例の辛坊治郎氏(読売テレビキャスター)が報知新聞で、朝日新聞の『(社説)安保と議事録 歴史検証に堪えられぬ』について
と痛烈に批判しています。
朝日新聞だと丸わかりなのに、某紙という腰砕けな書き方が不思議なのですが。
自分の言説に自信があるならもっと堂々としたらいいと思います。
さて、批判の対象となった朝日新聞の社説は、2015年9月17日の参院安保特別委での強行採決についての議事録のことを取り上げています。
あの採決時の混乱状態の中、特別委員会の議事録は採決直後の速記録では
「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」
となっていました。
しかし、このほど参院のホームページで公開された議事録には、与党の要求により
「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」
「なお、両案について附帯(ふたい)決議を行った」
などの文言が追加されたという問題です。
参院安保特別委での強行採決、委員長が何を言ったか「聴取不能」なのに、与党が可決したと議事録に追加。
当時、私はこのことについて、
『委員長が何を言っているか聴取不能で、委員長が可決したとも言っていないのに、あとから与党が
「可決すべきものと決定した」
と書き加えたら、あの当時にさかのぼって可決したことになる、だなんて、こんなやり方許されるわけがありません。
これなら、委員会なんか開かないで、議事録だけどんどん可決した、成立したって書けばいいことになってしまいます。
安保法制=戦争法、中身も手続きもめちゃくちゃです。』
と書きました。
朝日新聞はこれに対して、
『議事録をあつかう最終権限は委員長にある。だとしても、このようなやり方が通用するなら、「なかったこと」を、事後的に「あったこと」にできることにならないか。
議事録は国会審議の公式記録だ。それなのに、この議事録を読んでも可決が「賛成多数」か「全会一致」か、付帯決議はどの会派が提出したのか、どのような内容なのかもわからない。
戦後日本の一大転換となる一幕が、歴史的検証の素材たり得ない。後の世代に対する責任放棄と言われても仕方がない。議事録はいったん白紙に戻し、記録の内容について与野党で協議し直すべきだ。』
としました。さすが、私より格調高い(笑)。
つまり、両者とも、議事録は事実をあるがままに記載しないと意味がないと主張しているわけです。
これで、5つもの議案が採決にかけられ、「可決」しただなんて言えますか?
ところが、辛坊氏は、この主張に対して
『はっきり言って、この主張はムチャクチャです。
こんなことを言いだしたら、どんな会議でも、いざ議決という段になって少数の反対派が大声を上げて議長の声を聞けなくしたら、あらゆる議案を潰すことができてしまいます。』
と批判し、
『法案に反対だからと言って、「議論が平行線をたどった時には最後は多数決で結論を出す」というプロセスを否定していたら、民主主義は成立しません。
採決を暴力で潰すことを肯定するかのような主張を堂々とする某新聞は、いったいこの国をどこに連れて行こうとしてるんでしょうか?』
と結論付けています。
朝日新聞の社説は、議事録は事実通りに書くべきで、なかったことを付け加えてはならないという当たり前のことを主張しているだけなのに、どうして暴力を肯定していることになるのでしょうか。
まさに曲解と言うべきで、辛坊氏こそ、読者や視聴者をどこに連れて行こうとしているのかと思ってしまいます。
辛坊治郎氏のデマ。都構想の敗因はシルバーデモクラシーではない。現役世代が白け投票しなかったこと。
辛坊氏は
「あの時の与野党の議席差、党議拘束によって議員の投票行動が規定される慣習などから、議案の可決は疑いようがなく、その点で委員長の権限で書き加えられた文言は、客観的に見て、参院特別委員会室で起きたことに合致しています。」
と書いています。
確かに、法案に賛成する議員数と反対する議員数を見れば、ある意味、
「議案の可決は疑いようがない」
状態でした。
しかし、そのことと、
「議案が実際に可決された」
こととは全く違います。
「委員長の権限で書き加えられた文言は、客観的に見て、参院特別委員会室で起きたことに合致しています。」
というのは、まるで事実に反します。
辛坊氏が、テレビや新聞でいつもこのような姿勢で「事実」を「報道」しているのだとしたら、その方がよほど
「慄然」
とします。
個人には自己の責任が取れないから社会があり、国がある。ね、辛坊さん。
この人は、ジャーナリストでない何か、な気がする。
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【辛坊持論】暴力で採決を潰す…某紙の社説に慄然
2015年10月25日 17時30分
先週、某全国紙の社説を読んでいて慄然としました。「こんなこと言いだしたら、代議制民主主義は崩壊する!」って。
その社説は、安保法制の参議院特別委員会の裁決に際して、「発言するもの多く、議場騒然、聴取不能」とされていた速記録に、議事録を扱う最終権限者である委員長の職権で「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」と書き加えたことについて、「なかったこと」を「あったことに」にできると厳しく批判しています。これは一部の市民グループなどが「委員会の議決は成立していない」などと抗議しているのに歩調を合わせた論ですが、はっきり言って、この主張はムチャクチャです。
こんなことを言いだしたら、どんな会議でも、いざ議決という段になって少数の反対派が大声を上げて議長の声を聞けなくしたら、あらゆる議案を潰すことができてしまいます。
