【寄稿】イスラム難民助けるロマ族の人々 「布教の助けになれば」
セルビアとクロアチアの国境に近い難民キャンプで、ビリャナ・ニコリクさんは生まれたばかりの赤ん坊を両手に抱き上げた。赤ん坊は泣き声を上げていなかった。母親は難民を乗せて国境を越える混雑したバスの中で出産した。母親にも緊急に医者が必要であることは一目で分かった。そこでニコリクさんは赤十字の医師を呼びながら、赤ん坊を揺すった。
「私は震えていた」と、ロマ族でキリスト教徒のニコリクさんは話す。「赤ん坊の家族が全員、私を囲んでいた。初めて赤ん坊を抱いたような気がした。私には4人の子供がいるのに」
第2次世界大戦後で最大の難民流入問題に欧州が取り組むなか、恐怖を覚えた多くの住民は難民流入が欧州の文化に対する脅威であり、大陸のイスラム化につながりかねないとの危機感を強めている。
だがクロアチアにある小さいながらも広がりつつあるロマ族のキリスト教徒コミュニティーはこの動きを受け入れている。ニコリクさんのような信者は新たにやってきたイスラム教徒の世話をボランティアで行っている。多くのロマ族のキリスト教徒は非常に貧しいため、外国での布教活動を夢見ることもできない。だが今、自分たちに布教活動を行うべき場所が与えられたと彼らは話す。
「神が許さないものは何も起こらない。これが神の意志であるなら、受け入れなければならない」と、ニコリクさんの夫のディノさんは言う。「このような状況を通して愛情を示すことは、私たちの信心が試されているようなものだ。キリスト教徒を名乗る人がこうした人々に対する愛と奉仕の意志を持っていないとすれば、どうしてキリスト教徒になれようか」
ニコリクさん夫妻と他の信者らは、ハンガリーがセルビアとの国境を閉ざし、多数の難民がクロアチアを通過するルートに迂回し始めた9月中旬に行動に出た。それ以来、ロマ族のキリスト教徒たちは毎日、難民の世話をし、食事を与えたり、医療チームの手助けをしたり、子供たちの遊び相手になったり、祈りを捧げたりしている。
難民に対するこうした反応は彼ら自身が経験した厳しい境遇に根ざしている。ロマ族のキリスト教徒は20世紀にナチスドイツの標的となったほか、ユーゴスラビアの内戦にも耐え抜いた。今日でさえ、多くが極貧のなかで暮らし、バルカン半島全域で差別が残ったままだ。苦しんでいる難民や移民たちを見ると、自分たちのことのように思えるのだ。
ニコリクさんは1990年代後半に夫と幼い子供たちとセルビアの路上で暮らした経験を振り返る。戦争が終わって間もない頃だった。生きるために物乞いをしたという。2人の幼い子供たちは不潔で、病気になるのではないかと恐れたとニコリクさんは話す。ビンに入れた水を日光で温め、子供たちの体を洗ったという。「だから私たちは理解できる」
ニコリクさんはまた、キリスト教徒の奉仕の精神が、他の宗教の人々を改宗させる力があることを知っている。ニコリクさんと夫が無一文のままでクロアチアに戻ったとき、キリスト教徒の夫婦が食事を与えてくれたほか、教会に招き入れてくれ、身を寄せる場所を見つけるのを手助けしてくれた。
「どうして私たちを助けてくれるのか。私たちはジプシーだ。ジプシーが好きな人はいない」と聞くと、彼らはこう答えたという。キリストは奉仕するために現れた、だからキリスト教徒は彼の行動に続かなければならない、と。この言葉でニコリクさんはキリスト教徒になった。最終的に夫も改宗した。夫妻はクロアチア初のロマ族のための教会を設立し、現在は2人で牧師を務めている。
まとまった統計はないものの、ロマ族の間でキリスト教徒が増えている。特にこの5年で急増した。民族の壁を超えるところが信仰の魅力の一部でもある。
彼らは自分たちの活動によって、欧州が宗教への関心を再び高めることができればいいと願っている。ニコリクさんは「すべてを失ったイスラム教徒の人々が祈りを捧げるために敷物を取り出す姿に驚いた」と話す。「彼らが(その祈りを)キリスト教の神に捧げると決めたら――」
ユダヤ教とキリスト教というルーツを恥じ入る意識が強まり、その代わりに多文化主義を受け入れることを好んできた欧州の中で、この教会の積極的な宗教観は際立っている。だが欧州はいま、新たな難民の大量流入により、本能的な人道主義の衝動と自責の念にかられた文化保護主義との間で揺れ動いている。クロアチアのロマ族のキリスト教徒たちは、もう一つ別の道を提示している。
(筆者のジリアン・メルキオー氏は保守系雑誌『ナショナルレビュー』のライター)