本日は「第355回NHK上方落語の会」の舞台から桂きん枝さんの高座をお楽しみ頂きましょう。
そのあとに8月に満90歳の誕生日をお迎えになった笑福亭松之助師匠のインタビューをお聞き頂きます。
まずは桂きん枝さんの「お文さん」です。
(拍手)ありがとうございます。
たくさんのお客様が入って頂きまして今年の夏はまあ暑いというのか…ねえ。
え〜何か近頃ねやっぱり9月の声を聞いてみますとちょっとこう涼しくなってきたなってな気が起こりますな。
まあ我々噺家もお着物で大体季節感が分かる訳でね。
夏物となりますと透けて見えるようなねシースルーっちゅうなね着物でございますけども。
まあ今日はねひとつこのちょっと長いめの落語を一席聴いて頂きたいと思います。
所は大阪中船場に万両という酒屋がございます。
本家筋はと申しますと日本一の酒どころ灘でございます。
同じく万両という造り酒屋を致しておりますけども双方ともがえらいはやってるというまことに結構なお話でございますけども。
この大阪の方の万両の方にまあ秋というんですかね夏の終わりに一人のお客様がやって来られます。
年の頃なら50過ぎと。
薩摩絣の羽織か何かを着まして仙台平の袴をはきまして手には生まれたばかりのややこを抱いてございます。
顔の方はと申しますと立派なひげを蓄えてございまして。
「ごめんなされや」。
「これはこれはお越しやす。
ありがとうさんでございます」。
「ごく上等の酒を1升頂戴したい。
それと使い物に致しますのでできれば角樽に入れて頂きたい」。
「さようでございますか。
ええ少々お待ちを。
へいお待っとうさんでございます」。
「はいはい。
お金の方はそちらの方に置いておきましたので…。
あっそうそう。
このように両の手が塞がってございますのでよければ使いの者を一人…」。
「さようでございますな。
ええちょっとお待ちを。
これ定吉定吉ちょっとこっち来なはれ。
おまはんなこのお客さんのお供をしてなお酒を持っていきなはれ。
うん。
言うとくけどもいつもみたいにブラブラブララ遊んでんのやないで。
すぐ帰ってくんのやで」。
「へ〜い」。
「これはこれは忙しいのに相すまぬ事でござるな」。
「いえよろしあんな。
あれなうちの番頭でおまんねんけどな朝から晩まで丁稚を使う事に命を懸けてまんのや。
ほかにする事おまへんのや。
せやからこないしてなたまにはもう表出た方がええ気休めになるってなもんでんね」。
「おうおうさようか。
あっそうじゃそうじゃ。
これはな少ないが駄賃じゃ。
取っておけ」。
「えっそんなもんまで頂戴できまんの?えらいすんまへん。
頂いておきますわ。
エヘッ。
わてなこんなもん頂戴できんのやったらもう今日は一日中あんたについて回る」。
「それはあかん。
それはあかん。
しかしまあなかなか結構な日和やな」。
「結構なもんでおまっけどもそれあんさん抱いてなはんのは男の子でっか?それとも女の子でっか?」。
「おうおうこれか。
これは男の子じゃ」。
「男の子はよろしあんな。
しかし世の中というもんはうまい事いきまへんな。
ままならんもんでおますな」。
「何がじゃ?」。
「『何が』やおまへんがな。
実はなうちのお店の事なんで。
ええうちのお店。
あのように繁盛してるさかい周りの人間は皆結構なこっちゃと思ってまっけどもな。
けどいまだに跡取りがおまへん。
うちの若旦那に3年ほど前にごりょんさんおもらいあそばしたんでっけど3年たってもいまだにできしまへん。
近頃では親旦さんが『早い事孫の顔が見たい』ちゅうもんですさかいごりょんさんがえらい気ぃ遣はりましてな。
近頃では朝早うに起きて近所の氏神さんへ毎日のように行ってはりまんねんけどもいまだにできしまへん。
まあ欲しい欲しいと思う所にはちっともできんとなもうこれ以上おったら親子ともども首つらないかんがなっちゅうとこにはぽこぽこできまんねんこれな。
ほんに世の中というのはままならんもんでおますな」。
「おまはんひねてるな」。
「わてな見た目は小そうまっけども中身はひねてまんねん」。
「勝間南瓜じゃがな…。
おおここじゃここじゃ。
この長屋の3軒目のうちに用事がありますんでな留守やったら困りますんで悪いけどもこの子どもをちょっとこれ持って守りして待っててはくれませんかいな」。
「えっ何でおます。
わてその子の守りしまんの?うわ〜。
わてな子どもの守り好きでんねん。
ちょっとこっちへ貸しとくなれこっちへ。
