１．はじめに
『丸山眞男集』（以下、集）第10巻所収の「映画とわたくし」は映画を素材とした回顧であるが、丸山の発言としてはある珍しいテーマを扱っている点で注目に値する。それは「女」をめぐってである。
江原由美子が指摘するように「丸山の記述の中に女がほとんど出てこない」。「一体、天皇制ファシズムのどこに女は位置づくのか。『女』もまた男と同じ抑圧委譲のシステムの一部に位置づいていたのか」。そして江原によれば、丸山は「日本という均質な空間」即ち「暗黙にジェンダー化された、けれどもあたかもジェンダーなど存在しないかのように置かれた世界」を想定している、という*1。また苅部直も、「どうも、丸山の考える、『人間仲間』をおりなす個人たちの像は、表面は真っ白でありながら文化やジェンダーの異なる色彩が裏にはりついているらしい」と指摘している*2。したがって女性という要素（の欠落）は丸山の思想全体にかかわる射程の広い問題といえる。
この点、丸山の次のような主張を、武田泰淳が証言している。即ち、「日本政治思想史を考える場合、女という要素を入れると非常にやっかいになるんです」、「今の日本の政治学の考えがゆらぐことになる」というのが丸山の主張である*3。なぜ「女」をはずしたのか、その具体的な理由は詳らかでない。もし丸山が、意識的・無意識的に研究枠組から女という要素を取りのぞいたとすれば、それはどのような彼の女性観・ジェンダー意識に基づいていたのかが問題になる。この意味で、彼の女性観の一端が現れている本稿は参考になると思われる。以下では他の文献も参照しつつ、丸山の女性観・ジェンダー意識の素描を試みたい。
２．丸山の女性観
丸山を「啓発」した戦前映画における女性像とはどういうものだったのか。その記述は本稿では必ずしも豊富ではないが、次の二つの女性像が思春期の丸山に強いインプレッションを与えたことを確認できるのではないか。即ち第一に、丸山が「熱中」していた「清楚型」女優である（30頁）。第二に、いわば「男を誘惑する魔性の女」である（32-33頁）。本稿では、とくに後者に力が入っていることが確認できる。そしてこの二つの女性像は実際、丸山のなかの女性観にとって大きな影響力をもっているのではないか。というのも、これらの女性像が別の箇所でも形をかえて丸山の言葉から顔をのぞかせているように見える。第一の「清楚型」女性像については主に、故人の追悼文のなかで「良妻」を讃える文脈で現れる。即ち、「質素でつつまし」い「理想的な学者の奥さん」としての南原夫人や*4、「内助の功」に努めた「模範的な良妻」である小川マリ子*5、など。追悼文という文脈の制限はあるにせよ、こうした「清楚な良妻」という言葉が既婚女性への賛辞になる、という――現在からみれば保守的な、しかし当時らしい――そういう認識が丸山にはあったのではないか*6。
より興味深いのは、座談会の発言にみられる第二の女性像のように思う。つまり上記の映画受容の仕方からすると、丸山は女性に何か人間manならざるもの（魔性）を見ていた面が強いのではないか。この点、ある座談会の次の発言。「人間的なものというのはむしろ男が代表しているというのですよ。……〔それに対して〕女は本来神様であり同時に動物なんですよ。……女には神性と動物性の中間領域がない、つまり、人間じゃないのですよ（笑）」*7。換言すれば、男女の間にはなにか形而上学的な差異があると観念されていたのではないか。また、女性性になにか神秘性を読み込んでいることは、別所にも確認できる。例えば丸山は、ゲーテを引用しながら「『永遠に女性的なるもの』というのは、やはり男性にとっては神的なものに等しいんですね」と述べている*8。
そして政治学的に重要なのはこの男女論が、「偽善」論を経由して、丸山の理想的個人像につながっている点にあると思われる。つまり「男は本質的に偽善者だ。偽善者ということは人間にだけあって、神様にも動物にもない」*9。この偽善論について補足すると、「偽善のすすめ」（1965年）のなかで次のように偽善を積極評価している。即ち、偽善は「人間らしさの象徴」であり、また「善の規範意識」「徳への恭啓」「政治的感覚」と結びついている。とすると丸山の中では、女性は「善の規範意識」や「政治的感覚」に対して縁遠い存在として認識されていたのではないか。
