「新自由主義」の妖怪 稲葉振一郎

2015.10.28

02ケインズ主義との対決(1)

 

 「新自由主義」の何たるかを理解するためには、やはりあくまでもケインズ主義との対決という構図の中で見ていくと分かりやすいのは確かです。やや結論を先取りして言うならば、いわゆるケインズ政策を、ケインズ自身のように「社会主義・共産主義に対する防波堤」として、つまりは自由主義的な政策として理解するのではなく、むしろ「社会主義への滑りやすい坂」の上にあるものとして理解し、自由主義を守るためにはその坂の上に乗ってはならない、とする立場をとる論者に対しては、「新自由主義」というラベルを貼ってもそう大きな間違いを犯す危険はありません。しかしながら第一に、そのようなケインズ政策への警戒という点においては共通しながらも、より基底的なレベルでの価値観や世界観においては互いに食い違い、場合によっては相容れないような論者がこのラベルの下にひとくくりにされかねないことには注意しておいた方がよい。
 そして第二に、そもそもケインズ政策、あるいはしばしばより広くその政策を支える思想的基盤のようなものを想定して「ケインズ主義」と呼ばれる何物かについて、そこでどんな風な理解がされているのか、が必ずしも自明ではありません。ケインズ自身が大学と実践、アカデミズムと政策立案、政治交渉の現場とを往還するうちに、自分の体系をまとめる余裕もなく早くに亡くなってしまいますので、ケインズの著作というのは断片の集積という色合いが濃く、必ずしも見通しよく体系化されてはいません。「ケインズが本当のところ何をどこまで考えていたのか?」はいまなお謎が多く、それに更に「(そのようにいまだに全貌がはっきりしない)ケインズの思考が、それから百年を経ようとする現在、どのような意味を持つのか?」という問いが追いかけてきます。
 ですから「新自由主義」が対決の相手とする「ケインズ主義」もまた、「新自由主義」と同様、輪郭が定かではなく、必ずしもひとつではない。そのことを頭に入れておかねばなりません。

