またよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
(テーマ音楽)
(拍手)宝井琴桜です。
宝船の宝井戸の井琴という字に桜という字を書いて宝井琴桜。
「琴桜ではありません」と必ずお断りをする事になっておりますが。
今日はご夫婦の物語を語りたいと思いますが今日の物語「壺坂霊験記」。
浪曲の方でおなじみの方が多いのではないかと思いますが講談の方でも連続講談として伝わっております。
昔は講談講釈というのは連続ものが主流でございまして一日寄席へ行った講釈場へ行って全部話が分かるという事ではなしに毎日毎日連続で楽しむ。
それが講談の一つの楽しみ方だったようですね。
ですから我々の先輩たち講釈師講談師もいろいろ工夫を致しまして今日来て頂いたお客様に明日も来てもらわないといけない訳ですからいろいろと工夫をした訳です。
例えば…。
「話をしておりますこの時に天井裏でカタリと物音がする。
何事ならんと見上げてみると赤いものがタラリタラリと落ちてきた。
果たして何事が起こったのか。
いよいよ物語は面白くなってまいりますが明日の連続として本日はこの辺で失礼を致します」なんという事になりますとお客様の方は気になりますから「誰かくせ者でも忍び込んだのかな?どうしたのかな?いや明日は忙しいんだよ。
明日は仕事があるんだけれども気になるな」というので都合をつけて来て下さる訳です。
そうすると前の日と同じ講釈師が出てまいりまして…。
「昨日の続きを申し上げます。
話をしておりますこの時に天井裏で物音がする。
何事ならんと駆け上ってみれば猫がネズミを押さえていた」。
(笑い)別にどうって事のない話だったり致しまして…。
今日は長いお話の中から放送時間の中で収まるように皆様方におつきあいをして頂きたいと思いますが…。
時は徳川十一代将軍家斉の頃所は大和国高市郡高取の在に源兵衛というお百姓さん。
幼い時に両親を亡くした甥の新六を引き取り2人で暮らしておりますちょうど寛政の2年。
新六18歳。
この年はいつになく天候が不順で8月に入りますと20日も日の目を見る事ができない雨が降り続き21日から22日にかけましては大嵐となるごうごうたる辰巳風。
ザザザザザッザザザザザッ!板屋根を走る雨の音。
「おじさんえらいあれや」。
「ああ。
この分だと水が出るかもしれんな」。
心配をしておりましたこの時に。
「源兵衛さん!源兵衛さん出ておくれ!檜隈川の大口の土手が切れそうなんや!男という男はみんな出ろというお奉行様のお触れや!」。
「え?大口の土手が切れたらこの辺りから高取まで海になっちまう。
へえへえ今すぐ出ますわいな!あっ新六おめえも早く支度をしろ」。
蓑笠で身を包みクワを持って外へ出る。
外は篠突くような雨。
家から7〜8町やって来た所にあります大口の土手。
ふだんは大きな石がゴロゴロとしているだけですがこの日は赤黒く濁った水がまるで弓で矢を射るような速さでものすごいありさま。
大勢の人々が土手を守っている。
「ああもっとそこを守れ!そこを大事にしろ!ああこっちも守れ」と馬上から指図を致しますのが郡奉行の柳田十左右衛門でございます。
そのうちにドドッ!轟音がとどろいたかと思うと数十軒にわたって土手が崩れた。
濁流が得たりとばかりに押し込んでくる。
「うわ〜切れた!逃げろ!逃げろ逃げろ!」。
みんなは何もかにも放り出してうちを目指して駆けいだす。
源兵衛も新六も水に追われるようにしてうちへ戻ってまいります。
めぼしいものといったって大したものありませんがこれを持ち出して山の方へ逃げようかというこの時に既に遅く水かさは増しやむなく2人は屋根の上に避難を致します。
いつの間にか外はまるで海のよう。
「助けて〜。
助けて〜!」。
見れば大きなわら屋根が流されてくる。
それに取りすがっておりますのが15〜16の娘。
「あっおじさん大変や!」。
「おい新六おめえ何をする気や!あ〜無理や無理や!新六むちゃな事はやめろやめろ!」。
止めるおじさん源兵衛を振り切って新六はそのまんまザンブと水の中。
ようやくの思いでわら屋根にたどりつく事ができます。
屋根に突き刺さっておりました竹を引っこ抜くとこれをさおと致しまして力任せに漕ぎいだせば娘はただただ震えるばかり。
「お〜い新六!そっちはあかん!流される!こっちやこっちや!こっちや!」。
源兵衛も必死でございます。
そのところへたまたまご領主様の出した救助船がやって参りまして新六も娘も助かりました。
