鬱病克服体験記2の続き
早速家に帰り、薬を携帯サイトで検索してみた。
アモキサン
レキソタン
レキソタンはともかくアモキサンって強い薬なんじゃね?
そんな疑問もあったが状況は切迫しており、否応なしに飲む選択肢しか無かった。
オレが馬鹿なのか、単純なのか、薬を飲んでいるという安心感からか分からないが、だんだんと眠れる様にはなっていった。
しかし、起きている時は常に嫌な記憶が付きまとい、考えないようにしても次から次へと答えの出ない不安要素に頭の中が支配されていた。
布団から起き上がる事も相当なエネルギーでトイレ以外はずっと寝たまま天井の模様を目で追っていた。
飯も食えず、風呂にも入れず、出来る事といえば同じ鬱患者の体験記を読み自分に重ね合わせ束の間の安心を得る事だけ。
嫁は基本的にほっておいてくれたが、心配かけている罪悪感でオレの心ははち切れそうだった。
ただただ無作為で生産性のない時間を無駄に消費しながら薬のなくなる2週間目
改めて通院したオレは、この2週間を有りのまま伝えた。
薬は合ってると思うから量を増やしますね。
と言われ同じ薬で内容量が増えた物を1カ月分処方された。
適応障害やら鬱状態やら言われていたが、この日また新たに
双極性障害Ⅱ型と言われた。
躁の自覚は全く無かったが、希死念慮があるという事で暫定的に双極性障害なんだそうだ。
そこから3カ月位は薬の変化は無く、効いてるのか効いて無いのか分からないまま日々辛い生活が続いていた。
しかし元々の性格のせいかマイナス思考は収まらず、薬の種類も量も増え、悪い意味で停滞していった。
1年が過ぎ、冬の気配が近づいていたころ精神障害者手帳の申請をする事にした。
手続きの方法などはここでは割愛させて下さい。
医師に診断書を書いて貰い、関係各所をたらい回しにされ、ようやく出来た手帳には
精神障害2級
と書いてあった。
手帳を貰ったからといって体調が回復する訳では無く、経済的に切迫していたので、少しでも足しになればと思い、障害年金を貰おうと思っての手帳取得だった。
しかし、国の機関というのは弱者に優しいふりして実は厳しく、数々の難癖をつけ審査を通してくれる事は無かった。
貧困と精神と体調の悪さで押し潰されそうだった。
本気で自殺も考えた。
死にたい、殺してくれと言って嫁を泣かせた事もあった。
それでも嫁はオレを見捨てる事無く、働きに出てくれていた。
好きな飲み会もいかず、数年前にしまむらで買った服を着回し、不安で堪らない心をひた隠しにして、なるべく笑顔でオレに接してくれていた。
この頃になると手帳だの年金だのの手続きで強制的に動き回る事が多く、それが良かったのか、大分動けて、気持ちも安定してたと思う。
仕事探さなきゃ
そう思い始め、ハローワークの障害者求人を見る事になる。
身体障害者の方と違い、精神障害者の枠は極めて少なく、まだまだ偏見が色濃く残るこの社会で精神障害者が働くハードルは高かった。
作業所に申し込んだらいかがですか?
ハローワークの障害者担当に言われるがまま作業所の説明を受け申し込む事になる。
作業所には二種類あり、AとBが
あった。
A型作業所は割と深刻な方々がリハビリ目的で作業をする所で、非常に少ないが作業手当もでる所。
B型作業所は軽度、もしくはそれ相当の方が5時間程度の作業をし、それなりの手当を貰える所。
だと言うので深く考えずにB型作業所に行く事にした。
ここに通うのにも手続きが面倒で関係各所をたらい回しにされた。
いざ通い始めるとそこには知的障害の方や身体障害の方、オレよりもっと深刻な精神障害の方が作業しており、社会復帰に向けて皆必死だった。
10日位通ったある日
配達の仕事やってみないか?
と知り合いから誘いを受け、今の生業になった。
作業所を退所し、手帳を自主返納したオレは天職に出会う事になった。
配達の仕事は大変な事も多いが1人仕事だ。
運転中は当然1人だし、好きな煙草も好きな時に吸える。
お客さんとの会話なんてほとんど無く、軽い挨拶程度のものだ。
地図を見るのもすぐに慣れた。
段々と地図を見る事も無くなり、番地を見れば頭に家の場所がすぐに浮かぶようになった。
オレのやってる配送は請負なんで収入は安定しないし、低い。
けど、季節の移り変わりや各家々の出産、結婚、葬式などの移り変わりも目に出来、顔を合わしたら挨拶する程度の知り合いも沢山増えた。
地域の学校や病院や商店の方々にも顔を覚えられると色々と有益な情報も入ってくる。
配達エリアの犬達とはみんな友達だ。
今はもう薬は飲んでない。
何故ならオレは薬では治らなかったから。
一時的に脳の機能を麻痺させても、性格までは誤魔化せない。
向き合い、受け入れ、許すだけなんです。
お爺さん先生の病院には1年通いましたが、意思の疎通が上手くいかず、病院を変えました。
次の病院にも1年通いました。
3分診療で、薬価の高い薬を処方されては合わないかもと次々と薬を変えられ、不信感を覚え通院を止めました。
後々、製薬会社の営業マンの義理の兄に聞いたところ、患者さんの評判がすこぶる悪かったそうです。
薬の離脱症状、副作用、色々経験しました。
今でも落ちる時はとことん落ちます。
認知療法、呼吸法、アロマテラピー、色々試しました。
心の深い所では何も変わってません。
向き合うしかないんです。
受け入れるしかないんです。
許すだけなんです。
鬱病に完治は無いと思います。
今は所謂、寛解と言う状態です。
でも、いつ、如何なるキッカケで元に戻るかも知れない恐怖は常にあります。
でも、仕方ないよ。
これがオレなんだから(^-^)
今、鬱病で苦しんでいる全ての方の希望に少しでもなれたら幸いです。
ただただ、あなたの身近な鬱病で苦しんでる方、鬱状態な方々に読んで頂きたいので、よろしければTwitter、Facebookなどでシェアして頂けると有難いです。
※ 本文中の細かい描写や、言動、解釈に疑問、不快を感じる方に対しては私の文章力の無さ、知識不足のせいですので、この場を借りて謝罪いたします。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。