こうした女性の「本質」への否定的評価は、他の発言にも確認できる。即ち、ふつうの女性は抽象的な思考ができない、「精神と感覚がひと続きになってるだろう。逆にいえば……リアリズムがない」*10。またほかの座談会では「女の人で学問をする人はとかく現実感覚に乏しいから……」とも述べている*11。
丸山にとって女性は「神様であり動物」であり（あるいは「清楚」であり）、したがって人間らしい苦悩に満ちた政治や思想は女性にとって似つかわしくない、と考える傾向があったのではないか。こうした認識が、政治学の枠組から「女」をはずした理由のひとつになった、と推測できないか。
３．女性解放論
それでは女性が政治や思想にかかわる契機はまったく存在しないのか。換言すれば、上記で描いた女性の「女性らしさ」は固定的で、変化しないものと考えられていたのか。この点丸山は、「家庭」に「ひきこもっている」女性の生活を低く評価する傾向にあり、むしろ「社会」にかかわることが「女性の隷属」（J.S.ミル）の打破につながると考えているように思われる。例えば、戦時下の女性の位置づけについての次の発言。「今度の戦争そのものが、日本の女性というものを初めてせまい家庭生活の中から否応なしにひきずり出し、……その結果日本の女性が、初めて社会的な場で、ある程度自主的に判断し行動せざるをえない立場に立たされた。男性の場合は、戦争が触発した行動主義はファッショになるが、日本の女性の場合には、この戦争の経験が戦後の解放の実質的準備となったという面がある」*12。また、現代は「女性が社会化し男性化していく」時代だとも述べている*13。とすると「動物であり神様」である女性は、家庭から外に出て、社会化することで「男性つまり人間」になると言いたいのかもしれない。
ところで、こうした主張はどこから来ているのだろうか。それは彼の研究履歴に即して考えると、福沢読解に由来している面が少なくないように見える。周知のように福澤の女性論は多く、『女大学評論』をはじめとして「著述生活のほぼ全般にわたって」女性論に関する著作がある*14。丸山は、最初の福澤論である「福澤諭吉の儒教批判」（1942年）から後年の「福澤における『惑溺』」（1987年）にいたるまで、くりかえし福澤の女性解放論をとりあげている*15。福沢読解を通して女性解放論には関心を維持しつづけたといえる*16。例えばその中で丸山は、福澤が「男女関係の『習慣』を問題にすること」つまり「婦人隷属の打破」という点は終生変わらなかった、と高く評価している*17。また福澤は「男女同権だけでなく、女性の『色情』を認めないのはおかしいと、明治の初期からはっきり主張し」、「それ自身先駆的」とも評価している*18。
したがって、上記（２）で描いた丸山の考える「女性らしさ」もまた、決して固定的でなく変化しうるものであると――少なくとも学問上は――考えていたと推測しうる。この点「『である』ことと『する』こと」（1959年）の中で、「女らしさ」は置かれた状況によって変化する、ということが明確に指摘されていたことが思い出される*19。
４．結論
丸山の女性観は時代の制約をうけて現在からみると保守的だが、しかしその思想内部には女性観の変化の契機が含まれていたといえる。そして現に、70年代末から日本でも第二波フェミニズムが高まるが、1980年の文章で丸山は「女々しい弁解」という表現を使う際に「差別用語をお許しあれ！」と断っている*20。このことを踏まえると、彼の女性への言及も慎重なものに変わりつつあった、とも言えるのではないか。（注）
1 江原由美子「フェミニズムから見た丸山眞男の近代」、『フェミニズムのパラドックス：定着による拡散』（勁草書房、2000年）104-105頁。
2 苅部直『丸山眞男：リベラリストの肖像』（岩波新書、2006年）134頁。
3 武田泰淳ほか「藝術・東と西」（1962年）、石川淳ほか『夷斎座談：石川淳対談集』（中央公論社、1977年）所収。苅部前掲書132頁に引用。
4 「奥様を偲んで」（1965年）集��329-331頁。
5 「お隣りの三雲さん」（1985年）集��191頁。
6 あえてこれに加えれば、「政治学」（1956年、集�Α砲砲�ける大学生の「Cちゃん」もまた清楚型かもしれない。丸山の「問答体」の文章のなかでは唯一の女性登場人物がこの「Cちゃん」であるが、「Cちゃん」は自分から率先して「A（丸山と思われる大学教授）」や「B（兄）」に対して紅茶をいれるという「気配りのできる」女性として描かれる。
7 「映画・女性・現代」（1959年）座��202頁。
