例えば殺人は悪ですが、殺虫は善となっています。もちろん、細かい話をすれば、この善悪は逆転する場合もあります。戦争で敵兵を殺すのは善になり、人が飼育している昆虫を殺せば悪になります。
さらに細かい話をすると、人だろうと動物だろうと虫だろうと、殺すのは全て悪という価値観も存在します。
この時点で、善悪というのが状況によりコロコロ変わる曖昧なものだというのがお分かりいただけるかと思います。
では、善悪とは何を基準に決まるのか。一言で言ってしまえば、大衆の意見で決まるのです。わかりやすい例をあげると、犬や猫を殺すのは悪ですが、ゴキブリや蚊を殺すのは悪ではないですよね。(善と言い難いですが)これは大抵みんながそう思っている。つまり大衆の意見です。
理由は簡単で、犬や猫は人間にとって可愛らしい存在であるのに対し、ゴキブリや蚊は気持ち悪くて不快だから。
これで善悪の基準が人間である事もお分かりいただけたかと思います。
我々人間は、こうした善悪によって、食物連鎖の頂点に立って生活しているわけですが、その善悪の概念について深く考えようとする人は少ないです。それはなぜか。
理由は、この善悪を変える必要がないからです。
話を戻しますが、犬や猫を殺すのは悪ですが、実際は保健所で殺されていますよね。しかしこれを悪だと言ってこの制度を変えた人はいません。(日本では)
それは、単純に可哀想だけど増えすぎは困るという理由です。
そう、可愛らしいけど、人間の迷惑にならない範囲での話なんです。
さらに人間は牛や豚、鳥、魚などの生き物を殺して食べます。
殺すのは悪なので、我々日本人なんかは、いただきますと言って感謝をし、罪悪感を軽減しています。もちろん実際には罪悪感なんて無い人がほとんどですが、それは実際に殺しているのは業者だからであって、実感がないからです。
中にはそれに反発し、野菜ばかりを食べるベジタリアンもいますが、野菜だって植物という生き物です。動物のように動かないから罪悪感がないだけです。
さて、ここまでの話で、何を感じましたか?
そんなことわかってる。
だから何?
そう思ったのではないでしょうか。
たしかに、今さらどうという話ではありませんが、実は私が言いたいのは、この善悪の話を頭に入れた上で生きていけば、世界が広がるという事です。例えばあなたの嫌いな人。嫌いな国、嫌いな学問。
嫌いだから思考がストップして、それ以上の情報が入らないがために、損をしている事があると思うのです。歴史において、戦争で負けた国や人物は悪になっています。しかし、その悪を一旦受け入れ、見つめてみると、善もたくさんある事に気づくでしょう。
例えばナチスドイツのヒトラー。
ユダヤ人を虐殺し、第二次世界大戦を引き起こした悪魔として語り継がれていますが、彼がやった経済政策は素晴らしいです。
悪と決めつけていては一生わからないままの情報です。
あなたにとっての善悪とはなんですか?
あなたの善悪とは、どこまで通用しますか?
その善悪を一旦やわらげてみると、見えないものが見えてきます。
もし私が、東日本大震災を他人事と言ったらあなたは私を悪と思いませんか?ではあなたは全世界の災害を把握していますか?同じ日本人だから他人事が悪なんですか?同じ地球人の事でも全てを把握し、全てを悲しむのは無理ですよね。
これも大衆の意見です。
大衆がそういう空気を作るのです。
もちろん私個人は同じ日本人として東日本大震災を残念に思います。
そして世界の日本への励ましには感動しました。
だからと言って、無関心な人を責めてはいけません。善悪をやわらげないと見えてこない部分もあるのです。
あなたは大衆の善悪と、個人の善悪がぴったり合いますか?
全てに賛同、疑い、批判をして悩んで悩んで結局何を選択するのでしょうか。善悪は表裏一体です。
犯罪がなくなれば、警察などの社会正義もなくなる運命にあります。
どちらかが消えれば、もう片方も消える。
難しいですね。知能が発達した代償ですね。普通に生きるのが一番です。あっふりだしにもどった。笑