ところがその夜から新六の目が痛みだしてしかたがない。
視力も落ちてまいります。
5日後にようやくお医者に診てもらう事ができたんですが医者は首をかしげるばかり。
「先生新六の目はどうしてこんな事に…」。
「さあ…。
大水の悪い水が入ったのかもしれんしそうでないかもしれんし…」。
「先生!新六の目は治りますか!?」。
「さあ…。
治るかもしれんし治らぬかもしれんし」。
首をかしげるばかりでございますがお医者さんに首をかしげられては患者としてはこんな心細い事はない訳でございまして。
ちなみに私の母が秋田におりますが「腰が痛い足が痛い」というのでお医者へ行ったんですね。
先生によく分かってもらいたいと一生懸命に症状を説明をしたんだそうですがお医者さんはただひと言しか言ってくれなかったそうです。
「加齢です」。
(笑い)「もう『加齢です』と言われてガッカリした」なんて母は言ってましたけれどもお医者さんは言動にちょっと心して頂きたいなと思いますが…。
月日のたつのは早いもの。
あっという間にそれから半年。
今ではすっかり視力がなくなりましたのが新六でございます。
その新六の身の回りまめまめしく世話を致しますのがあの大水の時に新六に助けてもらった娘のお里でございます。
お里は米問屋の一人娘でございましたがあの大水で親を亡くしました。
店も無くなりました。
自分が助かったのは新六さんのおかげ。
その新六さんが目を患われた。
それではお礼の万分が一。
少しでもお世話がしたいとやって来た。
それならお前たちいっその事夫婦になったらばとおじ源兵衛の勧めで2人は夫婦となりました。
「おじさん新六さんの目は治らんもんでしょうか?」。
「お里諦めるではない。
一心に御仏に願うたら御利益を得られるはずや頂けるはずや」。
「はい。
仏様に一生懸命お願いをして何としてでも治して頂きます。
おじさん御利益の多いのは観音様でしょうか?お地蔵様でしょうか?お不動様でしょうか?」。
「何を言うかお里。
三世の諸仏は皆お釈様の仮の姿。
『分け登る麓の道は異なれど同じ高嶺の月を見るかな』。
これは前に壷阪寺の和尚様に教えてもろうた事だ。
あの壷阪寺はな畏れ多くも桓武天皇様が建立となされまだ帝が奈良におわす時に目を患われ国中の名医という名医が集められたがご平癒あそばされずこの時に壷阪寺の方丈様道喜上人が107日間観音様に祈願をしたらばご平癒あそばされたという今では西国六番の札所となっておる」。
「それではおじさん私もこれから霊験あらたかな壷阪の観音様にお願いをして新六さんの目を何としてでも治して頂きます」。
「ああそれがいいそれがいい」。
励ましてくれたおじの源兵衛はそれから程なくふとした風邪がもとで病の床につきあっけなく亡くなってしまいます。
後に残されました新六とお里。
いつまでも泣いている場合ではありません。
新六はもみ療治や鍼を習いまして名前を沢市と変えまして稼業と致します。
そんな沢市をこまごまと気を配って手助けをしておりますのが妻となりましたお里でございます。
月日のたつのは早いもの。
あっという間にそれから2年。
その日明け方に目を覚ましましたのが夫の沢市でございます。
「お里今何時であろうな?まだ夜明け前だと思うが…なあお里」。
声をかけましたが昼の疲れでぐっすりと寝入っているものか返事がありません。
厠へでも行ったのかと思ったんですが隣の布団に手を伸ばすとぬくみもありません。
よほど早くに布団を抜け出たらしい。
「お里こんな時分にどこへ行ったんや?何をしとるんや?まさかこんなわしに愛想を尽かしてほかにいい人ができたのかもしれん。
まさか…まさかお里に限ってそんな事をする訳がない。
いやお里はなかなかの器量よし。
ほかの男が放ってはおくまい。
まさか…」。
人は悲しいものでございます。
こういう時にはいい事を考えない。
悪い方悪い方へとまさかの坂を転げ落ちていく。
「いくらわしの目が見えなくなったとて踏みつけにするとは情けない。
ええいどうしてくれようか。
戻ってきたら取って押さえて白状させてぶってぶってぶってくれるわ」と沢市居ても立っても寝転んでもいられません。
やがてそのうちに…。
ゴ〜ンゴ〜ン。
明け六つの鐘が鳴り響き忍びやかに草履の音がして裏口からそうっとお里が帰ってくる。
「お里か。
今まで何をしていたんや?」。
「あれ沢市さん目が覚めておいでかえ?」。
「今までどこに行ってした?」。
「どこってそこ…」。
「そことはどこや?わしはお前と夫婦になって3年。
こんな情けない事はない。
