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近年の日本国債をめぐる危機的状況を伝え、国債価格暴落のタイミングを2019年と予測したことで話題となっているリアルノベル『日本国債暴落』。今回は同書の冒頭部分を無料公開する第2回となる。第1回と併せてお読みいただきたい。

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 山城達也は、千葉県柏市の郊外住宅で育った。小さい頃はサッカーに明け暮れ、中学に上がるとき、柏レイソルのユースチームに所属したこともあった。山城の父親は、総合商社に勤めており、息子にモノの価値が国、地域によって異なり、それを利用して利鞘を稼げることをたびたび説いていた。そんな父の影響もあってか、物心つく頃から、いつか自分も世界を股にかけてビジネスを展開したいと漠然と考えていた。

 東京大学経済学部に通う大学3年時の夏季休暇中、入学当初から友人関係であった斉藤剛(つよし)の勧めもあって、投資銀行のサマーインターンシップに応募した。斉藤は経済学部きっての秀才で、アメフト部のキャプテンを務めていた。斉藤は、物事のあらゆる事象を理解したいという強い好奇心、桁外れの吸収力、そして高い記憶力を持ち合わせており、山城は同学年ながら斉藤に敬意の念を抱いていた。2人は時間の多くを共有し、どんな些細なトピックでも結論が出るまで、たとえそれが深夜になろうとも議論し合った。斉藤は、将来金融機関で、もっと正確に言えば、投資銀行で世界を変えたいと思っていた。

 ある日、「山城、金融の役割は何だと思う?」斉藤は唐突に聞いた。
「何だろうな。究極的には産業界の資金調達を手助けすることかな」
「おれもそう思う。例えば、銀行が事業者の助けとなって資金を貸し付けたり、事業者自ら債券や株式を発行することを仲立ちしたりとかな」
「一体何が言いたいんだよ」
山城が顔をしかめた。

 「結局金融市場が発展すると、産業界の資金調達手段が幅広くかつ複雑になってくる。それをサポートする人間にも、相応に知識やスキルが求められるだろ。そうなると就職先は投資銀行しかないと思ってな」
「それだったら日本の銀行でもいいじゃないか」
「おまえは馬鹿だな。よく考えてみろよ。年功序列制度、そしてジェネラリストになることを求めるがゆえの専門性の欠如。日本の金融機関は組織構造的に無理なんだよ。日本の銀行で海外と同じことをやろうとしたら、60歳になっちまう。それが投資銀行だったらできる。1つの部門を決めて専門性を習得し、実力さえあれば、若い頃から重要な案件に関われる。そして何より日本支店で仕事をするわけだから、日本の産業界を大きく変えられるんだ。投資銀行以外に勤める先はない」

 しかし、サマーインターンシップに合格したのは、斉藤ではなく、山城だった。斉藤は経済学の造詣が深く、熱意もあるが、営利感覚が欠けており、急激な変化に弱いことが業界に向いていないと面接官から遠回しに宣告された。斉藤の落胆は想像を超え、暫く2人の関係は途絶えた。

 山城は、クリムゾン・マイヤーズの債券部のインターンシップ生として働くことになった。そこで山城は雑用係だった。勤務時間のほとんどを、書類のコピー取りと簡単な事務作業に費やした。山城はあまりに退屈な作業に失望したが、目にしたものすべてに衝撃を受けた。トレーディングフロアは怒声が支配し、社員1人ひとりが空気を切り裂くほど真剣な表情で働いている。山城は、ホチキス止めした大量の書類を抱えながら、その場で立ち尽くした。これが投資銀行という世界なのか。どくどくと血が噴出すような興奮に、寒くもないのに鳥肌が立った。山城をさらに惹きつけたのは、すべてのトレーダーが抜群に優秀な頭脳を持ち、金融のあらゆる分野の理論と実務に精通していたことだった。債券部の人間が、株式市場についても深い見識を持っていたし、その反対もあった。経営層は個性豊かで、ビジネスで遭遇するさまざまな事象を複雑な謎解きと捉えて、競合他社に打ち勝つべく、効率的に資金を市場で動かすためには、どのように組織を構築すべきかを常に意識しながら行動していた。

