画・ドラマ、舞台と幅広い場でその魅力を発揮し続けています。
30歳のときに結婚した俳優の石坂浩二さんと60歳という熟年期に離婚した浅丘さん。“人生の家庭教師のような人”だったと言う、その時の胸の内を明かします。人生の大きな転機を経験した後も、紫綬褒章、旭日小綬章を受章するなど常に美しく輝き、前向きに生き続ける浅丘さんの魅力に阿川が迫ります。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
浅丘ルリ子(女優)
1940年、満州国新京市出身。
1955年、映画「緑はるかに」で銀幕デビュー、2年後にはレコードデビュー。
1966年、TBSドラマ『真田幸村』に出演。テレビと舞台に活動の場を移す
1971年、石坂浩二と結婚。
1975年、「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」でブルーリボン主演女優賞、毎日映画コンクール女優演技賞を独占。
2002年、紫綬褒章を受章
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
お知らせ
【解説放送あり】
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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