よっ。
うわっ色の白い…。
これ女の子みたいでんなこれ。
トゥルルルルル…バア!トゥルルルルル…バア!笑てる笑てる。
これやったら大丈夫やと思いますんで早い事帰っとくなはれや」。
「頼みましたぞ」。
このお方が向こうへ行ってしまいます。
30分たっても1時間たっても2時間近くたっても帰ってけえしまへん。
そのうちに子どもややこは腹が減ったという事で泣きだします。
丁稚どんも半べそをかきよって。
「泣きなはんなっちゅうてんのにこれ。
泣いてもしょうがあんめえがな。
難儀なこっちゃなこれ。
おなか減ってまんのか?おなか減ってまんのやろな。
けど何にもやるもんないしな。
弱ったこっちゃなこりゃ。
あの人も帰ってくるっちゅうて帰ってきいへんし。
いっぺん様子見に行ったろかしらこれ。
3軒目やっちゅうてたなこれ。
1軒2軒3軒と…。
ここやここや。
すんまへん。
ちょっとものを尋ねまっけども」。
「はいどなた?」。
「あのすんまへんけどここにひげ生やして袴はいた人来いしまへんでしたかな」。
「うん?ひげに袴。
そんなもん来えへんで」。
「来いひんってこれこの長屋のな3軒目のうちに用事があるっちゅうてこのややこ預けて行きはりましたんで」。
「おおおお3軒目?確かに3軒目というたらうちやけども…。
何かいな。
お前そのややこ預けられて帰ってけえへんの?帰ってけえへんの?ハッハハハハ…!そうか。
それお前捨て子やで」。
「す…捨て子!そら違う。
わてな長屋の入り口で立ってましたんでな出てきやしまへんでしたんで」。
「当たり前やがなお前。
うちの長屋は抜け路地になったんのや。
なんぼ片一方の方で待っててももう片一方の方でシュ〜ッと行ってしもたらしまいやがな。
こらお前捨て子や。
捨て子に違いないで」。
「あ〜捨て子てこれ…。
あ〜!」。
「大きな声で泣くな。
難儀なやっちゃなこれ。
子ども2人泣かれたら何してると思われるがな。
こんなとこで泣いててもあかんあかん。
ちょっと向こう行ったらな交番があるさかい向こうへ行け向こうへ」。
さあえらい事へとなってまいります。
一方万両のお店の方では。
「これ番頭どん。
最前より何や定吉の姿が見えんようやが…」。
「こらぁ旦さんでございますかいな。
いえいえ。
先ほどお客さんがお見えになりましてな。
でちょっとお供をさしましたんで。
けどもうかれこれ帰って…。
ほうほう言うてるうちに帰ってき…。
何じゃ様子がちょっとおかしいように思いますけども。
これ定吉どないしました?」。
「うっ…あ〜!」。
「大きな声で泣いてても分からんがな。
どないしたか言いなはれ」。
「番頭は〜んあんなぁひげがな…お駄賃でな…抜け路地が捨て子で警察が…」。
「何を言うてんのやお前それ。
分からんがなこれ。
順番に…。
何何?最前のお客さんがこの子どもをお前に預けてどっかへ行ってしもた。
先さんへ行ったら捨て子と…。
捨て子?ちょっとそれこっち貸しなはれ貸しなはれ。
よっ。
よいとさっと。
そこへ座布団ちょっと敷いとくれ座布団。
はいはいはい。
よっ。
何じゃ捨て子するような身なりには見えませんけどもなこの着物といい。
うん?旦さん。
何や胸の所に手紙のようなもんがございますけども」。
「えっ手紙?こっち貸しなはれ。
こっち貸しなはれ。
はいはいはいはい。
悪いけどそこの眼鏡を取ってくれるか?はいはい。
うん。
何かいなこら。
ほうほう。
『万両殿へ』と。
『松本なにがし』。
これはどうやらうちへ宛てた手紙のようやけどな」。
「ほう。
こらまたきれいな字で書いてあるわなこれ。
え〜『拝啓述ぶれば』か。
『私播州は明石30石取り松本なにがしの家に生まれし者なれどこたびの維新解役のため商人にて身を立てんと思うたなれどしょせんは武家の商法。
やる事なす事思いに任せず』。
近頃よう聞く話やなこれ。
何何?『かてて加えて我が妻この子を産み落としてよりすぐにこの世を去り…』。
かわいそうな話やなこれ。
『何をするにも足手がまとい。
そこであなた様を慈悲深きお方と思いこの子を捨て子…この子を捨て子つかまつ…』。
番頭どん。
こりゃ捨て子じゃ。
こりゃ捨て子じゃ。
えらい事にとなってきたがなこりゃ。
『何とぞ養育の方よろしくお願い申し上げ候』か。
『なお形見として宗近の短刀1ふり』。
ハッハハ。
ここらがお武家さんのなさる事やなこれ。
どうじゃなこれ。
