2011-11-26

■オロチと佐久。

ヤマタノオロチ(八岐大蛇)とは、日本神話にみえる頭と尾が八つずつある巨大な蛇です。出雲の簸川(ひのかわ)上流にいて、大酒を好み、毎年一人ずつ娘を食ったそうですが、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこれを退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、その尾を割いて天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得たという神話が伝わります。
さて退治されたオロチは、どうなったのでしょうか。江戸時代に井出道貞は信濃奇勝録に次のように記しています。【信濃国佐久郡山田二蛇石有、神代ノ昔、出雲国
高志鳥髪山の八岐大蛇ヲ素戔嗚尊ノ退治シ給ヒシ依リ大蛇ノ一念此ノ石ニ留ル】とあります。佐久の民話では「オロチは出雲で成敗されその頭は天空を飛び落下した。
そして石になった。その石は蛇石とよばれるようになった。蛇石を祀る神社はヤマタノオロチにちなんで山田神社というようになり、山田集落もできたという。
一方、蛇石に蛙を乗せると消えてしまうとか、蛇石周辺の砂を持ち帰り撒くと鼠除になるとかいわれ、味噌蔵などに撒く事が流行した。また蛇石は年々大きくなり社殿を
破壊したともいう。一方、山へ入るときに「ナカムシや わが先、行く先さまたげば 山田の神に おおせ聞かせる」と唱えれば蛇が出てこないというマジナイも佐久
にはある。また蛇石様を地元の言葉でシイビッサンと呼ぶ古老も多い。


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■神社名書き上げ請求書(江戸期)。
江戸時代の佐久の神社名の書き上げ請求書が我が家に今もあります。(写真)
だいたいの訳は次の通りです。
「氏子が存在する神社は、すべて書き上げなさい。ただし、仁王社と諏訪社と神明社の三社は
柏原対馬神職の支配外の神社なので、記載されなくてもしょうがないでしょう。宝暦九年十一月三日」

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