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舞台男子

第2回 池田純矢の心 前編

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舞台男子 池田純矢

己の事を知る——それはとても怖いことだ。
けれど池田純矢は受け止めた、14歳のときに。
そして、この世界で生きる、と決めた。
だから当たり前に全部を受け止めて、当たり前に努力する。
そして、きっと何事もなかったかのように笑うのだろう。

 

池田純矢 いけだ・じゅんや

1992年10月27日、大阪府生まれのA型。現在22歳。
2006年、第19回ジュノンボーイコンテストで準グランプリを受賞し、この世界へ。2007年、ドラマ『わたしたちの教科書』でドラマデビュー。ドラマ『 花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』などに出演。2008年映画『DIVE!!』で映画デビュー。2011年6月から『海賊戦隊ゴーカイジャー』にてゴーカイシルバーこと伊狩鎧(いかり・がい)役で話題を呼ぶ。
2013年、『牙狼-GARO- 〜闇を照らす者〜』 炎刃騎士ゼンこと蛇崩猛竜役を熱演。来年2015年1月上演のミュージカル『薄桜鬼』藤堂平助 篇で初主演、座長を務める。

 

池田純矢オフィシャルブログ
池田純矢Twitter @junya_ikeda2710

 

池田純矢さん
告知動画はこちら。公演は終了しました。
http://youtu.be/KGSSkUnXkEQ

 

・サイン入りポラロイド写真プレゼント。
 たくさんのご応募、ありがとうございました。
 発表は発送を持って変えさせていただきます。

 

ミュージカル『薄桜鬼』 http://www.marv.jp/special/m-hakuoki/
海賊戦隊ゴーカイジャー(テレビ朝日) http://www.tv-asahi.co.jp/go-kai/
牙狼ーGAROー〜闇を照らす者〜 http://garo-project.jp/TV3/index.html#/top/
銀河機攻隊マジェスティックプリンス http://mjp-anime.jp/
舞台×映画「メサイア」 http://www.clie.asia/messiah/
矢崎広×中屋敷法仁=『なかやざき』 http://nakayazaki.com/

 

 舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

 

一番じゃない、ことを思い知る

 