『また引き出物としてごく上等の酒1升』てこれうちの酒と違うか?お前これ。
ハッハハハハハ!粋な事をなさるもんやないかいな番頭どん」。
「喜んでる場合やございませんでこれ。
早い事警察の方へ届けん事には…」。
「ちょっと待ちなはれ。
警察てそりゃちょっとこりゃ…。
うちと見込んでこういう事をなさったんじゃ。
それではあまりにも冷たすぎようというもんじゃ。
それにわしは今ふっと思うたんやがうちのお花の事じゃ。
嫁じゃ。
わしがいらんひと言言うたおかげで何でも近頃では朝早うに近所の氏神さんへお願い…。
そうか。
ハッハハハ…!そうじゃそうじゃ。
そうに違いないわい。
これはきっとな氏神さんが願いをかのうて頂いたんじゃ。
あ〜ありがたいこっちゃありがたいこっちゃ。
そうとならばこの子はな氏神さんよりの授かりもんじゃ。
おろそかにしたら罰が当たるわい。
そうじゃ。
この子をなうちの家で育てましょう。
そうと決まればまず乳母どん。
そうそう。
ほれ定吉。
そんなとこでいつまでもうだうだ言うてるやつがあるかい。
早い事な手伝の又兵衛とこ行ってな今日中に乳母どん1人世話してもらいなはれ。
分かってるな?今日中じゃ今日中。
もしできんぞとなんどとぬかしたらな今貸してある金とたまってる家賃今日中に持ってこいっちゅうて言ってきなはれ」。
「へ〜い。
うわっえらい事なってきたなこれ。
けどおもろいなこれ。
しかし考えたらあのややこえらい早い出世やなこれ。
わて連れてきた時は捨て子やで。
30分たたん間に跡取りまで出世しよったがな。
わてら3年おってもいまだに丁稚やのにな。
けど又はんのおっさんかわいそうななあ。
いつもはうまい事やってるけどもそんな乳母どんっちゅうのは右から左にいてるもんやないねん。
これおもろなってきよったな。
又はんのおっさんいてなはるか?」。
「おっ。
定吉っとんやないかいな。
いや〜待ってたんやがな。
待ってたんや。
こっち上がってといで。
こっち。
ここへ座れ。
乳母どんやろ?」。
「旦さんが乳母どん1人世話してくれとこない言うてはんのやろ?」。
「え?おっさん聞いてたか?」。
「聞くかいな。
分かってるがなそれぐらいの事は。
心配せんでもええわいな。
ゆうべの晩からちゃんと1人準備して待ったんねんから」。
「え?何やおやっさんもうわし分からんようなって…」。
「まあまあ待て。
分かるようにしたるさかい。
ごりょんさんちょっとこっちの方へ来とくんなはれ。
大丈夫だ。
定吉っとんですさかいな。
挨拶したっとくんなはれ」。
「定吉っとんご無沙汰」。
「あれ?あんさん鰻谷のごりょんはんやおまへんかいな」。
「そうや。
鰻谷のごりょんはんや。
このお方が今日からおまはんとこの乳母どんになんのやないかい」。
「ますます分からんようなってきたこれ。
おっさんこれどど…どないなってまんねん」。
「よっしゃ。
今から話したるけどもなこの話は言うとくけども店へ帰っても誰にも言うもんやないぞ。
丁稚なかにも言うもんやないぞ。
約束できるか?よっしゃ。
あんなこのごりょんはん鰻谷のごりょんはんはな前は新地の梶川というとこから文という名前で出てはった一流の芸子はんや。
若旦さんが座敷で一目見て一目ぼれや。
落籍してお前も知ってるやろ鰻谷に家を一軒借りて住ましてはった。
つい最近のこっちゃけども子どもができた。
男の子や。
まあまあごりょんさんにしたら親子3人暮らしたい。
また若旦さんにしてもやな子どもの顔を見て暮らしたいと思うのは人情やわいな。
そこでわしとこへ相談に来た。
でわしがいろいろと考えて今回のこの捨て子を考えたと。
こういうこっちゃ」。
「又はんのおっさんあんたええ加減な事言うたらあきまへん。
子どもやさかい思てな。
そんなんやおまへんね。
あのややこはな300石取りのな…」。
「分からんやっちゃなこいつは。
それを俺が考え…。
あっそうそう。
あの〜それ捨て子行ったあの男。
そうそうそう。
ひげ生やして袴…。
そうそうそうそう。
あいつなあれうちの家へちょこちょこ遊びに来よる八卦見やあれな。
あんな雰囲気やさかい金やって…。
そうそう。
まあまあ捨て子に行かしたんや。
そしたらおまはんとこの旦さんのこっちゃきっと氏神さんの申し子に違いないと言うて育てるわいな。
そうなったらまず一番に要んのが乳母どんや。
又兵衛とこ行って乳母どん1人世話してもらえとこうなるわいな。