 山城は収益への追求心、そして収益を生み出すための理論を創造することへのあくなき探究心に、ひたひたと潮が満ちるような高ぶりを覚えた。年齢や地位といった表面的なものではなく、個人の力量が社内での権限に直結することも魅力的だった。人より高い給料が貰えるという短絡的なことではない、もっと感覚的な、言葉に表すことができない何かだった。投資銀行を知ったのは偶然だったが、運命だと思った。霧が晴れていくようなすっきりとした感覚を覚えた。

 しかし山城には頭を悩ませる問題があった。それは債券本部長橋爪隆の存在だった。橋爪は身長170センチ足らずだが、人を威圧するような存在感があり、ゴールド・シュタイン、スコット・ブラザーズと投資銀行の世界を渡り歩き、伝説のシニアトレーダーとして名を馳せた逸材であった。プレスの利いたスーツ、完璧に磨かれた靴を履き、髭をうっすらと生やした風貌は、映画スターを思わせるほど人を魅了したが、ゴミ箱を蹴飛ばし、損失を出したトレーダーには受話器を投げつけて怒鳴り散らし、場合によっては、「クビだ!」と大声で吠えて、本当にその場で解雇してしまう様が、山城の価値観とフィットしなかった。

 あるとき、山城が訳もわからず、ただ言われるがままにフロアを駆けずり回っていると、「おい山城!」といきなり声をかけて、「いま何で金利が急に上がったかわかるか?」と質した。山城がわかりませんと応えると、「今までのインターンシップ生の中で最低だな、頭が悪い上に、熱意までないときてる。おれのチームには向いてない」と吐き捨てた。山城は悔しさに打ち震えたが、恐怖と疎外感で何も言い返せなかった。橋爪は、クリムゾン・マイヤーズのトレーディングフロアで覇者であった。山城は投資銀行への就職を希望するようになってはいたが、橋爪のチームでは絶対に働きたくないと思った。

 神奈川県横浜市に位置する多摩田園都市は、都市開発が進み、たまプラーザ駅付近には閑静な住宅街が広がる。斉藤剛は、自宅から駅近くの公園に向かってランニングをしていた。斉藤は、最大手の都市銀行である首都中央銀行から内定を得たが、日本に支店を置くすべての投資銀行の採用試験に通らなかった。そして昨日、山城が、内定を得た欧州系投資銀行にいくか、大学院に進むか、悩んでいることを人づてに聞き、斉藤の心を乱した。夜眠りにつくと、何時間か眠っただけで、すぐに目が覚めてしまう。斉藤は、落ち着いた雰囲気の街並みを見ながら懸命に頭を整理しようとしていた。

 公園が見えてくると、無我夢中で全力疾走した。入口の柵を避けながら公園に入り、芝生の上に倒れこむように寝転んだ。息遣いが荒くなり、呼吸を整えるのに精一杯で、頭は思考停止に陥っていた。

 しばらくそのまま寝ていると、徐々に落ち着きを取り戻してきた。斉藤は目の前に広がる真っ青な空を見ながら、将来のこと、そして山城達也のことを考えていた。おれは一体何が足りなかったのだろう。おれのほうが山城の何倍も投資銀行で働くことを熱望している。そして山城よりも数字に強く、努力だってしてきた。山城を避けてきたのは、妬みではなく、ただただ悔しくて顔を合わせられなかったのだ。おれは何をしているのだろう——自分に問いかけた。

 おれは金融に向いてないのかもしれない。昔からなんとなく不安に思っていた。おれは何が何でも儲けたいという気持ちはなく、日本のために、いかに金融市場を発展させるかを考えてきた。面接でもそれがいけなかったのだろうか。首都中央銀行は大学名だけでおれを採用したのだろうか。そう考えていると、恐怖心が芽生え、心臓の鼓動がまた速くなってきた。