——2006年、第19回ジュノンボーイコンテストで準グランプリに輝きます。当時、13歳!
池田:準グランプリを取ったときは14歳で、コンテスト中が13歳だったんですが、応募規定の最低年齢でした。
——その年齢でこの世界を目指す、と決めていた?
池田:目指したキッカケは周りが応募してくれたからですが、やるからには賞を取りたいとは思っていました。ただ最初は迷いもあり、いい思い出になればいいかなと思っていた部分もあって……でも、それが本気になるための原動力となるできごとがあったんです。
——なんでしょう。
池田:準グランプリだったことです。僕は「一番」じゃなかった。
——それが悔しかった……?
池田:はい。ただ、受賞したときは「準グランプリ、おめでとうございます!」って言われて「わーい!」って喜んで、東京での最終審査の翌日、地元の大阪に帰ってわくわくしてテレビを観ていたんです。朝のワイドショーで「今年のジュノンボーイコンテストは」って取り上げられるんですが、どの番組でもグランプリを紹介しても、僕の名前はひと言も出なくて……そのときに初めて「ものすごく悔しい」という感情が生まれました。
 今思えばたいしたことはできていなかったかもしれません。ただ、思い出になればいいと言いつつも、あのとき、自分ができることを必死にやりました。その結果の準グランプリだったので「少しは報われたのかな?」と思っていたんですが、その気持ちが完全に吹っ飛びました。
——14歳で味わうにはなかなかにキツいです。
池田:だからこそ、大きな原動力になりました。実は僕、小学校に入ってすぐイジメにあって学校を休んでいて。なんでしょうね、子どもって例えば名前とか髪型とか、ごく単純なことでイジメにつながるから、すごくささいなことだったのかもしれないけど、家から出られなくて。
 そのときに黒澤明監督作品のビデオをずっと観ていたんです。おじいちゃんが好きだったから、映画『七人の侍』や当時の日本映画を観て「うわあ、すげえかっこいい!」と思って。それ以来、『七人の侍』の三船敏郎さんや『座頭市』シリーズの勝新太郎さんが大好きで、幼稚園当時の夢に「戦隊ヒーローになりたい」というのがあったんですが、その次に「勝新太郎になりたい」というのがあって。
——演じる人になりたいという思いが育っていた?
池田:そうですね。ただ、確固たる目標になるための初動が「二番だった」ということで、その後、さらに「ここでずっとやっていこう」と思えたことがあったんです。
——なんでしょう。
池田:2008年公開の映画『DIVE!!』に出演したことです。これは初めてのオーディションで受かった作品で、林遣人さん主演の青春映画なんですが、僕はその弟役をいただいて。そのころ、デビュー作にあたるドラマに出演していましたが、映画は初めてだったから自分なりに思い入れもあってがんばっていたんです。でも、熊澤尚人監督にボロっくそに言われました。
 ドラマはさほど台詞がある役ではなくて、きちんと台詞があって演じること自体も生まれて初めてだったんですが、とにかく怒られて。
——初めてづくしだったところに、いきなり?
池田:はい。地方ロケもあって、どこでもじっくり撮っていく感じで。ホテルの会議室みたいなところを借りて、毎回「このシーンはこうやって撮っていくから」と説明があって、リハーサルもていねいで……ああ、映画ってこんな風に撮るんだ……ってうれしくて。でも、どうも、僕、当時、ふらふらする癖があったんですね。
 ピシ! と立てないというか、なんかふらふらしてたんでしょうね。「ふらふらしてるぞ」とずっと言われていて。「すみません!」って謝って、自分では気を付けているんだけど、リハを繰り返す度に「おい、まだふらふらしてるぞ」、「はい、すみません」、「おまえ、やる気あるのか」、「あります!」って。「じゃあ、ちゃんとやれ!」、「はい!」って。でも、多分またふらふらしちゃったみたいで。ついには「帰れ!」って怒鳴られて。めちゃくちゃ怖くて、でも、帰るわけにはいかないから、ふんばって立つと今度は意識しすぎちゃって「演技になってない!」と叱られ……「自然体でいろ」って言われて、必死に「ここにいなきゃ」って思えば思うほどできなくて。
——デビュー早々に、貴重な経験をしています。
池田:でも、ラストシーンの撮影ですっごい感情を入れてぶわーって叫ぶ姿を、スーパースローカメラで撮るシーンがあって。そこは一発でOKをいただいて、監督に「今くらい出してたらいいんだけどなぁ、よかったよ」と言ってもらえて。わあ……ってなって、ものすごくうれしくて。初めて「芝居っておもしろい」と感じて、初めて役を演じる意味みたいなものを考えて。そうしたら不思議とふらふらする癖も治まって。
——覚悟が決まった、といった感じでしょうか。
池田:どうなんでしょう。でも、後日、その映画のアフレコがあって、監督から「なんか、芝居がうまくなったな」って声をかけていただいて……それまでにいくつかドラマの仕事はしていましたが、そのひと言がもらえて本当によかったなと思えました。
 公開されたときに前売り券をいただいたんですが、それとは別に自分でチケット買って映画館で観たい、と思って行ったんです。そうしたら物語もよくて、感動して……でも、思わずぐうっとなったのがエンドロールで関わった全員の名前を観たときでした。最初にキャストの名前が流れてきて、そこには僕の名前もあって……お世話になったスタッフさんがあって、最後に監督の名前があって。怒られた人とか、一緒に笑った人とか、飯食った人の名前が目に入った瞬間にたまらなくなってぼろぼろ泣いちゃった。ひとつの作品を作るってこんなにもデカいことなんだと、強く強く思って。あのときの気持ちは今でも忘れられなくて……この仕事を一生、やる、と決めました。今までもあったし、この先も「この仕事しかない」と誓う機会ってたくさんあるんだろうけど、最初に感じて今も強く心にあるのは、あの瞬間です。

 

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

あの瞬間があるから、今もここにいる。

 

骨を組み立て、血肉を付ける

——2011年6月から『海賊戦隊ゴーカイジャー』にゴーカイシルバーこと伊狩鎧(いかり・がい)役で登場、本格的にテレビ出演を果たします。
池田:実は全然知られていないんですが(笑)、その前にすでに別のレギュラー番組に出演していたんです。
——なんでしょう?
池田:映画『DIVE!!』のあとにNHK教育(現、Eテレ)で『家庭総合』という高校生向けの番組に出ていました。ドラマとスタジオの二本仕立てで、前半に10分間のドラマがあって、後半10分間にスタジオパートで勉強するという構成で1年近くドラマパートの主演をやらせていただいて、その後、3年ほど再放送されていました。
——いつごろでしょう。
池田:確か、2008年9月放送のドラマ『Cafe吉祥寺で』の撮影と同じ頃です。こちらは3ヶ月ほどの昼ドラで、撮影が重なってものすごく大変でした。5ヶ月くらい撮っていたんですが、ほかにも出演していたドラマも重なってスタジオからスタジオへと行き来する毎日で、ずーっと撮影していた記憶があります。
——ことに昼ドラは毎日放送するため、一度、撮影用のセットを建てたらそこで一週間分のシーンをまとめ撮りする……と聞いたことがあります。
池田:そうなんです。カフェの設定だったんでカフェと街並、部屋と三つセットがあって、そこをぐるぐるぐるぐる回りながら、ひたすら撮影をするという……歩きながら衣裳を脱いで、着て、次のセットのカメラテストに間に合わせるという流れで。さらに僕が演じた一ノ宮純は部屋では髪を下ろしていて、カフェでは上げているという設定だったので、髪型も変える必要があって……。
——聞いているだけでもすさまじい。
池田:本当に大変でした! でも、ものすごく鍛えてもらったので、「戦隊の撮影は大変だよ」と言われてたのがむしろすごく楽しかった。
 勝新太郎さんになりたいという夢の前に、『五星戦隊ダイレンジャー』のキバレンジャーになりたくて、幼稚園の卒園文集に書いていたんです。それはヒーロー役をやりたいんじゃなくて、純粋にヒーローになりたかったんですが叶っちゃった。