こっちにしたら待ってましたとばかりにこのごりょんさんを乳母どんに仕立て上げておまはんの店へうまい事入れると。
こういう算段になったんや」。
「は〜!おっさんえらい事考えたなこらぁ。
おっさん考えたん?うわ〜すごいなこら。
…っていう事は何でっかあの日頃おとなしい若旦さんも知ってなるの?はっ若旦さんも役者でんなあ。
さよか。
ヒヒッ。
けどおっさん悪いけどなこんなもんすぐばれてしまいまっせ」。
「何で?」。
「『何で?』ですやおまへんかいな。
あんなぁこんなべっぴんな乳母どんちゅうのまあいてまへんね。
乳母どんっちゅうたら大概もう不細工で色の黒い…」。
「そやろ?なあ。
ごりょんさんこんな小さな子でも分かるぐらいですさかい行く時に鍋墨か何かで汚うにしとくんなはれや。
頼んまっせ。
そしたらな定吉っとん。
あんた悪いけどな後からすぐ行くさかい先帰っといてくれるか」。
「へえ!うわっおもろなってきよったな。
けどこんなおもろい話誰にもしゃべったらいかんやってつらいなこれ。
口ん中虫わくんちゃうかしら。
旦さんただいま帰らして頂きました」。
「定吉ご苦労さんやったな。
でで乳母どんはいてたか?」。
「ヘヘッ。
いてました。
ええ。
ゆうべの晩からちゃんと準備して…」。
(笑い)「何じゃ?そのゆんべの晩というのは」。
「いやいやそりゃこっちの話でね。
後からすぐ来ると言うてましたんで」。
「旦さんえれえすんまへん。
ちょっと遅なりまして」。
「お〜又はんかいな。
又はん。
こっち上がっといで。
今度の事ではえらい世話になった。
もうこれはちゃんと礼はさしてもらう。
え〜その乳母どんがいてたそうやないかいな」。
「お急ぎのようでしたんで一緒に来て今表で待たしてます」。
「そりゃいかん。
早い事入ってもらいなはれ」。
「そうでっか。
そしたらちょっと入らして頂いて挨拶さしてもらいなはれ」。
「初めてお目にかかります。
文と申します」。
「又はん。
その乳母どんっちゅうのを早い事出しなはれ」。
「えっ『出しなはれ』って今ご挨拶さして頂きました」。
「えっほたら何かい。
こんなべっぴんさんが乳母どん。
この色の白いべっぴんさんが乳母どん。
は〜えらいべっぴんさんやがな。
こないべっぴんやったらこのややこやなしにわしが抱いてもらいたいぐらい」。
「いやいやそら…」。
「冗談じゃ冗談じゃ。
早い事上がっとくれ上がっとくれ。
乳を…そうそうそう。
オホッアッハッハ。
どうじゃどうじゃ番頭どん。
泣く子に乳とはよう言うたもんじゃ。
今まで泣いてたんがピタ〜ッとやんで。
お〜お〜吸うとる吸うとる。
番頭どんこうして見たら何や乳母どんやなしに実の母親のようやなあ」。
気楽な話もあったもんで実の母親に間違いない訳で。
まんまとこの万両の店へ入ってしまいます。
もちろん子育ての方は自分の子どもですから陰ひなたなく育てますわな。
手の空いた時なんかはお店の方へ出てまいります。
もともとは北の新地の一流の売れっ子芸者。
客あしらいはお手のもんでございます。
まあそのうちに近所船場辺り大阪中にこのうわさが広がります。
あの万両の店にはえらいべっぴんの女子衆がおる。
乳母どんがおる。
店が開く前から若い連中が何十人と空の一升徳利を持って待ってるというぐらいで。
まあ親旦さんがそれを見ましてえらい喜んでる訳でございますけども。
「おい定吉定吉」。
「へい。
若旦さんでおまっかいな。
なんぞ御用で?」。
「今度の事ではえらいお前に世話なったっちゅうのを又兵衛から聞いてんねやがな。
アッハッハ。
会うたらしたろうと思ってたんやけどなこれ少ないけどもなこれ駄賃や。
おい取っとけ。
おい取っとけ」。
「えらいすんまへんなこれ。
取っちゃおう。
うおおお!若旦さんこれ一円やおまへんかいなこれ。
若旦さん。
あんたもいろいろと物入りでんな」。
「しょうもない事言わんでもええねん。
小遣いやったから言う訳やないけどなお前に一つ言うとかないかん事あるわい。
あいつのこっちゃ。
ほかのもんはみんなお文どんとか乳母どんと呼んでんのにお前一人やあいつの事をお文さんとさん付けで呼んでるやないかい。
これがもとでばれたらどないするつもりじゃ」。
「すんまへん。
わい気が付かん…」。
「気が付かんではあかんがな。
ばれてしもうたら悪いけどなお前には暇出さないかんで。
せやろ。
うん。
悪いけどこの店から出ていってもらわないかんのやさかい」。
「もう堪忍しとくんなはれ。
