エンジェル・ハートがドラマ化されて日テレから放送されているらしい。先天性心疾患を持つ者として、エンジェル・ハートは好きになれない。
前作のシティ・ハンターは、ほぼ全部原作を読んだのだが、エンジェル・ハートの原作は、心臓移植の話が出てきた途端に、生理的嫌悪感で読めなくなった。
何が気持ち悪いかって、移植された心臓を通じて、故人の気持ちがレシピエント(移植された臓器を受け取った人)に伝わってきたりする描写がそこかしこにあること。そんなこと、あるわけないじゃない。
移植された臓器を通じて故人の気持ちが伝わるという設定なら、なぜ、心臓なわけ?腎臓や肝臓でも良かったのでは?
その辺りを考えると、結局、医学的には否定されていても、心臓という臓器に「心」が宿っている…と少しは思っているからこそ、心臓を移植されたという設定にしたのだろうと事が透けて見える。
それが、気に食わない。
移植された心臓を通じて気持ちが伝わるような描写をテレビで広く放送されてしまうと、「心臓には心が宿っている」という大衆の幻想を強化することになる。すると、心臓に障害を持って生まれた人間は、心にも障害があるのだろう、と思う人がチラホラ出てくる。あるいは、移植された臓器を持つ人間が、ドナーの気持ちに背くような行為をしたら、苦しんで当然だ、と思う人がチラホラ出てくる。
結果的に、心臓病患者や臓器移植のレシピエント全体がとばっちりを食うのですよ。ただでさえ、臓器の疾患は、自分から離さなければ他人にはわからないことが多い。だから、病気を職場に隠して普通に会社員として生活している人も大勢いる。ああいう、心臓病患者を悲劇の主人公にするような話が放映されると、患者の側は、「医学の知識の乏しい職場の人間にどう思われるかわからない、話したら、『こいつは自分が悲劇の主人公であると思ってもらいたくて、ゴマをすっているのだろうか』と思われて、自分の仕事の評価に影響するかもしれない。とりあえず、何かあるまでは隠し続けよう」となる。
正直、大変やりにくい。あの話を作っている作者やドラマの製作者は、心臓病患者を食い物にして、儲けているのですよ。
他にも、エンジェル・ハートは、移植の観点からも本当に悪影響。日本で心臓移植を合法的に出来るようにするまでは本当に大変だったと聞く。心臓は、他の臓器と違って脳死の状態じゃないと移植出来ないから、日本で臓器移植法が出来るときに、心臓移植を必要とする患者は「人の命を奪ってまで生きたいのか、この命泥棒」ぐらいの事を大衆から言われ、批判されてきた。「日本人の死生観は脳死ではなく心臓死、心臓が生きている間は日本では人は行きている、だから日本では心臓移植は出来ない」、みたいな論が真顔で流され、昔の心臓移植を必要とする子は、アメリカまで行かないといけなかった。そんな中で、ようやく日本でも心臓移植が出来るようになった。
にも関わらず、あんな、「心臓にはやっぱり心があります」みたいな話を放映されたんじゃぁ、話が逆戻り。ただでさえ持っている人が少ない、臓器移植のドナーカードで、心臓を移植したくない人が増えるかもしれない。そうすると、助かる命が減る。正直、エンジェル・ハートの作者も、あのドラマを作っている人も、心臓移植を必要とする子に死んで欲しいのだとしか思えない。ただでさえ、ドラマやお話の中の「心臓病」は、登場人物を悲劇的に殺して話から退場させる手段として使われてきた。心臓病患者は、そういう悲劇的な話を大衆に売って儲けようとする作家やテレビ局のダシ・食い物にされてきた。