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はてな村定点観測所

汚物を消毒します

中野時代のショットバーと天安門事件

最近、日中対立が続いている。私は大学時代に留学生の抗議などが原因で中退して東京に引っ越したけど、そこでまた中国人との接点があった。その昔話を書く。20歳頃のこと。

中野時代は貧しかった

私は大学を中退して、東京都中野区の風呂なし・トイレ共同のアパートで生活を始めたのだけど(奇しくも「斉藤荘」という名前だった)、最初の頃は極貧だったし生活環境も劣悪だった。お金がなくて毎日モヤシだけ食べて飢えをしのいでいた時もあった。短期のバイトは色々経験したけど、正社員の仕事は見つからなかった。

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(↑当時の部屋)

家賃4万円の築40年くらいのアパートだったけど、この部屋の主人は私というよりもゴキブリだった。ゴキブリが天井から振ってきたり、毒入りのホウ酸団子を部屋の各地に設置しても全部食べられてしまうくらいの数がいたりした。天井ではネズミがチョロチョロ動き回っていた。

部屋の壁が土壁でかなり崩れてきていて、隣の住人の部屋の様子も穴から少し見える感じだった。隣の住人は無職でよく「チクショー!」と1人で叫んで壁を蹴飛ばす人で怖かった。上の階は早稲田の学生だったけど女の子を連れ込んで下の階の私の部屋は大きな振動でガタガタ揺れた。ゆっくり眠れる雰囲気ではなかった。

エアコンもなかった。夏は扇風機で頑張ったけど湿気がたまりやすい部屋で寝苦しかった。日当たりは全くなく、隣の建物は聖教新聞の販売所でよく念仏が聞こえてきた。台所にはよくナメクジが出た。共同トイレは…悪夢のような汚さだった。銭湯は高いので10分100円のコインシャワーで10分以内に体を洗った。コインシャワーも衛生環境は劣悪で様々な虫やナメクジが出た。

そんな状態なのでバイト帰りで家の帰るのが嫌だった。新井薬師のある新井に住んでいたのだけど、中野駅北口のブロードウェイや中野駅北口の飲み屋街が近かった。どこか夜に落ち着けるBARがないかなと思って、BARを探した。

BAR「ドリーム」

「ドリーム」という名前のショットバーに入った。バーテンダーは女性で、店長はちょび髭のベストを着たおじさんだった。棚には沢山の種類のお酒が並んでいて店内は薄暗かった。初めて入った私にもバーテンダーの女の子や店長さんが気軽に話し掛けてくれた。

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私はそのBARの常連になった。バーテンダーの女性は週によって変わるけど必ず女性だった。今のガールズバーの走りみたいな感じで、ちょっと落ち着いて話せる感じのショットバー。バーテンダーの女の子がよくアイスピックで大きな丸い氷を作っていた。

ドリームの夜

バーテンダーの女の子と話す話題は、中野のことや、お酒のことや、お客さんのこと、その日に起きたこととか。他の常連客の男性も興味のある話題だと話に乗ってきて、私はそこで色々な人と仲良くなった。

常連客の話題は、あそこのキャバクラのお姉ちゃんは駄目で、別なキャバクラに行ってみたら良くて…とか、キャバクラの話が多かった。私はキャバクラに行くお金はなかったので、興味津々で聞いていた。たまにヤクザっぽい男の常連客が女の子を沢山連れて飲みに来た。「今度、歌舞伎町のお店を紹介するよ」と私に言ってくれた。

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私はウィスキーやラム酒など強いお酒をよく飲んだ。「レモンハート」とかをストレートでちびちび飲んだ。スピリタスというアルコール度数96%のウォッカもあったけど、ストレートで3杯飲むのが限界だった。あとは新人のバーテンダーの女性が入ると、カクテルの練習のためにとよく混ざっていないカクテルを飲んだ。朝の5時閉店まで常連と飲むことが多くなった。

ドリームのみんなが私のことを心配してくれた

ベテランのバーテンダーの女性は私のことを心配して、「齊藤さん、これ以上飲んだら駄目よ。齊藤さんはいつも危険な飲み方をしているんだもん」と忠告してくれた。アル中になりかけていたけど、彼女は歯止めを掛けてくれた。このベテランの子はお客さんに飲まされて酔っ払ったときにおっぱいを見せたらしい。

