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【社会】

100歳むのたけじさんに80年越し卒業証書 二・二六事件で母校混乱

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 百歳のジャーナリスト、むのたけじさんに母校の東京外国語大学(東京都府中市)が三十一日、卒業証書を手渡す。むのさんが卒業した一九三六(昭和十一)年は「二・二六事件」が起き、前身の東京外国語学校は戒厳令下で混乱した。むのさんは「何の思いも湧いてこない。それだけ戦争というものは個人の感情を破壊したということをあらためて実感させられた」と話している。 (編集委員・佐藤直子)

 卒業から七十九年を経てむのさんに証書が手渡されることになったきっかけは今月初め、立石博高学長との対談の場で、むのさんが「証書をもらっていない」と語ったことだった。

 一九一五年、秋田県六郷町(現美郷町)の農家に生まれたむのさんは外交官を目指して三二年四月、東京外国語学校スペイン語科に入学した。前年には満州事変があり、卒業した年の二月二十六日に二・二六事件が起きた。

 昭和史最大のクーデター未遂とされるこの事件は、陸軍青年将校が率いる千人以上の反乱部隊が霞が関や三宅坂、赤坂など一帯を占拠。首相官邸や政府要人を襲撃した。二十七日に戒厳令が、二十九日に鎮圧のための攻撃命令が出た。

 東京外大文書館の倉方慶明研究員によると、当時の記録は大学史などにもほとんど残っていないが、ボート部のOB組織が戦前から発行する新聞「コンコルディア」の三六年五月号に事件の影響を伝えている記事が見つかった。

 現在の千代田区一ツ橋にあった同校は、反乱軍を包囲する戒厳司令部隊の兵士や憲兵に占拠され、二十七日の予定だった試業(期末試験)が中止された。市電も止まり、学生は登校できず、学校の電話も不通になったと書かれている。倉方さんは「期末試験だけでなく、卒業式も開かれなかった可能性がある」と話す。

 証書は三十一日、東京外大が卒業生を招いて開く「ホームカミングデイ」の行事で授与される。むのさんのほか、大戦末期から戦後の混乱期に同じく卒業証書を受け取れなかった十数人に証書が渡される。

 <むの・たけじ> 本名・武野武治。報知新聞、朝日新聞の社会部記者として活躍後、戦争責任を取る形で1945年8月15日に朝日新聞を退社。48年、秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。著書に「希望は絶望のど真ん中に」(岩波新書)など。

 

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