 

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

ときに笑顔で、とつとつと。


——伊狩鎧は大の戦隊好きで、ゴーカイジャーの仲間になりたいと願い出ます。
池田:オーディションで最初にいただいた台本は、確かに戦隊にすごく詳しいけど、どちらかというと気障な感じのお兄さんキャラだったんです。でも、僕はもっとテンション高く台詞を言って「好きな戦隊の名乗りやります!」って変身ポーズを次々とやって。そうしたら合格して、新たに台本をいただいたらそのテイストが反映されていました。
——第18話のオープニングでも「謎のお調子者」とナレーションで紹介されています(笑)。さらに登場してすぐに披露したアクションのすごさが話題になりました。
池田:あれはとてもうれしかったですね。第17話が初登場で、次の第18話でアクションシーンがあったんですが台本では1行だけ「伊狩鎧、出てきてやられる」といった感じだったんです。
 でも、その前にアクション稽古で動きを見ていただいていて、もっとできるし、やりたいとアクション監督の石垣広文さんに相談して。そうしたら第17、18話の加藤弘之監督も乗ってくださって、それだけ動けるなら鎧が戦う展開にしようと、生身のアクションシーンを作っていただけました。
——なにか習っていたのでしょうか。
池田:勝新太郎さんに憧れてから格闘技に興味を持って、7歳のときに極真空手から派生した、新空手の道場に通っていました。東京に出てきてからもボクシングや古武術を習ったりして、『海賊戦隊ゴーカイジャー』のころからXMA(エクストリームマーシャルアーツ)もやり始め、アクロバットを独学で訓練して……だから、初めて演技で見せることができたのは大きかったですね。
 鍛錬し続けなければならないキャラクターだったこともありがたかった。今までは自ら役に近づいていくというか、寄せていくようなアプローチが多かったのが、初めて役の方から近づいてくれたのですごくやりやすくて。でも、だからこそ応えなくてはならない、ということもたくさんあった役でした。
——シアターGロッソ『ゴーカイジャーショー第5弾 素顔の戦士達』では、お買い物帰りに襲われて、思わず長ネギを手に戦っていて、あまりのらしさに会場は大受けでした。
池田:あれは期待に応えたと言うより、そこにネギがあったんですよね(笑)。で、ネギがあるなら使うだろうと思って。とくにらしくしようとか、サービス精神ということではなく役としてそうなったというか。——なりきっていた?
池田:……言葉にするのが難しいんですが、どんなときも、何かを無理矢理やってるつもりは一切ないんです。お芝居するときに、芝居を芝居として捉えるなと熊沢尚人監督から言われた言葉がずっとあって。
 だから与えられたキャラクターがこんな人生を送ってきたから、この台詞が出るんだというところまで考えて、骨を作って肉があって血が通っているところまで作り、ひとりの人間にしなければ芝居にはならないと思っていて。そこまで作ることで生まれることがあるだけで、あえて「ほら、こうやったらみんな、喜ぶでしょう」といったことは無いんです。
——骨と血肉があるから、自然と動ける?
池田:そうですね。ミュージカル『薄桜鬼』の藤堂平助もそうですが、伊狩鎧はとくに「できること」を増やせる役だったからサービス精神とかそういったことではなく「役として動ける」ことがあればやる、という感覚でした。
 でも、例えば舞台『メサイアー銅ノ章ー』と映画『メサイアー漆黒ノ章ー』(ともに2013年)で演じた桧賀山純也は何かを足すことはキャラがブレるし余計な気がして、ただ真摯に与えられた台詞と向き合っていました。
——どんなふうに役を組み立てるのでしょう。
池田:ただひたすらに台本とにらめっこです(笑)。僕、台本をもらったら、大学ノート一冊分くらい「役ノート」を作るんです。そこに役のバックボーンを書き込んでいく。そいつの人生を考え、ときにはこういうことがあったから、こんな口癖がある、とかまで考えます。それが役の解釈となり、演じるための骨となる。だから家に書き終わったボロボロのノートがたくさんあります(笑)。読み返すことはないんですが捨てられなくて。
——人ひとりの人生を考える……すごい労力です。
池田:めちゃくちゃ大変ですが、僕はキャラクターを構築するのが好きだから。そのことによって自分自身の引き出しが増えるし、なにより僕自身が納得してその場に立ちたいと常に思っているんです。