今回の特別委員会での採決の際に、まず委員長を守ろうと議長席に殺到したのは確かに与党議員でしたが、その前に議場にピケを張って議事進行を暴力で妨げたのは間違いなく野党議員でしたし、覚えきれないほど長い法案の名前を記した文書を議長から奪い取ろうとするなど、議長を守らなければ暴力で採決が阻止される状況だったのは、誰が見ても明らかです。幸い一連の動きはリアルタイムで全国中継されていて、全国民がその状況を目の当たりにできる状況でしたからね。
あの時の与野党の議席差、党議拘束によって議員の投票行動が規定される慣習などから、議案の可決は疑いようがなく、その点で委員長の権限で書き加えられた文言は、客観的に見て、参院特別委員会室で起きたことに合致しています。
念のために言っておきますが、私は限定的な集団的自衛権の行使には賛成ですが、それを憲法解釈の変更だけでやろうとするのは結構「無理筋」だろうと考えています。でもね、法案に反対だからと言って、「議論が平行線をたどった時には最後は多数決で結論を出す」というプロセスを否定していたら、民主主義は成立しません。
採決を暴力で潰すことを肯定するかのような主張を堂々とする某新聞は、いったいこの国をどこに連れて行こうとしてるんでしょうか?((株)大阪綜合研究所代表・辛坊 治郎)
2015年10月17日05時00分 朝日新聞
集団的自衛権の行使を可能にする安保法制の成立から1カ月。参院特別委員会での採決のプロセスが、いかに日本の民主主義に汚点を残したか。公開された参院の議事録から、改めて見えてくる。
「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」
採決直後の速記録は、鴻池祥肇委員長が可決を宣言したとする際のさまをこう記してログイン前の続きいた。
しかし、このほど参院のホームページで公開された議事録には、鴻池氏の判断で「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯(ふたい)決議を行った」などの文言が追加されている。
野党が「与党だけで文書を作り上げたのは前代未聞」(民主党の岡田代表)として、作成過程を検証するよう参院事務総長に申し入れたのは当然だろう。
議事録をあつかう最終権限は委員長にある。だとしても、このようなやり方が通用するなら、「なかったこと」を、事後的に「あったこと」にできることにならないか。
議事録は国会審議の公式記録だ。それなのに、この議事録を読んでも可決が「賛成多数」か「全会一致」か、付帯決議はどの会派が提出したのか、どのような内容なのかもわからない。
戦後日本の一大転換となる一幕が、歴史的検証の素材たり得ない。後の世代に対する責任放棄と言われても仕方がない。議事録はいったん白紙に戻し、記録の内容について与野党で協議し直すべきだ。
問題はこれだけではない。横浜市であった地方公聴会の報告をしないまま、公聴会の翌日、委員会採決が行われた。
公聴会に対しては採決に向けた「通過儀礼」と化しているとの指摘もある。しかし本来は、利害関係者や学識経験者から意見を聴き、法案審査に生かすためにある。参院先例録は、派遣された委員が、その結果を「口頭または文書で委員会に報告する」と定めている。
公述人から「公聴会への派遣は委員45人中20人。報告がされなければ、公聴会の内容が共有されない」「公聴会が本当のセレモニーになってしまう」と抗議の声が上がっている。重く受け止める必要がある。
最後は多数決で決める。それが議会制民主主義の一面であるのはその通りだ。
だが、その根幹は異論や反論にも耳を傾け、議論をする、そのプロセスにこそある。
民主的なプロセスを軽んじる政治は、民主的に選ばれたはずの自らの基盤を弱くする。
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彼は、今は、独立しているのでしょうが、根が読売的なのでしょう。
典型的な、天上天下唯我独尊の人物でしょうか。 他人には、「自己責任」を連発し、己のことには、沈黙した例の事件を想起すれば、人物が知れます。
このような人物を報道に当らせていた会社は、その報道姿勢が疑われるのも当然でしょう。
ロシアの現代の皇帝とまで言われるプーチンを徹底的に批判し、報道の自由のために、自身の生命まで犠牲にすることを厭わなかったアンナ・ポリトコフスカヤ女史と比べるのも失礼な程の低劣極まる俗物ですね。
ポリトコフスカヤ女史の、ロシアン・ダイアリーは、どの頁を開いても、時の権力との緊張感がみなぎっていますが、辛坊氏には、そのような緊張感は、全く見られませんね。
報道の姿勢に依り、時を超えて賞賛される存在になるのか、単なる政権の贔屓筋になるのか、その報道そのものに依ることになるのでしょう。
もし、無かったとしたら今回は強行採決をより正当化したいがための無理筋なやり方ですよね。
辛抱氏自身が憲法解釈の変更による集団的自衛権容認は「無理筋」と認識しているにも関わらず何故に新安保法制の強引な成立に疑義を唱えることに対して非難するのか不可解です。
それが「無理筋」であるなら反対意見も出て来るのは当然なことであって、「無理筋」を承知で強引に成立を計ろうとするのは一種の「暴力」と言えます。
ま、「暴力」的なことでも合法の装いを被せることが出来るのが権力というものですが。
辛抱氏が政治家ではなくて真のジャーナリストならば、「この法案には無理筋なところもあり批判や反対意見もあることは充分に理解出来るが、国際情勢の必要性から今すぐに成立させることはやむを得なかったのであり今後更に安全保障の問題については国民の議論が深まっていかなければならない」とか何とか強行採決についての弁明ぐらいは口にしても良さそうなものですが、まるで強行採決した与党側の言い分そのまんまを代弁するとはね、笑うしかありません。