もうこれからええもう『さん』は付けしまへん。
『さん』は付けしまへんので」。
「よっしゃ。
それやったらまけといたるわ」。
これはこれでうまい事いった訳でございますけどもこの万両の店にごりょんさんと一緒に実家の方からついてきたお竹という女子衆がいてます。
これがまた手八丁口八丁というんですかね。
ちょうど今の大阪のおばちゃんみたいなもんでございまして。
梁走ってるネズミでもぐっとにらんで目と目と合うたらネズミの方がころっと死んでしまうという別名猫いらずの女子衆でございまして。
これが2人の仲を感づきよった。
「これごりょんさんごりょんさん何をしておいででございます?」。
「これはこれは…。
今ぼんの着物を縫うてますねやわ」。
「そんな気楽な事を…。
ご自身の足元に火のついてんのも分からしまへんのか?」。
「うん?どこに?」。
「『どこに?』やございませんがな。
今度来たあの乳母どんの事でございますがな。
ごりょんさん。
あの乳母どんあんさんどんなふうに思てなはる?」。
「おとっつぁんもええ人に来てもうたと言うてますえ。
陰ひなたなくぼんの事は面倒見てくれるし」。
「そんな気楽な事をおっしゃってる場合やございませんで。
あの乳母どんの着てる着物や帯ごりょんさんのもんよりも一手も二手も上もんだっせ。
うわさに聞いたら若旦さんが買うてるちゅううわさでんがな」。
「それまた何で?」。
「そりゃあその辺のところは分からしまへん。
けど金魚のふんのようについてる定吉が多分知ってるはずでございますよってに定吉をぎゅ〜っという目に遭わして白状さしたら…。
いやもうごりょんさんはせいでもよろしおますの。
定吉をぎゅ〜っ…」。
「そんなかわいそな。
小さな子ども…」。
「何を言うてなんねんなごりょんさん。
わてに任してもうたら結構。
ええ大丈夫でおますさかい。
これ定吉っとん定吉っとん」。
「うわ…呼んでるでおい。
猫いらずが呼んでるがな。
早い事行け。
早い事行け」。
「こら!偉そうになポンポンポンポン言う事ないわい。
何の用じゃ?」。
「まあなんちゅう口のききをしなはる。
わてやないがな。
ごりょんさんがお呼びやがな」。
「ごりょんさんか。
えらいすんまへんごりょんさん。
お待たせ致しました」。
「定吉やないかい。
こっち上がってきなはれ。
いつもご苦労さんやな。
こっち上がってきなはれ。
いつもあんたの事はな気にかけてますの。
なあ定吉。
あんたひょっとしたらわてになんぞ隠し事の一つもあんのと違うか?」。
「わてなごりょんさんの事が大好きですさかいなわて何も隠し事なんかしてぇしまへんの」。
「ほんまの事言うてみなはれ。
隠してんのと違うか?」。
「わて何も隠してぇしまへんの」。
「やい定吉っとん。
ごりょんさんの言うてんのはあの乳母どんと若旦さんの事やないかいな」。
「知らん知らん。
わて何も知らん。
ほんまに何も知りまへんね。
堪忍しとくんなはれ。
わて何も知りまへんねんさかいに…」。
「定吉。
最前も言うたようにわてがここへ嫁いでからはあんたの事は何くれのう見てきたつもりでおます。
そのわてがあんたにこうして手をついてお願い致します。
どうぞ知ってたらほんまの事を言うておくれやす。
このとおりでおますさかい」。
「うははは〜つらいなつらいなこれ。
いや堪忍しとくんなはれごりょんさん。
そんな事されたらわてつらおますつらおます。
手上げておくんなはれ。
堪忍しとくんなはれ。
はあ〜よろし。
よろし。
もうわてごりょんさんに皆しゃべりますわ。
もうよろし。
あの〜一円な若旦那に返しますわてもう。
ええ。
それになわて前々からこの話は誰かにしゃべりたかったんじゃ。
しゃべらしてもらいますさかいな。
ヒヒッ。
あんなぁ…あんなぁごりょんさん。
あの乳母どんでっしゃろ?あの乳母どんな実はなフフッ北の新地の売れっ子芸者でね文っちゅう名前で出てはりましてな。
若旦さんが一目見てほれなはって鰻谷に家借りて住んだはってんけどな。
つい最近ヒヒッ子どもができて一緒に住みたいっちゅうて又はんのおっさんとこへ相談に行ったらな又はんのおっさんが『それやったら任しとくなはれ』ちゅうてうちに捨て子に出したん。
親旦さんのこっちゃさかいに『こらぁもう氏神さんの申し子に違いない。
うちで育てよう』とこうなるさかいに待ってましたとばかりにその鰻谷のごりょんはんを乳母どんとしてうちの家に入れると。
