この世の中がモノでできているとしたら、私たちもこの世の中にいるのでモノです。そして、私たちは自由ではありません。なぜなら、モノは物理法則に従っているからです。
では、本当に「この世の中はモノでできている」のでしょうか?
「モノそのもの」は見られない
私たちは「モノそのもの」を見たり、聞いたりすることはできません。私たちが見てるのはあくまでもモノが反射した電磁波で、聞いてるのは空気の波です。同様に、私たちは「私そのもの」も見たり、聞いたりできません。
時間や空間は見られる
私たちは「そのもの」の世界と「反射した」世界に住んでいるということができます。私たちが見られるのは「反射した」世界です。なぜなら、私たちは「そのもの」を見ることができないからです。「そのもの」の世界には時間も空間もありません。なぜなら私たちは時間や空間を見られるからです。
私たちは自由だ
「そのもの」の世界は時間も空間もないので、「私そのもの」は完全に自由です。そのことによって、「私」は自由な意志を持つと言うことができるのです。
私たちには価値がある
私たちは自由です。自由であるということは不思議で、素晴らしいことです。ですから、私たちはみんな価値があるのです。だから、「生きる意味はあるの?」と聞かれたら、「私たちは自由だ。自由は意味あることだ。だから、私たちが生きる意味はある」と答えればよいのです。
と、ここまでは厳密さよりわかりやすさを優先した(けど、それでもわかりにくい……)ので、興味ある方はもっと厳密なカントの自由論について調べてみてください。
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