志村英司
2015年10月27日16時07分
少女のころの戦争の記憶が脳裏をよぎる。目の前で起きたこと、聞いたこと。それを伝えようと、愛知県半田市の間瀬(ませ)時江さんは80歳のころから絵手紙を描き続け、300点を超えた。90歳になって人前で話すことも始めた。「あったことは知ってもらわんと」。いま、92歳。
最初に絵手紙にしたのは、女学生らが、日の丸の鉢巻きをした友人の遺体を戸板に乗せて斎場へ運ぶ姿だ。「親元を離れ食べるものも少なく 寒い暗い日」と一筆を添えた。
半田高等女学校(現・県立半田高校)を卒業し、市内の軍需工場で事務をしていた。1944年12月の東南海地震でレンガ造りの工場が壊れ、勤労動員で飛行機を組み立てていた女学生が大勢亡くなった。
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