こういう算段になってるみたい」。
「まあそんなえげつない事。
でうちの人若旦さんはわての事何か言うてなはるか?」。
「何でやす?ごりょんさんの事?ごりょんさんの事。
これもしゃべらして頂きます。
もう皆しゃべってス〜ッとしたいもんですさかいな。
ちょっと前までここに何やもうたまったもんがありましたんで今日はもうペラペラ〜ッとしゃべりまんで。
あっそう!思い出しました。
言うてました言うてました。
そうそう。
あんなぁいつもな待合茶屋で会うてはりまんね。
若旦さんが表へ出まっしゃろ。
なら乳母どんがなぼん連れて表後を追うようにして出はりまんね。
でわていつもお供してますさかいな2人が待合茶屋で会うてる時にはなわてがぼんの世話してまんね。
この間もなぼんがしっし〜たれはりましたんでおむつ替えようかいな思てお部屋ん中に入っていったらな女子衆さんが乳母どんが若旦さんの手をぎゅ〜っと…。
ぎゅ〜っと握ってはりまんね。
何かいなとこう思ってたらな若旦さんが背中さすってはりまんね。
うわうわうわうわ〜っと思ながら見てましたらな乳母どんが涙をぽろっとこう流してはりまんね。
『陰の身というのはつらいもんだんなあ。
我が子でありながらぼんぼんと言うて育てないかん。
母親でありながらまた乳母どん乳母どんと言うて呼ばれないかん。
ほんに…ほんに陰の身というのはつらいもんでおますなあ』とこない言わはった。
若旦さんが手をぎゅ〜っと握って背中さすりながら『辛抱せえ辛抱せえ。
もうちょっとの辛抱や。
あいつはな本家筋の方からもうたやっちゃさかいなんぞない事には放り出されへんがな。
けど心配せえでも…』。
あっそうそう。
あいつっちゅうのはごりょんさんの事だでね。
これごりょんさんの事で。
『そのうちにななんぞしよる。
なんぞしたらなそれを盾に取ってば〜んとたたき出してもうたるさかいそないなったら次のごりょんさんはお前やないかい。
あ〜あ〜』。
ヒヒヒヒ。
こない言うてはりました」。
「まあなんという事!でうちの人若旦さんは今どこにいてはりまんね?」。
「あの〜先前でしたらな離れで文読んだはります」。
「何かいな。
表で会うてうちらで会うてまだ家ん中で手紙のやり取りまでしてなはんのか」。
さすがにまあ腹が立ったと見えまして渡り廊下をバタバタバタバタ〜ッとこう歩きましてふすまの前まで立ちましたけどもそこは教育のある方でございます。
中の様子を伺うておりますと若旦さんお経をお読み致しましてご和讃も終わりましてちょうどお文さん御文章を読んでる真っ最中でございまして。
この御文章お文さんというやつ私も何かいな思て調べてみましたら浄土真宗ですね。
教祖はもちろん親鸞聖人でございますけどもそれから8代目の蓮如上人とおっしゃる方が中興の祖としていらっしゃったそうでございますけどもこの方が地方にいたはる信者さんなんかに仏の教えでございますとか日々の生活の教えというのをお手紙に書いて送らはったそうですな平仮名で。
それが今残っておりましてお文さんとか御文章とかいわれてるそうでございますけどもまさに若旦さんその御文章を読んでる真っ最中でございまして。
「それ女人の身は五障・三従とて男に比べて深く罪のあるなり」。
「まあ定吉。
あんたなんちゅう事言いなはんね。
若旦さん御文章お文さんを読んでんねやないかいな。
あんたが『文読んでる』ちゅうもんやさかいわてもうちょっとで中に入ってしまうとこやないか。
それを盾に取ってわてがもうちょっとで追い出されてしまうとこやないかいな。
お文さんならお文さん御文章なら御文章と何でそない言わへんねや!」。
「あほらしいごりょんさん。
『文』に『お』を付けたらわての方が先に追い出されてしまいます」。
(拍手)大手の門前に膝固まり突っ立ち上がり天地も割るる大音声。
やあ〜やあ〜。
ハクション。
ハクション。
(笑い)笑福亭松之助師匠。
ご存じ上方落語界の重鎮です。
今年満90歳を迎えられました師匠にわざわざお越し頂きました。
どんな話が伺えますのか。
聞き手は師匠のご長男で弟子でもある明石家のんきさん。
ではのんきさん頼みまっせ。
それでは今年90歳を迎える笑福亭松之助師匠でございます。
師匠よろしくお願い致します。
作るなあ。
はいすいません。
お父ちゃん…。
90歳迎えましたけど僕は子どもやからお父ちゃんから落語家になれって言われてましたよね。
今も落語家ですけど。
