乗京真知、上海=金順姫
2015年10月26日10時21分
中国で「スパイ行為」に関わったとみなされて日本人が相次いで拘束された事件は、発覚から1カ月近くがたった。拘束状態にある男女4人は、中国をたびたび訪れ、独自の人脈を広げてきた。一部は日本の情報機関と以前に接触があったとの指摘もある。異例の長期拘束の背景には、外国人の活動に神経をとがらせる中国当局の姿勢が浮かぶ。
日中関係筋によると、浙江省南●(なんき、●は「鹿」の下に「几」、ただし广のタレが几にかかる)列島で5月に拘束された愛知県の男性(51)は、軍施設周辺で写真を撮っていたことが、スパイ行為とみなされた模様だ。
男性を知る関係者らによると、男性は大学卒業後、地元の不動産仲介会社の営業職に就いた。30代で起業し、保険業や警備業など10を超える肩書を名乗った。
2000年代には商売の軸足を中国に広げた。「北京の一流大学と組んで、日本企業に中国の技術者を派遣する事業を手がけた。今度は会社を起こしたい」と知人に出資を求めたこともあった。しかし、08年のリーマン・ショックなどで事業は頓挫。その後の男性の近況を知る人は少ない。
中朝国境地帯にある遼寧省丹東で同じ5月に拘束されたのは、神奈川県の男性(55)とみられている。男性を知る関係者によると、在日朝鮮人の父と日本人の母と一緒に、1960年代の帰還事業で北朝鮮に渡った。食糧不足が深刻だった90年代後半に脱北。中国に3年間潜伏後、2001年に日本に戻り、日本国籍を取った。「(北朝鮮では)トウモロコシの粉をお湯に溶いたスープを1日1回食べたらいいほうだった」と語っていたという。
来日当初はパチンコ景品交換所で働いた。「中国で商売したい」と語り、広州で朝鮮料理店を開いたこともあった。中朝国境を行き来する人と接触して情報を集めたり、脱北者関連でテレビ局の取材に協力したりすることもあったという。
6月には、東京都内の日本語学校幹部の50代の女性が上海で消息を絶った。中国出身で日本国籍を取った女性は、留学生を世話してきた。月1回ほど中国の仲介業者を訪ね、留学希望者を募った。日中友好団体の幹部らとも交流があったという。学校関係者は「学生の夢をかなえるために貢献してきた彼女が、なぜ拘束されたのか」と嘆いた。
北京でも6月、北海道の60代の男性が拘束された。大手航空会社に勤めていた男性は、組合活動や選挙支援を通じて国会議員らと知り合った。中国に人脈を築き、退職後は企業の顧問役として、漢方薬の輸入や中国人観光客の誘致などで月1、2度は訪中。「中国に進出したい多くの企業が(男性の)人脈を頼っていた」と関係者は語る。今回の渡航直前、知人に「商談で1週間ほど行ってきます」と告げて出国。帰国予定日前後に、関係先に「2、3日帰りが遅れる」と電話してきたが、その後音信が途絶えた。
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朝日新聞国際報道部
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