読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Hiikichi's diary 現代社会怪説BLOG 

政治、社会、文化、スポーツ等々を怪説します。「解説」ではなく「怪説」です。

知識の為の知識は無意味

雑記 色々

論語読みの論語知らず」ということわざがあります。

このことわざは知っていたのですが、新渡戸稲造の名著「武士道」の第二章にも引用されています。

もう一つのBLOGで、360年代のローマ皇帝ユリアヌスについて書いているのですが、ユリアヌスの妻ヘレナの年齢について詮索が過ぎたようです。

それは当然、お詫び文章を書いて訂正する事になるのですが、正に、「論語読みの論語知らず」状態に陥りました。ローマ関連書の中で、その時代の一番詳しい書物と云われる書に書いてない情報を、信用置けないような小説文章に求めて墓穴を掘りました。

史書と小説とは別物って、自分でいつもそのように云っておきながら、史書にない情報を小説に求めてしまう?知らずとも良い情報=この情報は分かりません、で済む事を、わざわざ空想物語に求めて知ろうとする。

史家が分からないとしている情報を、此方が分かる筈もないのに・・・いつもながら、自分で自分に呆れます。

 

少ししか読まぬ者は少し衒学くさく、多く読む者はそれだけより衒学くさくなる。両者ともども不愉快なものである」という、(1700年代の我が国の思想家)三浦梅園の言葉も、武士道の二章に引用されています。

一冊の信用置ける本を熟読する方が、雑書を数多く浅く読むよりまだマシだと、身に染みましてござる。そして、知識の為の知識は何にもならない。知識は知恵として生かしてこそ知識になるのだと、改めて思い直しました。

歴史BLOGも当BLOGも、知識の披露の場ではなく、歴史や政治、学びや、愛に興味を持って頂く為のお手伝いだった筈。それには、此方が何をどう知っているという事は何も関係ないことなので、ほんと反省しよう。知らない情報は、知らない、分からないと書くべきだと、つくづく思わされました。