とにかく不要と思うものを削ぎ落として、シンプルにミニマムに生活することに憧れもたし、それを売りにしているブログの主と交流もしたみたけど…なんだか続かなかった。それは、はてなで一連の騒動があったくらいの時期にミニ◯リズムについて「こんな風にいわれてるけどどうなんだろう」「こういうところはどうなんだろう」という、疑問や矛盾についてぶつぶつつぶやいていたら、要らぬことをする人がいるから無視しとこう(嫌な情報は目にしなければなかったことになるから)という感じだったからなんだけど。名指しこそされないけれど、こっちが悪いことしたことになってるのだとすごくショックだったし、ネットって怖いなって思ったりもした。自分の疑問を口にしたりや矛盾点を指摘しても、それに対して理を明らかにすることもせずに「はいはい、言ってる奴は言わせとけ、ムシムシ」っていう、いじめる人と同じ行動をするんだなって。
しばらくするとそれを記事にしてて(◯◯と言われていますが〜〜なんだと思うんですよねー、というような感じで記事化してた)、ネットって色んな人がいて、不都合には「アーアーキコエナーイ」で済ませておいて、後々良いように利用する人でも、こんなに信頼されるもんなんだな、ダマされないようにしなくっちゃ、って冷静になってきた。
私がそういう経験を通して思うようになってきたことが、別の視点(ある種の人たちの本の読み方を通して教養のあり方について考えている記事)だけど書かれていたので引用。
前向きで元気で、迷わず目標に進む、立派な人ではある。典型的な田舎のヤンキー気質で、そのまま早くに成熟して、でもまだ若さを楽しんでいる。有能な人、といっていいと思う。 でもこの人、その迷わないところが、マイナスに働くことが多々ある。現在がその状態で、大変な状況から抜け出せないでいる。それでも力があるから無理ができているけれど、やはり傍でみていると怖い。ストレスなどで、いつか身体を壊すのではないか。 こういう人は、昔から何人も出会ってきた。 共通するのは、自己啓発本や、「スヌーピーの名言集」みたいな本が好きなところ。 別にそれでも全然かまわない。個人の自由で、納得したり心に刻めば、それでいいとは思う。しかしこの種の本は(特に自分で選び買う人は)、おおむね8割以上は、自身の補強にしかなっていない、ように見える。世界観を広げるというよりも、自説と信条を強めるための読書体験、なのではないか。 そして、彼ら彼女らは、世界観が狭い。そういうときつい言い方になるが、要は好みがはっきりしているのだ。自分が苦手なもの、興味の無いものは「自分はそういうの駄目なタイプなので」と、手に取らないし目を通さない。自分のモノサシをしっかり持っている、と言ってもいいかもしれない。 世界観が狭いと、悩まない。悩む余地がない。 つまり誰かが「それは、こういう見方もあるよ」と助言しても、自身がそう見えないのならば、その案は検討しない。「自分にはそうは考えられない」と、明確に拒絶する。 強さともいえるが、困った事態に直面した際に、悩む能力に欠けていると(その際、本人は悩んでいると思っていたとしても)、運が悪いと決定的な悲劇に陥る。
教養と羊羹 - t_kato:Diary
悩むことって案外大事なことで、そうそう邪険にするもんではないし、悩まなくて済んでいるというのは知らず知らずのうちに崖っぷちに近づいているのかもしれない。悩まないでいいから時短。使うものを少なくするから低コスト。時短と低コストってそんなに絶対的なのかな…。悩みに悩んだ末に厳選しているならその悩んで試行錯誤して迷っている過程がフィーチャーされてもいいけど…だいたいは「こんなに悩まないで済んでるから他のこれができた、幸せになった」話ばっかりが巷に溢れてるから、本当に怖いなって思う。そりゃ、悩みすぎは良くないけれど、悩まなすぎだって同じだと思う。
僕達は、役に立つ情報とそうでない情報を正確に見分けることができない。少なくとも書籍については、間違いなくそうだ。だとしたら、ある程度は「好きな本」を、そしてたまには意識して少しだけ自らの好みから外れたものを選ぶことが、バランスの取れた個人的情報資産管理といえるのではないだろうか。家計を分散して運用するように、美味しくない付け合わせが料理に必要とされるように、脳に放り込む情報もまた、多様性が必要なのだ。はじめは無理かもしれない、でもこれは意識して訓練のように続けると、きちんと可能になる種類の物事だと思う。 ものを知らなければ、悩むことさえもできなくなってしまう。 教養はそのための力だ。これは幸せかどうかという話ではない。ただ、死ぬまで好きな物語だけを摂取して元気に生きられるほど、世界は優しくないと、僕は自らの人生で学んだ。
教養と羊羹 - t_kato:Diary
「少なくすれば悩まなくて済む」というのは、自分が悩まなくてもいいほど情報を正確に見分けられている、という場合に限る話。その自信がある人はそうやって生きていけばいいと思う。でも、そういう人がどれくらいいるんだろう。
少なくとも私はそうじゃないから、多少きつくても、迷ったり悩んだりして修正しながら、自分の好きなモノや落ち着くモノを探していく過程そのものの生活を表現したいなって思う。たぶん、ムダなものも手に入れたりするだろうし、話はとっちらかるだろうし、なんだかモノとムダに溢れてて変哲もないと思う。シンプルとも程遠い。合理的でもない。幸せになれるとか、自分の可能性が広がるとか、少数だけど人との深い繋がりができて仲間が増えるとか、楽に生きられるとか…そういうポジティブなことはなんにも言えないけれど、そういう地味でごちゃごちゃっとしてて、しんどいのが人生だけど、それでもとりあえず生きてるし、振り返れば「それなりに、ま、いいか」と思えるくらいにやってるよ、というのが言えたら御の字。
こーゆーのってなんていうジャンルなんだろう?わかんないや。けど、あのキラキラにはなれないしなりたくないのが今の気持ち。あー、しんどい。