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田中尭皓のブログ

あなたの役にたつ情報を提供するブログです。書いてほしいテーマがあれば教えてください。

科学で意識を研究できるか問うときに必要なもの

こんにちは、田中です。

 前回の記事で、意識を科学で研究することは可能かどうか、について書いたのですが、何人かの方からご批判や疑問やご指摘をいただけたので、ちょっとそれについて書きます。

 

ご指摘いただいたことは、要は2つで、

・議論をする前に、使う言葉をしっかりと定義する必要がある。

・科学はそもそも本当に客観的なものか。

の2点です。

なので、ちょっとこれらについて整理してみます。

 

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1.「客観的」の意味をまず定義する必要がある

まず、科学は客観的なものだ、という表現を私が使ったのですが、「客観的」とはどういう意味か、定義があいまいだというご指摘をいただきました。

たしかに、「客観性」とか「客観的」という言葉を、どういう意味で使うのか、定義をしなければ、議論が先に進みませんよね。

 

例えば、「客観性」を、「誰もが確認できること」と定義するのか、

「公平な判断ができること」と定義するのか、

「感情に流されないこと」と定義するのかによって、

科学が客観的であるという前提の意味が変わってきますね。

 

2.そもそも科学は客観的なものなのか

 私は、科学は客観的なものだ、という前提をしていましたが、そもそも本当に科学は客観的なものなのか、というご指摘をいただきました。

 

というのも、科学の方法で観察する人もまた、主観的な意識を持っているだけかもしれないからです。

科学そのものもまた、人の意識の働きによるものです。

 

もしそうであれば、客観的な研究そのものが、そもそも成立しない、という疑いを持つことが可能になってしまうのです。

 

それは困りますね。

なんだか、科学とか科学的な研究というものについて、足もとがグラグラしてきました。

 

もしかしたら、「客観的」の定義によっては、「科学は客観的である」、という前提が成立しないかもしれない可能性もあります。

 

また、このことを考えるためには、「科学」という言葉も先にしっかり定義する必要がありますね。

そして、科学という概念が何なのかも明確にしたほうがいいですね。

 

いただいたコメントの中で、意識とは何かを問うことは、科学とは何かを問うことに等しいかもしれない、というご指摘がありました。

意識の問いは、科学という営みそのものに関わってくる問題かもしれません。

 

3.「意識」という言葉をまず定義する必要がある

 「意識」という言葉をまずはしっかり定義しなければいけない、というご指摘をいただきました。

ごもっともです。

意識について議論しようとするなら、まず「意識」という言葉をどういう意味で使うのか決めないと、論理的な思考ができませんよね。

 

意識という言葉の使い方としては、2つの使い方が少なくともあるようです。

その説では、内容を持つ意識と、内容をもたない意識に分けることができます。

 

内容を持つ意識

例えば、「目の前にコップがあるな」とか「自分は今すごく悲しい」というように、

言葉によって表現できるものが、内容を持つ意識です。

要は、文章で表現できる意識です。

文章にして、その文章が正しいか間違っているか、真偽を考えるような意識です。

 

例えば、「自分は今すごく悲しい」と考えるときって、言葉で文章を作って、文章で表現することができますよね。

「〇〇は〇〇である」と文章で表現できるってことは、内容を持つということです。

 

「あの人、腹が立つな」とか「あの人は素敵な人だ」と言うとき、言葉によって文章を作ることができます。

文章で表現できる=内容を持っている。

これが、内容を持つ意識だ。と分けるのです。

 

内容を持たない意識

これに対し、言葉で表現しない意識、という見方をするのが、内容を持たない意識です。

 

例えば、何も考えず、目の前のコップを見ているとき、ただぼーっとしてるだけなんだけれども、意識はある、という場合です。

「目の前にコップ」があるとは考えていなくて、ただボーッとコップを見つめていて、コップの像が目に飛び込んできてるような場合です。

 

「目の前にコップがある」と言葉で表現することもしなくて、ただ目の前にコップが見えていて、コップの知覚がある。

そんなとき、それは内容を持たない意識だ、というわけです。

 

何も言葉に表現してみなくても、何かを見たり聞いたりしているような、そういう内容を持たない意識です。

 

哲学者の永井均さんは、1つめの、内容を持つ意識のことを、1次的な意識と言います。

永井さんは、2つめの、内容を持たない意識のことを、0次的な意識と呼んでいます。

 

内容を持たない意識=知覚なのか

 内容を持たない意識って、要は何かを見たり聞いたりするという、知覚と同じものなのか、という疑問が生じますね。

謎です。

 

というわけで、前回の記事でわかった問題点と、「意識」という言葉の2つの使い方についてお話しました。

 

まとめ

・議論をしたり論理的に考えるときは、まず使う言葉を明確に定義する必要がある。

・「客観性」とか「意識」という言葉を定義する必要がある。

・科学がそもそも客観的なものかを考える必要がある。

・意識は2つに分けることができる。