94歳人形にお友達 戦前に米の宣教師が寄贈 久留米・城島小 友好の青い瞳 新たに1体 [福岡県]
昭和初期、米国から日本の学校に贈られた「友情人形」。先の大戦中に敵性人形として処分され、福岡県内には3体しか残っていない。その一つが久留米市城島町の城島小にある「シュリー」。日米友好の懸け橋を担った長年の労をねぎらおうと、28日に米国から新しい人形が届く。1927年の来日時は6歳の設定だったシュリーは現在94歳。ひ孫のような“お友達”の到着を待ちわびている。
友情人形は、米国での日本人移民への排斥運動に心を痛めた宣教師のシドニー・ギューリックさんが呼び掛け、友好の証しに約1万2千体を贈呈し、日本各地で大歓迎された。日米開戦後は焼却され、全国で現存するのは300体ほど。県内はほかに、糸島市の可也小と嘉麻市の嘉穂小に残るだけだ。
城島小でも焼却の恐れがあったが、学校関係者が「人形に罪はない」と押し入れに隠して難を逃れた。53年の筑後川大水害で水びたしになっても無事だった。
米国側では、ギューリックさんの孫で大学教授のシドニー・ギューリック3世さん(79)が祖父の活動に共感。87年から、人形がなくなった学校などに新しい友情人形を贈っている。県内では北九州市若松区の医師、芳野元さん(59)が協力している。
シュリーは戦後、名前が分からなくなっていた。そこで2004年、城島小の児童たちが全国有数の酒どころにちなんで命名した。当時の校長だった牟田口達朗さん(69)が今春、シュリーに関する文章を郷土誌に発表。芳野さんが英訳を添えて送ると、ギューリック3世さんが感激し、新しい人形が贈られることになった。芳野さんが代理として届ける。
新しい人形は城島の読みから「ジーニー」と名付けられ、到着後は城島小の玄関ホールで、シュリーと並んで児童たちを見守る。
ギューリック3世さんは芳野さんにメッセージを託している。「日本人と米国人がお互いを理解し合い、善意を持つことに役立つよう、同じ任務を持った2人がこれから長い間、日本の子どもたちの友達でいることを願っている」
=2015/10/26付 西日本新聞夕刊=