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さいたま新都心10年 「関東の中心」になるはずが…

2010年5月5日16時32分

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写真大型連休初日のさいたま新都心「けやき広場」。和太鼓のイベントでにぎわった=さいたま市中央区

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 さいたま市のさいたま新都心が5日、2000年の「街びらき」から10周年を迎えた。当時の為政者は「埼玉百年の大計」としたが、現在の就業人口は計画の3分の1程度。複合ビル建設計画の見直しなど、新たな課題にも直面し、街づくりは正念場を迎えている。

 大型連休の初日。JRさいたま新都心駅東側地区の商業施設「コクーン新都心」は、家族連れやカップルでにぎわった。昼過ぎ、各レストラン前には入店を待つ行列ができ、1千台収容の駐車場は、ほぼ満車だった。

 対照的だったのが、駅西側地区。国の出先機関が入る合同庁舎周辺などは人影がまばらで、人出が目立ったのは、街びらき10年の記念行事が開かれていた「さいたまスーパーアリーナ」と、その周辺ぐらいだった。

 新都心と呼ばれる開発地区は、東京ドーム約10個分の47.4ヘクタール。日本郵政や民間企業のビル、ホテル、大型スーパーなども立ち並ぶ。

 新都心誕生のきっかけは、国が打ち出した「業務核都市」構想。1986年、東京への一極集中を緩和するため、浦和・大宮地区が首都圏の広域的な拠点の一つに選ばれた。

 89年、横浜や千葉との誘致合戦の末、同跡地への政府機関の移転が決定。91年に開発が着工され、国の約20機関が移転して2000年5月、街びらきにこぎつけた。

 当時の土屋義彦知事は「埼玉百年の大計」と位置づけた。当初の5年間は、さいたま市の誕生や政令指定都市化、コクーン開業などもあり、計画は順調に進むかのようにも見えた。

■「にぎわい創出」課題

 目算の狂いが目立ち始めたのは、06年。合同庁舎の隣の「第8―1A街区」(2.4ヘクタール)にデジタル放送用タワーを誘致しようとしたが、「東京スカイツリー」(東京都墨田区)との競争に敗れた。観光などの目玉候補を失った。

 昨年以降も、苦難が続いている。

 同街区では、オフィスや商業施設などが入る高さ186メートルの複合ビルを、三菱地所などが建てる計画だった。しかし、「オフィス需要低迷など経済状況の変化」を理由に、県や市に計画見直しを申し入れたことが表面化した。計画継続に向けた協議が続いているが、期限は7月25日。「規模縮小は避けられない」(市関係者)との見方もある。

 スーパーアリーナ内の「ジョン・レノン・ミュージアム」も、来館者減少などの理由で9月末の閉館が決定。市観光政策課は「全国に発信できる観光資源だったのに」と落胆している。後継施設は未定で「どうしたら人が呼べるかを考えたい」(県都市整備政策課)という状況だ。

 先行きが不透明な施設は、他にもある。現政権が掲げる国の出先機関の「原則廃止」が実現した場合、合同庁舎をどう活用するかという問題が浮上する。

 完成前から見物客が大勢訪れるスカイツリーとは対照的に、新都心は今も「にぎわい創出」が課題だ。県によると、街びらき前に5万7千人と計画していた就業人口は、1万9千人足らずにとどまっている。

 県内の経済シンクタンクの担当者は「民間企業が増えれば理想的だが、不況で東京都心でさえオフィス賃料が下がっている中、新都心まで来るメリットは見あたらない。商業施設もショッピングモールは県内各地にあり、にぎわいをどう生み出すかは難しい」と話している。(平林大輔)

    ◇

■さいたま新都心の歩み

1986年 浦和・大宮地区が「業務核都市」に位置づけられる

  89年 旧国鉄・大宮操車場跡地への政府機関の移転が決定

  91年 新都心開発の着工式

2000年 JRさいたま新都心駅開業(4月)、街びらき(5月)

  01年 浦和、大宮、与野の3市が合併し、さいたま市が誕生(5月)

  03年 さいたま市が政令指定都市に(4月)

  04年 「コクーン新都心」開業(9月)

  06年 デジタル放送用のタワー誘致に失敗(3月)

  09年 タワー候補跡の「第8―1A街区」で計画見直し問題が浮上(11月)

  10年 ジョン・レノン・ミュージアムの9月末での閉館が決まる(2月)

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