流産手術を受けてから、
私の心は、魂は、目まぐるしく変化と成長を続けている。
ポロポロとこぼれる涙。
やっぱり悲しい。お腹の中に赤ちゃんがいないのは。
でも、何か、エネルギーはまだ宿っている気がする。
まだ、お腹の中にいる。肉体はないけれども。
赤ちゃんの魂。
きっと私より、ずっと強い。
自分のことは、全く責めていない。
だって、宿った赤ちゃんのたましいが、決めたことだから。
好きで、肉体を持って生きることを選ばなかった。
私はその 意志 を尊重したい。
無理に引き留めることは、しない。
何を、私に伝えにきてくれたんだろう。
それは、言葉では表現できないくらい、
豊かで、崇高で、全霊で感じ取ること。
流産手術。。
私にとっては、それが一番の選択肢だった。
自然に赤ちゃんが出てくるのを待つこともできた。
しかし、私にはその心の準備できてなかった。
一人では、受け止められなかっただろう。
先生に、看護婦さんに、迎えにきた母親に、見送られながら、
お空に帰っていった。
私は、良かったねえ、と思った。みんなに見送ってもらったんだよ。
祝福されながら。
私は、それを望んでいた。
手術直後、
私は、「母」になった気がした。
完全な出産、終えたと思った。
産まれてきてくれて、ありがとう。
そう思った。
もしかしたら、私のお腹の中は、苦しかったかもしれない。
正直。
妊娠が分かってから、私はとても身体が重く、苦しかった。
喜び、よりも不安が大きかった。6週目でまだ心拍が確認できなかった時から、もしかしたらこうなるんじゃないかと、実は予感していた。
7週目で確認できたが、何か違和感みたいのは、正直あった。
8週目、ああ、やっぱりか、、とどこか心の中で思っていた。
それと同時に、味わったことのない、「悲しみ」が襲ってきた。
止まらない涙と嗚咽。喪失感。虚しさ。みじめさ。
人生に、こんな悲しいことがあるのか、
そう思った。
そう、それは、「一つの命の死」 だから。
お腹の中で宿った命が、死 を迎えた。
私はこれを、受け入れられなかった。
本当の意味での向き合っていく作業。
まだまだ、これからかもしれない。
私は、「普通の出産」 したお母さん達よりも、
ものすごく早いスピードで、「母」になった気がした。
子育てをして、子どもに「育てられていく」過程だけが、
「母親」になることではないと思う。
子供は、またすぐにでも宿ってほしい。
うん。
でも。
今回はきっと、これで良かったんだ。
私は、宿ってくれた魂に、
ありがとう
と これからもずっと
毎日祈ろう。