私は「あまちゃん」を観ていなかった。
「あまちゃん」を観ていない私を、北三陸に住んでいた姉が「非国民」と言った。
長年続く睡眠障害で、毎日朝の8時から起きてTVを観るという生活がどうしても出来なかった頃だ。
何とか最終の一週間だけ、リアルタイムで観た。面白くて、確かにこれは嵌るはずだと思った。
以前からパートの同僚達の話題や週刊誌の情報で「あまちゃん」の概要は知っていた。
バラエティ番組などでも方言が扱われるようになり、東北弁も結構可愛いという流れになっているのが何だか嬉しかった。
けれども、当然の事ながらTVドラマではそれらしい方言が流れただけで、本物とは言えない。
もし本物の北三陸の方言が流れたら、大半の視聴者は理解出来ないだろうから。
20代の頃、方言で詩を書く事を試みて一度だけ雑誌に掲載された。
でも、それを母に見せると「何かが違う」と言った。
そう言われてしまうのだろうと、自分でも解っていた。
方言の言い回しや、ニュアンスを表現する事の難しさがあった。
故郷の方言は濁音と促音と長音が多く、そのままを文字にすると一層意味が判りにくくなる。
そもそも、方言の発音を文字に表す事が困難であった。
例えば、家と家の間の細い路地等を「あぅぇーこ」と書いても何だか違う。
「あゎぇーこ」と書く方が近いのだろうか?わとえを同時に発声するのを正確に表現出来ないもどかしさ。
独特のイントネーションやリズム感を、何とかして表現出来ないものだろうか?
私の詩は、最初に普通に詩を書いたものを方言に”翻訳”するというやり方であった。
方言は、会話してこそ成立する。だから、話しかける形で詩作した。
けれども読んだ人に伝わらなければ意味がない。
そんな試行錯誤の結果、方言詩をあっさり諦めてしまったのだった。
年長の従兄弟達が進学のために上京し、半年や一年経って帰って来ると
皆、言葉が変わっている。こどもの私でもそれは感じていた。
標準語に変わったのではない。相変わらず方言で喋っているのだが、何となく言葉遣いが綺麗になって、方言に違和感がある。
それを聞く度に、寂しい気持ちになっていた。従兄弟達が遠い存在になってしまったように感じた。
だから私は東京に行っても、田舎の人達にこんな思いはさせまいと思っていた。
でも半年も経たず、お盆に里帰りした時に私の話す方言は、我ながら何となく変であった。
あれっ?と思いながら話すと、相手も不思議そうな顔をしていた。そして「タンポポちゃんも、都会の人になったんだぁがね」と皮肉を言われてしまう。
方言は使い続けていなければ、使えなくなってしまうのだろうか?
私は同時期に上京した友人に、この話をした。
友人も最初は「気にし過ぎじゃないの?」と言いながら「そう言えば…」とある別の友人Yの話をした。
Yは地元でもトップクラスの美貌の才女であった。そのYは、関東の大学に進んでいたが成人式か同窓会か何かの集まりで帰省した。
そして皆と歓談するのだが、その時の話し言葉が異様に訛っていたのだと言う。
「以前は〜だべなんて言わなかったのに…」
確かにYはあまり方言を使わなかった。とても上品な言葉遣いをしていた。私達とはまるで違う、育ちの良いお嬢様であったから。
たぶん皆と同じ方言を使おう、使おうと過剰に意識した結果そうなってしまったという結論になった。Yは、自分がかつて使っていた訛り具合を忘れたのだろう。
私達は、スムーズに標準語を話しているようで頭の中では翻訳機能が働いている。
けれどもその機能をオフにしても、方言は使わなければ忘れてしまうから言葉が出てこないのだ。
私は方言を忘れたくない。同郷の人と会うと、喜んで何処であろうと方言になる。
相手の人は嫌かも知れないが、一旦オフになった翻訳機能は、嬉しさ懐かしさからスイッチが効かなくなってしまうのだ。
田舎に帰ると、友人家族と違和感のある方言を話し、東京に戻ってからは周りの標準語に違和感を覚える。
その違和感を感じる時が、自分は根なし草だなぁとつくづく思う瞬間である。