1995年にごみ従量制(市民がごみの排出量によって価格の違うごみ袋を購入する)が導入されてから20年が過ぎた。その間、韓国国民の意識も向上し、この制度もある程度定着したかのように見える。しかしこれは表面的なもので、その実態は今なおずさんだ。
まず何よりも市内のあちらこちらに家庭ごみが散乱しているのが実情だ。どこの地域の住宅地に行っても路地裏はもちろん、少し奥まった道に入ると何者かが放置したごみであふれかえっている。ひどいときは壊れたソファや冷蔵庫、洗濯機などがころがっているケースもある。休日になると海や山に捨てられる大量のごみで、どこも悲鳴を上げている。プラスチックやビニールが分別されずそのまま焼却されていることも深刻な問題だ。ここから排出される大量の発がん物質は最終的にどこに行くのだろうか。
結局は国民一人一人の意識が問題だ。酒やたばこには金を惜しまないのに、ごみ袋の購入にはけちなことこの上ない。そこには「今の自分とは関係ない」というゆがんだ意識が根底にある。最終的に自分自身も被害者になることさえ理解していないのだ。また個別のケースで罰金を科すこと以外にも対策はあるはずだ。今後もわれわれの子孫たちが長く生活を営むこの地球が、このまま荒廃するのを放置してはならない。誰もが自分の子供や孫のためという意識を持ち、家庭ごみの分別にもっと積極的に取り組んでほしい。