xevra先生、わたし、瞑想します。
昨日のエントリで、尊敬するブックマーカーであるid:xevra先生にこんな事を言われた。
明日こそ、ちゃんと生きよう。 - Yukibou's Hideout on Hatena
運動できないならせめて瞑想したらどうか
2015/10/28 13:19
※関係ないけど、xevra先生が来てくれるとなんかホッとする。最近あの人のファンになりつつある。
xevra先生はいつも瞑想をしろとアドバイスしてくれる。以前は「瞑想ねぇ…」くらいにしか思っていなかったのだが、最近は少し真面目に考えたほうが良いのではないかと思っている。
自分は、ミニマリズムな人たちと違って、煩悩の塊である。欲しいものは欲しいし、一度手に入れたものはそう簡単には捨てることが出来ない。
仏教界隈の人に言わせると、それは「苦」であるという。煩悩によって真実が見えなくなっており、移り変わるものを永遠と信じ、欲を満たすことを幸福と考え、有りもしない「私」に執着しているのだと。
返す言葉もない。
自分がいま心の病気を患っているのも、「苦」が自分を苦しめているからかもしれない。
その「苦」を取り去る古来から伝わる方法の一つに、「瞑想」がある。
最近では、GoogleやNIKEといった海外の大企業でも「マインドフルネス」という、瞑想に近いプログラムを実践しており、ハーバード大学などの有名大学でも本格的な研究がなされ、東洋の思想を西洋の見方で解釈しようとしている。
よく、ネットでは「だれにでも簡単にできる瞑想のやり方!」なーんて書いてあるが、全然簡単ではない。「何も考えずにゆっくり呼吸するだけ」とか言われても、その「何も考えない」というのが一番難しい。多分、そう言われて本当に簡単に実践できる人は、凄い才能の持ち主か、単に自分がわかってないことに気がついていないだけだ。
自分はいま、間違いなく心が乱れている。心の乱れが身体にも支障をきたし、普通の社会人としての生活がおくれない状態になってしまっている。
だが、いつまでもこのままでいる訳にはいかない。
これまでは、西洋医学的なアプローチのみでの解決方法を探ってきたが、なかなか上手くいかない。そこで、xevra先生にも言われたし、東洋医学というか、思想的な観点から、ちょっと真面目に瞑想を生活に取り入れてみようと考えた次第である。
瞑想の効果。
よく、瞑想をするとアルファ波が出てリラックス出来ると言う人がいるが、これは当たっているようで間違っている。
一昔前に「アルファ波が出るCD」なんてのが流行ったが、アルファ波なんてものは目を閉じてじっとしていれば自然に出るものなのだ。アルファ波が出ているからリラックスしているとは限らない。それは、「風邪をひいている人はクシャミをするが、クシャミをしたからといって風邪をひいているとは限らない」のと同じだ。
一般的に言われている瞑想の効果には、以下の様なものがある。
- ストレス軽減。
- 平常心が備わる。
- 心身の疲れを癒やす。
- 集中力が増す。
- 感覚が研ぎ澄まされる。
- 創造力の高まり。
- 人間関係の良好化。
- 不安の払拭。
- 至福の実感。
などなど…
今の自分にとっては必要な物ばかりだ。
とりあえず、瞑想を実践するにあたっては、特に道具も必要ないので、せっかくだからやってみる事にしよう。
無意識的行動。
「人間は考える葦である」
17世紀のフランス人学者ブレーズ・パスカルの有名な言葉だ。この言葉は、その字面よりもかなり示唆に富み、多くの意味を含んでいる。
葦は群生し、風が吹くとすぐしなって曲がってしまう。葦は弱いものの代表だ。だが、風が止まればまたすぐに立ち上がり、再び成長を始める。つまり、人間は運命という風に吹き飛ばされそうになっても踏みとどまり、そしてそれに耐えうる不屈の精神を持っているという意味も含まれている。つまり、葦は弱いものの代表であると同時に強いものの代表でもあるのだ。
そして、人間は常に何かを考えている。自分で「あれについて考えよう」と思わなくても自然に考えてしまう。無意識に、自然発生的に考えてしまうものだ。
何かに集中して取り組んでいる時に、周囲の雑音に気を取られると、そこで集中力は低下し、その取り組みに対する効率も下がる。心では反応しないと思っていても、つい無意識に反応してしまう。
この無意識的行動を制御して、自分の意識の働きを高めるのが瞑想の狙いだ。口で言うのは簡単だが、実践するのはそう簡単ではない。なにしろ、普段は自分で制御出来ない領域をコントロールしようというのだから。
瞑想の実践方法。
生き方に答えが無いのと同じで、瞑想にも完璧な答えなど無い。個々人に合ったやり方があるだろうし、その効果の程度も人それぞれだろうからだ。
一般的には呼吸を使った方法と、マントラ(サンスクリット語で「言葉」を意味する)を使ったものがある。
- まず、静かな場所で楽に座る。
- 視覚情報を遮断するために目を閉じる。
- 呼吸法を利用する場合は、意識を呼吸に向け、ゆっくり腹式呼吸をする。マントラ法を利用する場合は、あらかじめ何か言葉を決めておき、雑念が入り込んできた時はマントラを声に出さずにゆっくり唱える。
- それでも雑念が止まらない時は、「内観」を使って、自分の意識を客観視する。例えば、「あ、今自分は夕飯のことについて考えている」などと、自分で自分の意識を客観的に捉える。
- 何も考えないように努力する。
書き出すだけなら簡単である。いざ、実践してみると、出るわ出るわ。雑念のオンパレードである。
普通の家に住んでいる以上、生活騒音も必ず存在する。静かに思えても、冷蔵庫のモーター音や時計の針の音、外から聞こえてくる車の音や子供の声など、かならず音は存在する。
だから、「何も考えない」という境地に達するのは、並大抵の努力では辿りつけないだろう。やってみて初めてわかる、瞑想の難しさである。
とりあえず、1日3分くらいから始めて、どうなるか様子を見てみようと思う。
それで心の安寧が得られるのであれば、これ以上のことはない。
P.S. xevra先生、なんか間違ってたら遠慮無く罵倒指摘してください。