目黒の雅叙園に行ってきました。
雅叙園は戦前から続く料亭がルーツになっていて、元は石川県出身の細川力蔵という実業家が運営を始めたものです。
僕が行ったときはちょうど、假屋崎省吾さんという華道家の展覧会をやっていたので、人生で初めて生花なるものを鑑賞してきました。
雅叙園の中の城(寺?)のような建物の中に所狭しと飾られた花を見て思ったのは、
たしかにすごいけど、よくわからん
ということでした。
基礎知識が無いと、一流の作品を見ても、その作品の素晴らしさを理解することは難しいということです。
どんな技術が使われていて、どんな工夫がなされているのか。
なぜこの形の花に大きな価値があるのか。
もし自分が華道をやっていて、一度でも体験することがあったならば、枝に凝らした技工を理解することができたかもしれません。
しかし、何も基礎知識が無いままでフラッと見に行ったので、漫然と観察することしかできなかったなぁ、というのが正直なところです。
これは生花に限らず、他の何にでも言えることだと思います。
画家のゴッホは
「一塊のパンと共にレンブラントの絵の前に2週間座らせてもらえるなら10年寿命が縮まっても良い」
という言葉を残しました。
これはレンブラントの凄さを理解しているから言えるのであって、たぶん僕だったらレンブラントの絵の前に座っても「ふーん」で終わってしまうと思います。
目の前の可愛い女の子と一晩過ごせるなら寿命が一ヶ月縮んでもいい、とは何度も思ったことがあるけど(そろそろ死にそう)
野球をやっている人が感じるイチローの凄さと、観客席から観ているだけの客が見るイチローの凄さはまた別のものでしょう。
音楽や、家庭の料理だって同じです、
奥さんが工夫を凝らして料理をしたとしても、自分で全くやったことがない人は、その工夫を理解することができないし、たぶん気付きもしないと思います。
何かを学ぶということは、自分の感受性のアンテナを増やすことでもあるのです。
生花の素晴らしさはよくわからなかったのですが、自分の中に一つの経験が残りました。
「生花を見てみた」
という体験です。
何を当たり前のことを言っとるんだ、と思われるかもしれません。
でも、Googleで何でも調べられる時代だからこそ、「自分で体験すること」がより一層、重要になっている思っています。
生花を見た→何か色々飾ってあったけど、すごさはよくわからんかった
という話を、自分の言葉で語れるかどうか。
人から聞いた話ではなく、自分がどう感じたかを話せるか。
一つ一つの体験の積み重ねこそが、その人の引き出しであり、人間的な厚みでもあると思っています。
(※もちろん、生花はたとえの話で、生花見たから偉いと言いたいわけではないです)
イベントだけではなく外で食事をするときも、できれば行ったことのない駅の、入ったことのない店に入りたい。
ハズレを引いてしまったら、またそれも経験だと思います。
引き出しを増やすと何がいいかというと、当たり前ですけど、共通の話題が増えることなんですよね。
男女問わず、共通の話題があることって、お互いの距離を縮める上でものすごい武器になります。
留学してた人同士がすぐ仲良くなるみたいに。
就活生同士がすぐ打ち解けるように。
共通の話題がある人は安心できるし、心を開きやすくなるわけです。
それが特殊な体験だったらなおさら。
たとえば、
「サンフランシスコっていつも晴れてるみたいだね」
「そうなのあそこはね、・・・」
なんて伝聞形で話すよりも、
「サンフランシスコに住んでたんだけど、マジで毎日晴ればっかだから、ドライブしまくってた。あそこのXXXストリートで車でザッカーバーグにすれ違ったわ」
「わかるわかる!」
みたいに話した方が絶対盛り上がるし、話が広がります。
スティーブ・ジョブズのように、一つ一つの経験が点となって、いつか点と点がつながるかもしれない。
今までやったことのないことを始めるときは、どんなことでも多かれ少なかれ、労力を必要とします。
時には勇気を必要とします。
だから僕も「今までと同じ」を選びがちなんですが、そこでグッと決意して、
面倒でも新しいことを始めてみることで、新しい点が見つかるものだと信じています。
そして、できればその経験を言葉にして、ブログなどを通じて他の人と共有したいですね。
経験は一度自分のフィルタを通してアウトプットすることで、自分の糧にできるからです。
そして色々写真撮ったけど、一眼レフ全然使いこなせないよ!
背景ぼかしたカッコイイ写真を撮りたいんだが・・・
どうもうまくいかん。
のんきな鯉は雅叙園の中をひたすら口開けて泳いでました。