8 「映画・女性・現代」（1959年）座��203頁、「『子午線の祀り』を語る」（1989年）集��39頁。また「現代劇における方法意識」（1961年、座��245頁）には男性との対比において「実際、女性的なものが自然的なものにあたる」という発言もみえる。
9 「映画・女性・現代」（1959年）座��202頁。
10 埴谷雄高との対談「現代の政治的状況と芸術」（1959年）座��107-108頁。
11 『座談』第1冊、206頁。
12 「映画・女性・現代」（1959年）座��195-196頁。またこの主張はある面で、前述の江原の問題提起に対応しているといえる。
13 「映画・女性・現代」（1959年）座��203頁。
14 西澤直子「解説」、『福澤諭吉著作集 第10巻 日本婦人論・日本男子論』（慶応義塾大学出版会、2003年）所収。
15 年代順に列挙すると以下の通りである。「福澤諭吉の儒教批判」（1942年）集��154頁、「福澤諭吉」（1953年）集�ァ◆崟�治学事典執筆項目 福澤諭吉」（1954年、集�Α法◆屬佞世鹵紊陵ゝ箸髪儻豢軌蕁廖�1966年）座��32頁、「『文明論之概略』を読む」（1986年）集��109頁、「きしみあいから独創が生まれる」（1987年）座��172頁、「福沢における『惑溺』」（1987年）集��343頁。
16 女性解放論への興味との関わりでは、ある座談会で「ぼくの学生時代に女性問題でいちばん読まれた」本としてアウグスト・ベーベルの『婦人論』（岩波文庫）を挙げて、「ぼくはガールフレンドに必ずこれを読めといってやりましたけどね（笑）」と言っている。丸山もこれに触発された側面があるかもしれない。「映画『ローザ・ルクセンブルク』をめぐって」（1988年）座��188頁。
17 「『文明論之概略』を読む」（1986年）集��109頁。また、このような福澤理解が妥当かどうかは、関口すみ子『国民道徳とジェンダー』（東京大学出版会、2007年）第I部、とくに62頁を参照。
18 「きしみあいから独創が生まれる」（1987年）座��172頁
19 「『である』ことと『する』こと」（1959年）集��30頁。
20 「近況報告」（1980年）集��343頁。
（2013.5.3 追記）
『自己内対話』（みすず書房、1998年）に次の記述がある。
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「婦人の解放」 これは出来損った、云いかえれば、子供を産めない婦人が、上出来の婦人にたいして抱いている本能的憎悪である。（29頁。ニーチェ『この人を見よ』からの引用）
ニーチェのこの（フェミニズムに対する男性たちの典型的な反応である）主張に対して丸山がどう感じたかは不明だが、上記の事情を踏まえると、共感をもって読んだのではないかと思う。
また、次の記述。
女性は神様か、動物か、どちらかであって、人間にはなれない。男だけが人間であり、人間の矛盾を究極まで体現している。（man、mankindというコトバ） だからドフトエフスキーは女が描けなかった。ファウストは、永遠に女性なるもの、われらをひいてゆかしむ、と言った。（46頁）
人間（マンカインド）とは男（マン）性の世界だ。女は神か動物か、あるいはその両者であっても、ついに人間ではない。しかしまさにそのゆえに女性は男にとって永遠の魅力である。（ゲーテのファウスト） 男は神にも動物にもなりきれない人間の矛盾をギリギリまで体現している。……男は偽善的で好色だ。だが女は色そのものであり、好色者にも偽善者にもなれない。彼女はスタティックに統一している。動物に徹しようとして徹しきれず、神にあこがれて神に近づけないでもがいている男の姿は、女からみたら間がぬけて滑けいに見える。男の悲劇は、神又は動物になろうとするところに、女の悲劇は逆に人間になろうとするところに生れる。（141頁）
これは、上記で引用した1959年の発言（注7〜9）とつらなっている点で興味深いが、それ以上に、「man、mankindというコトバ」を引いて「男だけが人間であ」るという観念とつらなっていることに注意すべきである。後にフェミニズムは、まさにその点を突いて、男性が人間を代表しているという考え方を批判することとなるが、この段階での丸山は、逆に男性中心的な思考の支持する根拠として明示的に使っている。
だがそうした思いなしが、丸山の分析枠組から女性が欠落するという、研究史上の大きな損失となった。