仲良くなった常連さんが私の酒代をおごってくれたりした。私がバイトをやめて一時的に無職になった時は、「お前、ここはみんなちゃんと働いて金を稼いでる奴が来てるんだからな。貯金は大丈夫か?付き合いで無理に来なくても大丈夫だからな。今晩は俺がおごるわ」と心配された。

店長も面白い人だった。中野のキャバクラの情報は全部頭の中に入っていて、SMクラブに行ってムチで打たれた話とかもしてくれた。朝5時閉店だったけど、日によってはその後にも特別に無料でお酒を出してくれてお店の裏話とかを話してくれた。

たまに常連さんやバーテンダーの女性と一緒に、吉祥寺とかにおいしいものを食べに行ったりもした。常連さんの1人がバーテンダーの子と仲良くなって結婚することになって祝ったこともあった。実はその子が好きだった常連の保険会社の部長を励ますためにみんなでヤケ酒につきあったりもした。

中国人のバーテンダー「リサ」

新しく入ってきたバーテンダーに中国人の女の子がいた。「名前はリサです」と言ってた。リサは日本語ペラペラの上海出身の女子大生で津田塾大学に通っていた。お父さんは役人らしい。大学を卒業したら日本の商社系に勤めたいと言っていた。

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私は年齢が近いこともあってリサとすごく仲が良くなった。リサの中国の話を聞くのが好きで、リサも私の今までの人生のいきさつをすごく興味津々で聞いてくれた。お店が閉店するときに、「齊藤さん、このあと時間ある?」と聞かれて「ご飯とか食べに行こうよ」と声を掛けてくれた。けっこう一緒にご飯を食べた。

食事の時は「あそこのお店のオーナー(店長とは違う人)はすごいスケベオヤジでセクハラしてくる。お客さんに沢山しゃべらせてお酒の注文を増やせと言ってくるんだよ」と色々お店の愚痴を聞いたりしていた。

天安門事件

その日も私とリサが仲良く話していた。そこに常連客の1人が入ってきた。飲食店の経営者だけどちょっと変わった人物で酒癖の悪い人だった。最初はちびちびと飲んでいたけど、リサに話し掛けてきた。

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「お前、天安門事件って知ってるか?」「うん、中国にいた時に少しだけ聞いてた。でも詳しいことが分かったのは日本に来てから」「天安門事件で中国は民主化を求める沢山の人を殺したんだよ」「うん、知ってる」「お前の国には自由がないんだよ」

飲み屋の席であんまり政治の話をするのは良くないし、険悪な雰囲気でリサがすごく困ったような表情をしてた。私は話題を変えようと思って、まずリサにお酒を注文して常連から離れるようにした。その後にその常連さんに別な話題を振って話し掛けた。リサから小さい声で「ありがとう」と言われた。

侮辱している

その日の閉店の時にも、リサに「齊藤さん、ご飯食べに行こう」と言われて2人でファミレスに行った。

リサは「さっきの人、信じられない。私達の国を侮辱している。私は絶対許せない」と言ってた。私はリサをなだめながら、「世の中には失礼な人もいるし、酔っ払うとあの人は暴走しちゃうから」とフォローした。

「まあ、いっか。もうこの事は忘れましょう」とリサもふっきれてくれて、2人で食事をしながら別な話題を楽しんだ。

食事を終えたあと、「私の家、ここからすごく近いんだよね」と言ってた。「へー、そうなんだ」と言ったのだけど、後から思い返すとあれは添え膳だったんだろうか。

その後、少しして就活でリサがバーテンダーをやめた。リサがお店を辞めた後にメールで告白したけど振られてしまった。ショックだった。そして、そんな「ドリーム」も今はない。

今ごろ、リサやベテランバーテンダーや店長や常連のみんなは元気かな。いま日中が対立しているけど、リサはどういう心境なんだろうか。

松屋の女の子

中野生活は5年間続くが、その次に恋をすることになったのは、いつも通っている松屋の店員の女の子に告白されたときだった。