お父ちゃんは落語家に何でなろうとしたの?あのなあの〜戦争にめでたく負けてやねそのあとが食糧難が来て食べるもんがそこらにある草やとか何か引き抜いて食べて。
そういう毎日がね食べる事ばっかりに追われる時代。
考えてみたらこのままやったら例えばお父ちゃんが死にぃな死ぬとしたら区役所で戸籍謄本に赤線ピュッピュッと引いたらそれで終わりやろ?はあ。
誰も明石徳三いう人間が日本におったいう事は知らん訳じゃわね。
何やそこらのほうてるアリとえろう変わらへんがな。
なあ。
だからそない思てなちょっと芸人なろうと思うたんや。
まあ子どもの時からよう見てたからね。
で笑いが好きやからそれでまあお笑いのもんやろうと思うてね。
で何したんやけど一番初めエンタツ・アチャコのね芝居みたいなああいう芝居を…まあ漫才芝居やね。
ああいうのやりたいな思たけどね考えてみたらお父ちゃん自身の性格は片意地だしね。
もし芝居で役がつかなんだらあかんからと思て。
で漫才しようかと思ったけど漫才もじきにコンビ別れするやろ思て。
考えたら落語家が一人やからねけんかする事もないし。
けんかしたらおかしいんやからね。
ほんでしようかなと思ったんね。
その時分尼崎に住んでたからちょうど出屋敷の駅の外へ出たとこに小さい売店があってそこで「新演芸」いう本が出てあったんや。
「笑福亭松鶴論」って正岡容いう人が書いてる。
ほいでこの中にうちのお師匠はんの落語がどんなんやいう事を書いてる。
べた褒めに褒めてはるけどね。
ほいでこれ読んで「あ〜お師匠はんこの人ええな。
この人ものすごい落語を愛してた人やな」と思うてね。
やっぱりそういうような噺家になりたいなと思ってそれでここへ弟子入りした訳や。
はあ〜。
「新演芸」見て五代目松鶴の弟子入りしようと。
そうそう。
僕お父さん前聞いたんは春団治師匠と五代目松鶴師匠とどっち選ぼう思た時に…。
そやけどね見て…やっぱりね二代目師匠面白いけどねやっぱり自分の体質に合わへんと思うたから…。
まずこれが一番大事やね。
やっぱりこれが。
落語を愛してはったという事は…それだけは。
東京へ行ってその時のお客さんの反響受けたか受けなんだかいう事全部書いてはったらしいわ。
そやからわしそういうとこが…。
それで今はまねして自分もノートをつけるようになったけどね。
僕こんなん聞いてなかったけど初めて舞台で落語した時ってどんな雰囲気…?もう客席はね真っ暗でそれで裸電球が1つぶら下がっててそいで弟子らに…兄貴にちょっと「手拭い2枚貸して」て…。
「何で2枚要んねん」。
「いや汗拭くねん」て。
もうあがってんねや。
え〜!やっぱ初めてはあがるか。
そりゃそうや。
7日に入門してやで17日にもう舞台…。
あの…市電の寮で。
7日に入門?入門。
ほいで17日にそこ…初めて舞台上がんねんもん。
弟子入りして何日後?え?弟子入りして何日後に舞台上がったの?10日後やねん。
お前7日と17日じゃ10日やないかいな。
お前計算できへんやろ?え〜松之助のせがれだけに…。
あほか。
初舞台いうてもな交通局の寮やねん大阪のな。
けど人前でちゃんとプロとして…。
うわっすご〜!途中で役者の方へ移ったでしょ。
途中…。
宝塚新芸座に入ったいうて…。
それね日本劇場いうてあって日劇4階にあったけどそこへ出してもろてる時に漫才の志摩八郎いう人が「松ちゃんこうこうこうや」って手紙くれはって新芸座いうんが出来るから入らへんかいって言うてきてくれはったんや。
まあお父ちゃん役者として行ってる。
その時にいてはった有名な人とかは…。
いとしこいしAスケ・Bスケワカサ・ひろしの漫才がメインやったけども…。
でお父ちゃんは役者の方で。
ほかに昔喜劇やってた人も入ってたけどね。
まあそれから宝塚新芸座を辞めて松竹にも移ってで吉本…。
松竹行ってやなあそこはえらかったなあ。
本書いてやってねそれで芝居すんねんけどはたは役者ちゃう人間ばっかりやねん。
素人やねん。
え!そんなん…。
いやそんでお父ちゃんに相談もなしに社長がやね「松ちゃん今度のは間違いないで。
ええ役者ばっかりや」って言うて来たら何もできへんねんもん。
それでまあ黙って使うてそれで本書いてやなしてたんや3年間。
それでもやっぱりお父ちゃんが本書いて演出してちゃんと動かせるように…。
うん…。
まあそれ座長として。
それを3年やったけどね嫌になってきてね。
でそれから…。
それで辞めよう思うたんや。
