・なんにつけても、「ぜんぶ」は無理だ。
これはだれにでも思い当たることだと思う。
「ぜんぶ」は無理だということは知っているのに、
なんとなく、「ぜんぶ」を集めて並べようとする。
集めたり並べたりしている間は、
それだけをしていれば、なんかやったような気がする。
こどものころの、夏休みの予定表をつくりたがる気持ち。
あれもしたい、これもしよう、あれもこれもしなきゃ、
そう思って、「ぜんぶ」を記しておきたくなる。
へたをすると、文字の書きまちがいなんかあったら、
一からつくり直しちゃうくらい熱心に予定表をつくる。
息も絶え絶えになって、完成したころには、
夏休みの貴重な時間が、もうずいぶんと費やされている。
大人のやっていることも、似たようなものだ。
「計画」をしっかりつくるのだという。
もれのないように、ミスの起こりにくいように、
後でやり直しになったらたいへんだから、
慎重に、よく話しあって、しかも徹夜になったりして、
「これで大丈夫」なんて言えはしないけど、完成させる。
文句のつけようのない「計画」をつくることに、
時間のほとんどを使っているような気さえする。
みんながそうだというわけじゃないけど、
そういうことに使われている時間が、
世の中のとても多くの部分を占めているとは思うんだ。
だって、そもそも「プレゼンテーション」ってものは、
「計画」の、ごくごく始まりの部分だろう。
「ぜんぶ」は無理なのだと知ってるはずなのに、こうだ。
どことどこを、「後で考えればいい」と決断できるか。
それこそが、なにかをやれている人たちの特長だ。
ぼくの知っている「実行力」のある人は、
とにかく「手を付ける」のが早い。
人には会う、場所には行く、スケッチを描く。
「どうなったらうれしいか」について、
もうすっかりできているかのように語り、笑う。
足りないところに気づいたら、また人に会い‥‥と。
ものごとは、踊りのように動いていくものだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほんとにやる人っていうのは、とにかくすぐ人に会うよね。
これはだれにでも思い当たることだと思う。
「ぜんぶ」は無理だということは知っているのに、
なんとなく、「ぜんぶ」を集めて並べようとする。
集めたり並べたりしている間は、
それだけをしていれば、なんかやったような気がする。
こどものころの、夏休みの予定表をつくりたがる気持ち。
あれもしたい、これもしよう、あれもこれもしなきゃ、
そう思って、「ぜんぶ」を記しておきたくなる。
へたをすると、文字の書きまちがいなんかあったら、
一からつくり直しちゃうくらい熱心に予定表をつくる。
息も絶え絶えになって、完成したころには、
夏休みの貴重な時間が、もうずいぶんと費やされている。
大人のやっていることも、似たようなものだ。
「計画」をしっかりつくるのだという。
もれのないように、ミスの起こりにくいように、
後でやり直しになったらたいへんだから、
慎重に、よく話しあって、しかも徹夜になったりして、
「これで大丈夫」なんて言えはしないけど、完成させる。
文句のつけようのない「計画」をつくることに、
時間のほとんどを使っているような気さえする。
みんながそうだというわけじゃないけど、
そういうことに使われている時間が、
世の中のとても多くの部分を占めているとは思うんだ。
だって、そもそも「プレゼンテーション」ってものは、
「計画」の、ごくごく始まりの部分だろう。
「ぜんぶ」は無理なのだと知ってるはずなのに、こうだ。
どことどこを、「後で考えればいい」と決断できるか。
それこそが、なにかをやれている人たちの特長だ。
ぼくの知っている「実行力」のある人は、
とにかく「手を付ける」のが早い。
人には会う、場所には行く、スケッチを描く。
「どうなったらうれしいか」について、
もうすっかりできているかのように語り、笑う。
足りないところに気づいたら、また人に会い‥‥と。
ものごとは、踊りのように動いていくものだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ほんとにやる人っていうのは、とにかくすぐ人に会うよね。
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