跳ね字の和同開珎出土 京都・長岡京跡、旧銭再製造か
- 左の3つが京都府長岡京市神足の発掘現場から出土した跳ね字の和同開珎。(左から)2013年調査で見つかった「四つ跳」、同「三つ跳」、2012年調査で発見された四つ跳」。右は通常の和同開珎=同市奥海印寺・市埋蔵文化財センター
京都府長岡京市神足の長岡京跡で、2012~13年に見つかった古銭「和同開珎」3枚に「跳ね字」が使われていたことが30日分かった。跳ね字が記された和同開珎は、全国で他に5例しかなく、成分分析から和同開珎の鋳造が終了した後に、新たに製造された可能性が高い。専門家は「旧銭を再び作ることは貨幣史で例がない。常識を打ち破る出来事だ」と話している。
長岡京市埋蔵文化財センターの発掘調査で、道が交わる地点の側溝や穴から、万年通宝(鋳造開始760年)や神功開宝(同765年)とともに見つかった。3枚のうち2枚は、全ての字に左上への跳ねがある「四つ跳和同」、1枚は「開」以外の3字に跳ねがある「三つ跳和同」。いずれも直径約2・4センチ、厚さ1・3~1・4ミリ。中央に四角い穴が開いている。
跳ね字のある和同開珎はこれまで、向日市や近江八幡市、奈良県橿原市、石川県白山市と金沢市でしか見つかっていない。今回の3枚も含め、存在が確認されているのは13枚のみだ。
同センターの依頼で、兵庫埋蔵銭調査会の永井久美男代表(63)が初めて蛍光X線で分析したところ、万年通宝や神功開宝と成分が似ていた。長岡京遷都(784年)の前後に当たる8世紀半ばから後半にかけて鋳造されたと推測できる。
続日本紀の記述によると、和同開珎は708年から鋳造が始まり、760年に終了。772年に使用が禁止されたが7年後、他の2銭と併用されるようになったことがわかっている。跳ね字が記された銭の鋳造時期は、和同開珎の鋳造終了後に当たることから、新たに作られた可能性が高い。
銭は祭祀(さいし)用の土器と一緒に出土することが多く、わざわざ跳ね字にするためには高い技術を要することなどから、永井代表は「流通用でなく祭祀(さいし)用といった特別な目的で作ったと考えるのが自然だ」と話している。1日から同センターで公開される。
【 2015年10月30日 22時00分 】