【体操】団体37年ぶりV!内村「6人で取ったメダル、6倍の喜びがある」

2015年10月30日6時0分  スポーツ報知
  • 男子団体総合で優勝し大喜びの内村(中)、白井(右端)ら(ロイター)
  • 金メダルを手にする日本代表メンバー(ロイター)

 ◆体操 世界選手権第6日(28日、英グラスゴー)

 【グラスゴー(英国)28日=森昌利】男子団体総合決勝で、日本は6種目合計270・818点をマークし、78年ストラスブール大会(フランス)以来37年ぶり6度目の優勝を飾った。全6種目に出場したエース内村航平(26)=コナミスポーツク=は自身初の団体総合制覇で、世界選手権のメダル数も日本歴代単独最多の8個目。16年リオ五輪へ、体操ニッポンの復権を世界にアピールした。

 夢が現実になった。2位の英国を0・473点差で振り切り、内村の表情が一気に緩んだ。人さし指を突き立て、仲間と抱き合った。37年ぶりの重圧を克服。「僕らの代でようやく歴史を塗り替えられた。『日本の美しい体操』を評価してもらえた」。個人では五輪と世界選手権で6年連続の頂点だが、団体Vの味は格別だった。

 妻の千穂さん(26)、2人のまな娘と試合前に顔を合わせ、集中力を高めた。床運動を15・800点で滑り出し、5種目目の平行棒でも日本勢最高15・866点で引っ張った。最終種目の鉄棒は離れ技「カッシーナ」で落下するミス。14・466点で乗り切ったが「正直、危ないと思った。勝ちを決める最後の場面でしっかりやれなかったのが一番、悔しい。内容は納得できない」という。世界選手権の日本歴代単独最多8個目の金メダルでも満足できないのが、完璧を求める内村らしい。

 14年10月7日、前回の南寧大会は、0・100点差で中国に屈した。帰りのバスでつぶやいた。「みんなで出直そう」。跳馬では王国打倒のため高難度の大技「リ・シャオペン」を完成させ、0・100点を削り出す姿勢を率先した。「6人で取った金メダルなら6倍の喜びがある」。この思いが全てだった。チームも技の精度で勝負するスタイルを貫いた。鉄棒以外の5種目で出来栄えを示すEスコアが、全て8点以上だったのは日本だけ。水鳥寿思監督(35)も「どんどん採点が厳しくなる中で、日本の美しい体操、Eスコアが評価された結果」と分析し、「37年、取りたくてずっと取れなかった。日本の体操に勇気と希望を与えてくれた」と感慨に浸った。

 宿敵中国の7連覇を阻み、リオでも優勝候補筆頭に躍り出た。金なら04年アテネ以来となる。日本のエースは「どんな状況でもミスが出ない、本当に頼られる存在にならないと。そしてその先、20年(東京五輪)以降も日本が勝っていくことが課題」と言い切った。体操ニッポンが復権への第一歩をしるした。

 ◆78年ストラスブール大会の団体総合金 体操ニッポンの絶頂期で、五輪と世界選手権を合わせて60年ローマ五輪からの10連覇。個人総合の監物永三(現日本協会副会長)を軸に床運動と鉄棒、つり輪などで笠松茂らが活躍した。最大のライバル、ソ連(現ロシア)は60年ローマ五輪からストラスブール大会まで五輪・世界選手権10大会連続銀メダルだった。

 ◆内村の世界選手権通算金メダル 初の団体総合制覇で通算8個に。1960~70年代に活躍した監物永三と中山彰規を抜き、日本選手で単独最多。個人総合5連覇に加え、11年の床運動、13年の平行棒で種目別タイトルを獲得。昨年、日本勢の単独最多となったメダル総数は17個(金8、銀5、銅4)に増えた。

 ◆内村 航平(うちむら・こうへい)1989年1月3日、長崎県出身。26歳。12年ロンドン五輪で個人総合金。コナミスポーツク所属。162センチ、52キロ。

 ◆田中 佑典(たなか・ゆうすけ)1989年11月29日、和歌山県出身。25歳。14年世界選手権で個人総合銅。コナミスポーツク所属。166センチ、57キロ。

 ◆加藤 凌平(かとう・りょうへい)1993年9月9日、埼玉県出身。22歳。13年世界選手権で個人総合2位。順大4年。163センチ、55キロ。

 ◆白井 健三(しらい・けんぞう)1996年8月24日、神奈川県出身。19歳。13年世界選手権で床運動優勝。日体大1年。162センチ、51キロ。

 ◆萱 和磨(かや・かずま)1996年11月19日、千葉県出身。18歳。6月の全日本種目別選手権であん馬を制して初代表入り。順大1年。163センチ、52キロ。

 ◆早坂 尚人(はやさか・なおと)1995年12月4日、埼玉県出身。19歳。補欠から繰り上がりで初出場。順大2年。165センチ、60キロ。

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