こんなわしに愛想を尽かしてほかにいい人ができたというんならそれならそれで言うてもらえ…」。
「まあ沢市さん何をおっしゃるんですか!情けないのは私の方ですよ。
命の恩人の沢市さんを踏みつけにするようなそんな女だとお思いかえ?それは聞こえませぬ。
聞こえぬ聞こえぬ!聞こえませぬわいな〜!」。
…って浄瑠璃だったらこんな感じになるんでしょうか。
そんな疑いを持たれるなら真実まことを申しましょう。
何としてでも沢市さんの目を治したい一心で私は毎日七つの鐘が鳴るのを待ってうちを抜けいだし半里の山道駆け上り壷阪の観音様に祈願を続けていたんです。
それなのにそんな疑いを持たれるとはこんな情けない事はないと泣きいだしたのが妻のお里。
「そうであったのか。
そうとも知らずわしはひどい事を言うてしもうた。
すまぬ。
すまぬこのとおりだ。
お里そういう事ならわしも今宵は一緒に行ってお参りがしたい。
連れていってもらいたい」。
「まあ!沢市さんには険阻な山道無理ですよ」。
「いいやわしは子どもの時分に上がった事もある。
大丈夫や」。
「でも沢市さん胸に持病がおありだから…」。
「いいや近頃は痛みも起きてはおらぬ。
大丈夫や」。
それほど言うならばとその夜お里はいつもより早く九つの鐘が鳴るのを待って提灯を持ち沢市杖にすがる沢市の手を引いて壷阪山へ杉の茂みの細道伝い。
険しき山道を登りますお里沢市。
「沢市さんしっかり私の帯をつかんで下さいよ。
離しちゃいけませんよ。
大丈夫ですか?」。
「ああわしなら大丈夫や。
それよりお里お前足元は大丈夫か?」。
「はい。
今日は月夜でございますから足元が明るくて助かります」。
「目明きの人は不便だな。
わしなら昼も夜も同じだが」。
「本当に目明きは不便でございます。
さあ沢市さんもう少しですからしっかりして下さいよ沢市さん」。
沢市さんと励ましながらやって参ります壷阪寺の観音様のお堂の前。
南無大悲の観音様。
どうぞ御利益をもちまして眼病平癒ならしめたまえ。
大願成就あらしめたまえ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
お里はいつものように一心込めて祈っております。
ふっと気が付くと隣の沢市が胸の辺りを押さえている。
「あれ沢市さんどうしたえ?」。
「胸先がきりきり痛んでならぬわ」。
「だから言ったんですよ。
山の気で体が冷えたのでございましょう。
さあ急いで戻りましょう。
山を下りましょう」。
「いいやせっかくここまで来たからは夜が明けるまでお参りをしなければわしの気が済まぬ。
お里すまぬがお前はうちへ取って返しあの合い薬を持ってきてはくれまいか?あれさえあればすぐに痛みは治まるはずや」。
「そりゃ薬を取ってくるのは造作もないがこんな所へ沢市さん一人残して…」。
「いいやわしには観音様がついてござる」。
「それならたんと悪くなっては困りますゆえ取ってまいります。
沢市さん動かないで下さいよ。
ここにいて下さいよ。
どこにも行かないで下さいよ。
それじゃ行ってきますから」と慌ただしく山を駆け下りていく妻のお里。
「お里…。
お里!お里…。
行ってしもうたか。
胸が痛いと言ったはうそ。
わしはこれから一人で死ぬるつもりじゃ。
医薬の手当てを尽くしてもどうにもならない己の目。
観音様にお願いをしても到底無理な事や。
それなのにお里はわしを思う一心で3年の間欠かさずお参りを続けてくれた。
わしが生きておればお里は一生苦労をせねばならぬ。
わしさえいなければお里は再嫁して一花咲かす事もできるであろう。
これまで尽くしてくれた真心わしはそれだけで十分じゃ。
南無観世音菩薩様わしの命をささげますゆえどうかお里の行く末をお守り下さりませ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。
手を合わせた沢市。
そのまんま手探りでお堂の横手にやって参りますと確かに聞こえてまいりますのが谷底を流れる水の音。
「ここだ。
お里さらばじゃ」とそのまんま谷底目がけて真っ逆さま。
そんな事は知らないお里。
薬を取ってまいりまして急いで駆け戻ってまいります観音堂の前。
沢市の姿が…こはいかにありません。
「沢市さん?どこへ行きなすった?沢市さん薬を取ってきましたぞえ。
沢市さん!沢市さん!」。
顔色変えてお里があちらこちら捜しております。
観音堂の横手に参りますと杖が落ちている。
「あっこれは沢市さんの杖。
もしかして」とハッとして谷底をのぞいてみるとこはいかに。
ぴくりとも動かぬ沢市の姿。