 では、本題に入りましょう。

 前回に見たマルクス主義的な発展段階論のことはいったん括弧に入れておきましょう。
 20世紀を前半と後半に分けるなら、第二次世界大戦終了を境として「戦前」と「戦後」ということになるでしょうが、戦後は更に40年代から50年代半ばの戦後危機・復興の時代、70年代初頭、ドルショックないしは石油ショックまでの高度成長の時代、そしてそれ以降の低成長時代、といった感じに小分けすると便利です。近年の歴史学の方ではフランス革命から第一次世界大戦開始までを「長い19世紀」と呼び、第一次世界大戦からソ連崩壊・冷戦の終焉までを「短い20世紀」と呼んだりします(エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史』他)が、これに合わせるなら冷戦の終焉・社会主義の崩壊以降は「長い21世紀」に繰り込まれますので、「短い20世紀」の後半としての「戦後」についてはこれで構いません。
 それに対して「短い20世紀」の前半としての「戦前」とは、第一次世界大戦開始から第二次世界大戦終了までの30年ほどで、あえて小分けするなら10年代後半の第一次大戦期、20年代の「相対的安定期」、29年のアメリカ株式市場の大暴落に引き続く大不況の時代としての30年代、そして40年代前半、第二次大戦期となりますが、人によってはこの二つの戦争を、インターバルを挟んだ一つの大きな戦争と考えるべきだ、とまで言います。
 歴史における時代区分というのは、その区分を行う際の尺度が複数――経済発展はもちろんもっともよく参照される尺度ですが、それ以外にも法制度・政策などいろいろあります――入り混じっていて折衷的なものであることは仕方ありません。前回見たマルクス主義の段階論の場合には、経済発展、特に生産技術を基底に置きつつ、それとの関連で社会経済政策、更にそれを実現する政治体制、という風に、単なる折衷を超えた体系的総合を目指した野心的な試みですが、それだけに無理が目立ちました。それに比べるとここで提示されている時代区分の仕方はいかにも素朴ですが、それでもやはりマルクス主義の影響下にあることは認めなければなりません。つまりそこでは、20世紀は「社会主義の時代」として捉えられている。ただしマルクス主義の場合とは異なり、それは来るべき共産主義の時代の前段階などではなく、「社会主義が勃興し、しかし再び資本主義に屈する時代」として捉えられているのです。
 「短い20世紀」の区分の基準は社会主義であり、第一次大戦のさなかに起こったロシア革命とソビエト連邦の出現から、ソ連を中心とする社会主義圏が崩壊するまで、です。社会主義計画経済の体制をとった国々が複数存在し、国際政治上も一ブロックを形成した時代、として20世紀を際立たせよう、という考え方です。
 そして「社会主義」は何もこの社会主義が政権を掌握した社会主義諸国だけの問題ではありません。「東側」社会主義ブロックと冷戦において対峙した「西側」の自由主義的資本主義経済を維持した国々、とりわけ「先進諸国」においても社会主義はヴァイタルなものであった、と言えます。つまり二つの世界大戦とその前後から、戦時動員のために準備されてきた福祉国家の基軸をなす諸制度――労働組合の合法化と団体交渉の制度化、そしてなにより失業保険・医療保険・老齢年金など社会保険を中軸とする社会保障制度が準備されてきて、第二次世界大戦後には本格的に実現を見ますが、それらは後に見るケインズ主義的なマクロ経済政策とともに、ある意味では社会主義陣営に対抗して人心を繋ぎ止め、冷戦を勝ち抜くためのものであり、またある意味ではそれ自体が「東側」とは異なる――独裁ではなく、自由主義の下での「社会主義」の実現でもあったわけです。その意味でも「短い20世紀」は「社会主義(との対決)の時代」であった、ということができます。
 となると「長い19世紀」は「市民革命と自由主義の時代」となり、現代、「長い(?)21世紀」、第二次グローバリゼーションの時代は、グローバリゼーションへの回帰というその限りにおいては19世紀への回帰と見ることができなくもないわけですから、「新自由主義の時代」ということになりそうです。

 しかしこのような思想、イデオロギーとしての社会主義に注目する発想とは別の仕方で、まさに資本主義に内在する形で、この「短い20世紀」を際立たせる発想もあります。とは言っても、古典的なマルクス主義の段階論とは少しばかりニュアンスが異なってきます。
 この考え方では「長い19世紀」――とは言ってもフランス革命からナポレオン戦争という動乱の時代を除きますが――を、英国を中心とした金本位制の下での自由主義的な国際経済――自由貿易、自由な資本移動、自由な移民――の時代として捉えます。この考え方では、とりわけ19世紀後半は「第一次グローバリゼーション」の時代として位置づけられます。これに対して「短い20世紀」はこのグローバリゼーションの停滞の時代、貿易・国際資本移動・移民(国際労働移動)の停滞と捉えられます。むろんこの時代も前半の「戦前」――というより戦時と、後半の「戦後」の先進諸国中心の平和と繁栄との間の対比は鮮明ですが、しかしその「平和と繁栄」=高度成長下においても、国際資本移動と移民=国際労働移動への強力な規制は残りました。生産力と所得の水準の戦前レベルへの復帰は比較的早くとも、世界経済のグローバルな統合――たとえば、各国経済の貿易依存度で計ってみても――は高度成長期いっぱいは回復しないままです。
 そうした「第一次グローバリゼーションの終焉」はもちろん、社会主義の勃興と関連付けてみることもできます。社会主義ブロックが形成され、世界的な資本主義のネットワークから撤退してしまったこと。のみならず、その影響が「西側」にも及んでしまったこと。先にも見たこれらの事情が、まさに第一次グローバリゼーションに歯止めをかけた要因として見えてきます。
 しかしながら次回では、もう少し別の角度から――それこそ、ケインズという人の出現の意義を理解するために必要なアングルから――その問題について考えていきましょう。

 

 

(第2回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2015年11月25日(水)掲載