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田中尭皓のブログ

あなたの役にたつ情報を提供するブログです。書いてほしいテーマがあれば教えてください。

意識を科学の研究対象にすることはできるのか

こんにちは、田中です。

意識って、科学で研究できるんでしょうか。

疑問に思ったので、考えてみます。

 

考えられる1つの前提

科学って客観的に考えますよね。

でも意識って、主観的なものですよね。

例えば、私が悲しい気分を持つとき、その悲しみの感情は私の心の中で生じるものなので、主観的なものです。

 

もしそうなら、自分の意識を知ることができるだけ、他人の意識を考えることはできない。

意識が客観的なものではないとすると、科学で意識を研究することなんてできないのではないか、という気がしてきます。

 

つまり、科学で意識を研究するときには、次のようなことになるかもしれません。

1.科学は客観的でないといけない。

2.意識は主観的なものである

3.したがって、意識を科学的に研究することは不可能である。

 

よりわかりやすく言うと、次のようになります。

1.科学的な研究が可能なのは、客観的に観察可能な現象だけである。

2.私たちが持つ普通の意識は客観的に観察することは不可能だ。

3.したがって、普通の意識を科学で研究することは不可能だ。

 

要は、科学は客観的なものなのに、意識は主観的なものだから、科学では研究できないよね、ということです。

 

例えば、朝起きて、寒くて不機嫌になったとします。

不機嫌な気分であることは、本人の主観的なものです。

本人が、寒さの感情を持っていることは、主観的なことです。

 

見た目とかである程度推測はできる

普通は、本人が意識をもっていたり、どんな気持ちであるか、ということは、その人の顔とか雰囲気を見ていればわかる、と考えますよね。

歯をガチガチさせていたら、「寒いの?」と彼に言うことができます。

 

その人の表情とか動きとか雰囲気を観察することで、その人に意識があることはわかりますよね。

目を動かしてしゃべってるし、彼は意識を持ってだろう、と推測できます。

 

これって、客観的に意識があるかどうかを確かめることができる、というかもしれません。

表情とか動きとかを観察することによって、ある程度客観的に意識を研究できるような気もちょっとします。

 

人間そっくりのロボットがいたら

しかし、人間そっくりのロボットがいたら、そのロボットが本当に意識をもっているのか、ちょっと分からなくなりますね。

なぜなら、見た目とか表情は、全部プログラミングされているだけ、自動的に動いているだけ、という可能性があるからです。

 

例えば、ロボットが怒ったり悲しんでいるような顔をしていたとしても、それは単にプログラミングされてそのように自動的に動いているだけかもしれないからです。

ロボットは何の意識持ってないけど、あたかも意識があるように動いているだけかもしれません。

 

だから、そう考えると、単にその人の振る舞いとか表情だけでは、本当に意識があるか分からないです。

また、意識があるのか確かめようがないです。

 

見た目とかで、意識があるかどうかを確かめることが難しいならば、客観的に意識があるかどうかを知ることは、非常に難しいように思われます。

なぜなら、振る舞いとかではわからないけど、本人は哀しみとか喜びといった意識をもっているかもしれないからです。

 

というわけで、意識を客観的に研究することは、難しそうな気がします。

 

そもそも、定義できるのかわからない

そもそも意識というのを定義することが、すごく難しいです。

「意識」という言葉で何を指すのか、何を指すと定義するのか、それがよくわからない。

 

「自分の独特のこの感じ」とか「いや、オレは確かに意識があるんだよ」と言うしかないんですよね。

 

意識を他のものと対応させることができるか

ポイントとなるのは、意識を何か他のものと対応させることができるかどうか、かもしれません。

意識を客観的に研究するとして、何を基準にするのか。

何を手がかりにして、意識を考えるか。

それが何らかのパターンなのか、基準なのか

それが決まらないと、客観的に意識を考えることはできないと思います。