 

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

 

声にも役の表現を寄せて

 

——2012年4月開催のミュージカル『薄桜鬼』ファン感謝イベントで自身が演じる藤堂平助役に対し、原作ゲーム『薄桜鬼』で藤堂役を演じている声優、吉野裕行さんの演技を意識しているという発言がありました。
 2013年にはアニメ『銀河機攻隊 マジェスティックプリンス』スルガ・アタル役で声優にも臨みますが、ミリタリーオタクの少年で装備を一気に説明したりとセリフが多い役でした。そこで、ご自身の声へのこだわりを伺います。
池田:声、は常に意識しています。『海賊戦隊ゴーカイジャー』も『銀河機攻隊マジェスティックプリンス』も、なんというかキャラクター色が強い役を演じるときに「声」ってとても重要だと思うんです。人が見ていて一番最初に入ってくるのが視覚と聴覚だから、その両方で一瞬にしてどういうキャラクターかわかったほうがいいだろうし、その上に芝居を乗せることができたら伝わりやすいと思ってるんです。
 以前、朗読劇をやらせてもらったときも、例えば『緋色の研究』という作品だと13人もの登場人物がいましたが、その声のテイストが全員同じなのはおもしろくないと思って。だからそれぞれの背景を考えて、あー、コレなんかちがうなあ、とか、この声だと似ちゃうなあとか、やってました。
——『牙狼ーGAROー〜闇を照らす者〜』の炎刃騎士ゼンこと蛇崩猛竜(じゃくずれ・たける)も、役を声まで含めてイメージしたと公式ヴィジュアルブックで語っていました。
池田:蛇崩猛竜は金髪で前髪をちょんとトンガらせて、イキがって肩揺らしながら歩いている……その見た目だけでチャラい奴だってわかる。そこへドスの効いた声で台詞をわーっ、とかぶせたら、もう絶対にマジメな奴じゃない! と伝わると考えて。そこに芝居でいろんな語尾や、ニュアンスを乗っけることで、より厚みが出るだろうと思って、あえて声をつぶしてしゃべっていました。
 そういった色の強いキャラクターを演じるときにはある種見た目に合ったというか、そのキャラクターに添った声で演じた方がより印象が強くなると考えているので、役によって必ず使い分けてはいます。
——役ノートは?
池田:もちろん作りました。ただ、蛇崩猛竜に関しては、ほとんど迷いはなかったですね。
 総監督の横山誠さんはじめ、脚本家の方々といった『牙狼ーGAROー〜闇を照らす者〜』に携わるスタッフの皆さん全員、思い入れが強い方ばかりで。誰と話をしていても「猛竜ってこういうキャラクターだよね」というベクトルが常に一致していたし、第7話から彼自身の物語も背負わせていただけたので、そこは託して台本に乗っかって作ってく感じでした。
——最終話で、蛇崩猛竜を含めた4人の若者が別々の方向に旅立ちます。その猛竜の最後の場面で、ずっと開けていたコートの襟のボタンを、ばっ! と留めますが、その動きに真面目に生きる、という決意がうかがえ、感じ入りました。
池田:ありがとうございます。たぶん、あのシーンだけを初めて観た方には、ただボタンを留めただけに映るかもしれません。でも、あそこに至るまでの物語を追っていてくれたなら、最後のただひとつの何気ないアクションだけでも、なんとなく泣けてくる……そこに込めたものがある、という空気を出せたらいいな、と思っていたので伝わっていたらうれしいです。
 物語のラストを知って演じていたわけではありませんが、役の骨格を作ることでキャラクターそのものとして、あの場にいることができたと思っています。

 

 

池田純矢は、役の骨格から作りあげる。

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

舞台男子 池田純矢

 

池田純の心、後編はこちらから。

 

 

撮影/江藤 はんな (SHERPA+)
ヘア&メイク/今井純子(BELLEZZE)
編集・文/おーちようこ

 

2014年10月15日、講談社にて収録。

・写真や記事の無断転載はおやめください。

 

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