2015-10-27

性犯罪に逢いたい

性的消費をされたことがない。

されたことがないからされたい。

自分性的消費されるような容姿じゃないから性的消費をされない。

大学警察不動産屋が合同で作った、性犯罪注意とかいうチラシを部屋を借りた時にもらった。

確かに、衣笠には性的魅力がある女が大量にいる。勉強しなくても、しても彼女たちは容姿がよくて性的魅力があるから価値がある。勉強なんてしても、勉強する性的魅力がある人間の方が価値がある。

自分勉強が出来ない人間から、なおさらだめだ。

世間は味方する。

性的魅力がない女もいる。同じ学部の同じ学年に、みにくい女がいるけど、いつもひとりぼっちだ。そして、性格も閉じこもりがちだ。ぼくは、みにくいからあの女に同情はする 哀れみはする。だけど、あんな女とセックスしたくない。

あん容姿から大学のみんなだけじゃなくて、世の中も優しくしないだろう。父親もやとわないだろう。性犯罪をするひとだけが結果論として、優しくしているかもしれない。

すくいがない。

性犯罪に逢うということは、性的魅力があることだ。

性犯罪者には捕まるリスクがある。人生をかけている。だから人生をかけるのに値する女を選ぶという道理がたつ。

みにくいひとはあわないだろう。自分はあわない。あのひどい容姿の女も性犯罪者なんかあわない人間だろうから、もしかしたら逢わなくて傷ついている可能性もある。ようしが綺麗な人間が逢ったとかい被害報告で傷ついているかもしれない。

ぼくも、そしてあのしこめもみにくいからあわない。

金で選ばれると醜い男は怒るのに、どうして容姿で選ぶのはいいの と怒る輩がいる。

それは、金はものだけど、体は自分自身からだ。自分自身が選ばれるという光栄なことに慣れきって怒るのはやめろ。

みにくい者同士がくっつけと社会はいう。それは片方 もしくは両方の醜い者が暴力だといったら醜い者は傷つく。

性犯罪に逢うような容姿に生まれたかった。金はものだ。体は自分自身だ。体がほしかった。

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