柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。。このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。 |
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備 考 |
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/19 05:20 UTC 版)
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)は、正岡子規の俳句。生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている[1] 。初出は『海南新聞』1895年11月8日号。
- ^ 夏井いつき選 「子規二十四句」『正岡子規』 河出書房新社<KAWADE道の手帖>、2010年、21頁
- ^ ただし初出の『海南新聞』1895年11月8日号では前書きは「茶店に憩ひて」となっている。「病余漫吟」では「法隆寺茶店にて」。「病床六尺」では上五が「柿食へば」。『寒山落木』『獺祭書屋俳句帖抄上巻』では前書き・表記とも掲出したものに同じ。(宮坂、129頁)
- ^ a b c 宮坂、129頁
- ^ a b 正岡(1985)、174-175頁
- ^ 坪内、121-122頁
- ^ 正岡(1985)、167頁
- ^ 坪内、122-123頁
- ^ 宮坂、130頁
- ^ 和田悟朗 「子規と法隆寺」「岳」1987年7月号(宮坂、131頁より)
- ^ 坪内、122頁
- ^ a b 坪内、124頁
- ^ 正岡(1958)、176頁
- 1 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺とは
- 2 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺の概要
- 3 参考文献
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