ちょうど千土地興行いうのがあって今の千日前の角に大きな建物がある。
あそこのとこの6階で劇場があったんや。
そこから来えへんか言うてね。
つまりね運がええねや。
もう辞めようかなと思ったら言うてきてくれるねん。
パッと変わってこっちがパッと変わる。
そこも3年契約やったからね。
3年たって「どうも嫌やなもう…」思ったら吉本がやな松ちゃん帰ってこいって言うてくれた…。
うわ〜。
運やねん。
僕が3歳か4歳の時は花月連れてってもらった時はお父ちゃん一人で…。
やってたな。
やってて…。
その当時ね落語に対してどんな思いがあったんかな思て…。
何?急に一人で落語ね戻る事…。
何もあれへん。
おんなじこっちゃ一人で出ても。
僕が3歳か4歳の時やったっけ。
花月行こうって行って落語で古典落語やるんかな思たら何かその時の創作落語新作…。
ああ新作でもないけどあれや。
落語やってたんや。
初めね劇場で落語をお客さん聴いてくれてたんや。
そやけどだんだんだんだんあかんようになってきてね。
ほいで考えたんや。
もっとお客さんどんな人にも分かるようにと思てで考えたらコマーシャル面白かったやんその時な。
でこれやったら誰でもが見てるやろと思ったからねこれ使おうと思てそれ使うてやっとったんや。
そのころまあ「テレビアラカルト」いうのそれやってた訳やね。
「アムステルダムの朝は早いってそんなもんどこの朝でも早いがな」っちゅうのあるやろ。
「CMと書いてコマーシャル。
私知らんからセンチメートルと読んでましたんや」。
そういうのね。
はあ〜!でもねあとテレビのその…僕と暇な時いつでもアニメとか特撮ヒーローもん一緒に見ててそれもネタにしてたもんね。
そうそうそうそう。
何でこない必死に見てんねやろう思てたら全部それネタにしてたもんね。
そしたらあのさんま兄ちゃんがやな「アムステルダムの朝は早いって…」。
「CMと書いてコマーシャル。
私知らんからセンチメートル…」それでさんま兄ちゃんがこの人の弟子になろう思うたいう…。
ノックアウトやってな。
ハートキャッチされた言うてる。
それが今また落語をね分かりやすくしていきたいっていう思いがあるってこの間言うてたけども。
ああ。
ただお父ちゃん今書いてんのはただまあこれから先誰かが何かする時にどないしたら落語っちゅうの分かるのかなというような人が出てきた時に手がかりになるやん。
「ああこない書いてあってここで振り向くねん」とか「ここでちょっと突然大きな声出すねんな」いうて分かったら落語ってこういうしゃべり方すんのんかいうのが分かるやろ。
せやからその手がかりになったらと思うてね。
それ自分は楽しみでやってるけどな。
これが松之助師匠が言うてはった原稿です。
細こう書いてくれてはりますなあ。
これから落語を目指す人には落語を演じる手がかりになるありがたいもんやと思います。
笑いについていろいろ考えながら舞台をやってこられてました松之助師匠。
次回はいろんな方との思い出そして落語に対する熱い思いなんかを語って頂く事になっております。
というところで「上方落語の会」今回はこれでお開きでございます。
2015/10/30(金) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
上方落語の会 ▽「お文さん」桂きん枝▽笑福亭松之助インタビュー[字]
▽落語「お文さん」桂きん枝(第355回NHK上方落語の会から)▽笑福亭松之助インタビュー(聞き手・明石家のんき)▽ご案内:小佐田定雄(落語作家)
詳細情報
番組内容
前半は第355回NHK上方落語の会から、桂きん枝の「お文さん」をお届けする。後半は今年満90歳を迎えた上方落語界の重鎮、笑福亭松之助のインタビューをお届けする。聞き手は弟子で実子でもある落語家の明石家のんき▽ご案内は落語作家の小佐田定雄
出演者
【出演】桂きん枝,【インタビューゲスト】笑福亭松之助,【聞き手】明石家のんき,【案内】小佐田定雄
キーワード1
落語
キーワード2
漫才
ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸
バラエティ – トークバラエティ
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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