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【芸能・社会】

熊倉一雄さん死去 「名探偵ポワロ」「ひょうたん島」

2015年10月17日 紙面から

亡くなった熊倉一雄さん=2007年2月、東京都渋谷区で

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 喜劇俳優、演出家で、ドラマ「名探偵ポワロ」の吹き替えなどでも知られた熊倉一雄(くまくら・かずお)さんが12日午後3時24分、直腸がんのため東京都港区の病院で死去した。88歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族で行う。12月1日午後2時から東京都渋谷区東3の18の3、恵比寿・エコー劇場でお別れ会を開く。

 学生時代に芝居を志し、1956年に劇団テアトル・エコーに参加。喜劇を中心に舞台に取り組み、代表も務めた。

 「サンシャイン・ボーイズ」など米作家ニール・サイモンさんの作品を日本に紹介。放送作家だった井上ひさしさんに劇作を依頼した「日本人のへそ」や「11ぴきのネコ」「表裏源内蛙合戦」などに出演、演出も手掛けた。

 声優の草分け的存在でもあり、海外テレビシリーズ「ヒッチコック劇場」のアルフレド・ヒチコック監督や「名探偵ポワロ」のポワロの吹き替えのほか、人形劇「ひょっこりひょうたん島」の海賊トラヒゲ役を担当。アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌でも知られた。

 91年に紫綬褒章、98年に勲四等旭日小綬章を受章した。

 ▽劇作家・演出家永井愛さん 「97年、作・演出を手掛けた劇団テアトル・エコーの公演『ら抜きの殺意』で、熊倉一雄さんに出演していただきました。当時若者の間で流行していた『コギャル語』を使いたがる社長の役でしたが、浮くことはありませんでした。古くさい因習にとらわれず、おしゃれで軽やかでいようとする志のまま演じられる、喜劇役者にふさわしい人柄でした」

◆井上ひさしさんと二人三脚

 <悼む> 5年前、恵比寿にある劇団でインタビューしたのが、つい昨日のことのように思い出される。井上ひさしさんの戯曲デビュー作「日本人のへそ」を38年ぶりに上演するのを前に、初演当時の思い出などを語っていただいた。

 そもそも井上さんを演劇の世界に導いた、というより引っ張り込んだのが熊倉さんだった。NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」などで井上作品に参加していた熊倉さんが、奇想天外でギャグ満載の井上脚本にほれ込んだ。

 「ある日スタジオに来た井上さんを、エレベーターの中でとっ捕まえて、頼んだんです」。井上さんは「書いてみましょう」と即答。が、書き上がるまでに約2年を要した。

 初演は大成功で、井上さんも公演の後半には毎日劇場へやってきて下足番をしていたという。奇抜な内容から劇団員の中には上演に反対する者もいて、熊倉さんは役を稽古しながら演出家としても奮闘した。

 「6本を書き下ろしてくださったんですが、その後はテアトル・エコーの井上さんじゃなく、日本の井上さんになった」と半分うれしそうだった。ご高齢だったが、声の調子は子どもの頃「ひょっこりひょうたん島」で聞いた海賊トラヒゲそのもので、何だか不思議な気持ちになった。

 「日本人のへそ」は、公演前に井上さんが亡くなり、追悼公演になってしまったが、「私の目の黒いうちに」と言っていた熊倉さんにとっては大きな荷物を下ろした気分だったのではないだろうか。ご冥福をお祈りします。  (本庄雅之)

 

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