「あれ沢市さん…。
それじゃあお前は私をうちへ帰して一人で死ぬるつもりであったのか…。
情けない。
沢市さんに死なれてどうして私が一人で生きていけましょう。
沢市さん私もすぐに…すぐに参りますから。
南無阿弥陀仏」。
そのまんまお里も谷底目がけて飛び込んだ。
講談はこういう場合に必ず誰か助けに来る事に決まってるんですね。
話が終わっちゃうから。
例えばですね…今まさに飛び込もうというこの時に「おっとねえさん待ちな」と後ろから抱き留めた者がある。
「離して下さい!離して下さい!」。
「おっとっと。
どういう訳があるか知らねえが『三人寄れば文殊の知恵』『膝とも談合』という例えがあるからさあさあこっちへこっちへ」と助けてもらう事が普通なんです講談は。
ところが今日のお話は誰も来ない。
来る訳がない。
夜明け前の山の中。
山賊だって出やしません。
ちなみに余計な事ですが身投げをする人を助けるにも順番があるんだそうですね。
第1番目に声をかけちゃいけないそうです。
そういう状況の人を見つけた時に「お〜いやめなさ〜い!バカなまねはやめろ〜」なんて声をかけちゃいけないんですね最初に。
声をかけるときっかけを作る事がある。
やめようかどうしようか迷っている人まで声をかけられてびっくりして「あっ誰か来た」なんて飛び込んでしまう。
だから順番として一番先にする事はそっと近づいて相手を抱き留める。
そして2番目に「どうかしましたか」と声をかける。
それが順番だそうです。
とにかく誰も来ない。
谷底へ飛び込んだお里沢市。
何事もなかったように深山の夜は更けていく。
谷底に倒れ伏したるお里沢市。
やがて明け近き雲間よりサッとさし込む一脈の光明。
あれよあれよあれよあれよという間に7色の雲に変わりましてその真ん中にいとも気高き観世音菩薩の姿が現れ慈愛に満ちたまなざしがじ〜っと谷底の2人に注がれる。
朝が来た。
ふっと我に返りましたのが沢市でございます。
見ればそばに女が倒れている。
「あこれしっかりしなさい。
これこれ!」。
「ああそなたは沢市さん」。
「え?お里…お里か?ああお里だ!お里!」。
「まあ沢市さん目が明いたんですか」。
「明いた…。
明いた!お前を薬を取りに行かしたそのあとで一人で死ぬるつもりで谷へ飛び込んで死んだはずなのに今誰かに沢市沢市と呼ばれたような気がして目が覚めた。
目が覚めたら目が明いた」。
「まあ!私も薬を取って戻ってきてみると沢市さんの姿が見えず慌てて谷底をのぞいてみたら沢市さんが倒れていて死んだと思ったものだから私も後を追おうと飛び込んで私も死んだはずなのに…」。
夢かうつつか幻か。
いいやこれこそまことの観音様の御利益を頂いたに相違がない。
ああありがたやかたじけなやと2人がしっかり両の手を合わせて涙をこぼします。
さあ沢市の目が明いたんです。
往来を歩いていると「沢市さんどこへ行くんだね?」。
声をかけた者がある。
言われて沢市とっさに目を閉じて「あっその声は伊勢屋のご隠居さん」。
「何だね毎日のように顔を出しているのに分からないのかね」。
「申し訳ありません。
急に目が明いたので不自由になりました。
しかし見ると聞くとでは大違いでございますね。
伊勢屋のご隠居さんというとご立派な方だと思っておりましたが今見てみるとしわくちゃの貧弱なご老人」。
「な…何を言うんだね」。
これが評判になりまして「聞きましたか?」「聞きました」「聞きましたよ。
沢市さんの目が明いたそうですよ。
壷阪の観音様の御利益ですよ。
いや〜日頃から2人は心根がいいから観音様もお慈悲をかけて下さったんでしょう。
いや〜私もあやかりたい」「私もあやかりたい」と後から後へ観音様をお参りに行く人が続きまして平成の今日に至っている訳でございます。
「講釈師見てきたようなうそをつき」と申しますがうそでもいいから真面目に暮らしている人々が救われるような世の中でありますようにと願いを込めて「壺坂霊験記」の一席この辺で失礼を致します。
(拍手)2015/10/31(土) 04:30〜05:00
NHK総合1・神戸
日本の話芸 講談「壺坂霊験記」[解][字][再]
宝井琴桜の講談「壺坂霊験記」を放送する
詳細情報
番組内容
宝井琴桜の講談「壺坂霊験記」を放送する。
出演者
【出演】宝井琴桜
ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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