ちょっと良くないと思うんですよねぇ。
「置かれた場所で咲きなさい」?
こういうアドバイスがある程度効くのも事実なんですが、相談コーナーに寄せられるコメントなんかを見ると、もう時代が変わっていると思うんですよねぇ。
実際、「ブラック企業で毎日残業つづきで、うつ病になりかけてます」なんて人に「置かれた場所で咲きなさい」なんて言えないじゃないですか。本当に死んでしまいますよ。
「置かれた場所で咲きなさい」というのは、かなりの度合いで「恵まれた」人にしか「言ってはいけない」言葉です。弱った人、追い詰められた人にとっては、死に追いやられる可能性のある言葉です。
恵まれた者の責任逃れ
少しうがった言い方をすると、これは責任逃れでもあります。
たとえば、「生活に困窮した結果、ホームレスになってしまった若者」に、「置かれた場所で咲きなさい」と言ったって、彼・彼女は多分救われないですよね。ちゃんと社会としてすくい上げないと、路上からの脱出もままならないでしょう。
無論、本書がそうというわけではないのですが、この言葉は、そういう文脈でも読めてしまうということです。
自分で納得して「置かれた場所で私は咲こうと思う」と決意するだけなら無害なんです。が、ひとたび他人に対して「置かれた場所で咲きなさい」と偉そうに説教するようになると、大きな害をもたらします。ブラック企業の上司とか好きそうじゃないですか、この言葉。
置かれた場所からさっさと逃げろ。
というわけで、ぼくは真逆のメッセージを伝えたいのです。
置かれた場所が嫌で危険なら、あなたと周りの人のためにも、さっさと逃げ出すべきです。「置かれた」という受け身表現を使っている時点で、あなたは人生の当事者にはなれません。
「置かれた」ではなく、「自分で自分の身を置いた」という能動的な表現を使うべきです。ぼくはここ高知県に、自分の身を置きました。東京は「置かれた」場所だったので、やっぱり面白くなかったんですよね。
とまぁ、本書を敵視しているわけではないのですが、ちょっと怖いメッセージだと思ったので、ウェブの世界に補足を残しておきました。
いいんですよ、「置かれた」場所で咲かなくて。あなたが咲き誇れる場所は、別の場所にもありますから。自分で選択して、いい花を咲かせてください。