 いやそんなはずは断じてない! おれの才能を見出せなかった面接官がたまたま続いただけだ。斉藤は自分に言い聞かせるように心で呟いた。投資銀行は、山城の濁りのない真っ直ぐな好奇心に惹かれているだけかもしれない。ただそれは若さゆえの幼き情熱に過ぎないはずだ。山城の将来性や能力が評価されたわけではない。そうだ——、きっと知り合いの社員でもいたのだ。そう自分を納得させてみても、一向に心は晴れなかった。

 こんな負け犬の気持ちではダメだ。斉藤は、拳で芝生を思い切り叩いた。おれの才能で投資銀行をもう一度振り向かせてやる。転職という方法だってある。首都中央銀行は、投資銀行から見れば顧客に相当する。しかも内々に約束された配属は円貨資金証券部で、扱う商品は日本国債だ。市場でのシェアを考えれば、投資銀行よりも遥かに影響力は大きい。山城よりもこの世界で活躍したい—そしておれを落とした奴らを見返してやりたい。嫉妬、無念、情熱、いろいろな感情が湧きあがり、斉藤の目から大粒の涙がこぼれた。

 もしおれが市場を揺るがすような取引を執行できるようになったとき、山城はどう思うだろう。日本国債を扱うということは、住宅ローン、企業の資金調達など、日本経済の根幹とも言うべき金利を間接的に管理することになる。投資銀行とは違う形で社会に影響を与えることができる。そしてトレーディングで大きな結果を残し、山城にもう一度認めさせてやる。自分にとって、あいつは掛け替えのない友人であり、ライバルだ!

 斉藤は立ち上がり、走りだした。いつも感情の変化を頭で整理することができれば、前を向けた。肩にかけたタオルで汗を拭いながら、家路を走った。その表情にもう迷いはなかった。明日山城にはっきりと伝えよう。おれは日本の銀行で頑張るから、おまえは投資銀行で頑張れと。いつか市場で対峙するその日まで。

 

 2002年12月、この時季にしては珍しく、東京都心で雪が降り積もっていた。山城達也は、銀色に輝く結晶のような小さな粒を傘で受け止めながら、赤門をくぐり、経済学部の校舎を目指した。山城は、降り積もる雪の上を踏み歩くときのギュっ、ギュっという自分の足音が耳障りであり、周囲の雑音をすべてかき消すほどに思考を集中し、将来のことについて思いを巡らせた。米系大手の投資銀行では働きたいが、橋爪隆のような暴君がいるクリムゾン・マイヤーズでは自分には無理だ。内定を得た欧州系投資銀行に行くか、海外の大学院に進学して現地の投資銀行を目指したほうが良いのではないだろうか。この頃、欧州系投資銀行は米系投資銀行に比して、日本でビジネスを開始してから日が浅く、発展段階とは言えないまでも、市場での存在感、顧客との関係性を考えれば、断然米系のほうが勝っていた。

 山城はせっかく投資銀行にいくのであれば、日系大手の金融機関と対等に渡り合い、国籍や年齢に関係なく、実力主義がより濃く浸透する世界で戦いたいと考えていた。結論が出ないまま困り果てていると、ジーンズのポケットに入れてある携帯電話が振動した。「橋爪だが、少し時間あるか?」その声を聞いて、山城は思わず携帯電話を落としそうになった。

 「は、はい、もちろんです」
「今日飲みにいけないか?」
威圧感の中に柔らかさのある声だった。

 「はい。授業が6時までありますが、それ以降は空いています」
「そうか。メールで場所と時間を連絡する。ではあとで」

 それだけ言って、電話は切れた。一体どういうことだろうか。橋爪の感性に合わないということは、クリムゾン・マイヤーズに合わないものだと理解し、クリムゾン・マイヤーズとの縁は切れたと思っていた。優秀な友人でも紹介してほしいということなのだろうか。橋爪の「信者」となる学生は、わざわざおれを通さなくても山ほどいるはずだ。山城は、ゼミの担当教授に大学院への進学について相談に行こうという心積もりであったが、予定を取り止めることにした。

※次回は明日公開予定です。

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