アニメーションをリアルに作れば作るほど、作業は膨大になる。
いろんなディテールも付け加えなアカン。
けど、出来上がったモノは実写に近づいてしまい、作り手がいったいナニを作りたかったのか、それは実写ではできなかったのか?という疑念が出てくる。
先生の言ったことや教科書に書いてあることをそのままなぞるのは、アニメ制作者が実写に近づける作業と同じや。
そうではなくて、リアルの現実でも要らんと思ったモノはごっそり削ってしまい、自分が主張したいモノだけをデフォルメして伝えるのが、本当のアニメーションの作り方。
印象派もそういう考え方で絵を描き始めたんやろ。
写真機がなかった頃は、できるだけ写実的に表現することが必要やったんやろけど、写真機ができたら、写実的な絵を描く意味がなくなった。
映画やテレビ、さらには3D技術が発達してきて、やはり写実的な絵を描く意味ってどんどんなくなってきとるよなあ。
歌とかダンスとかも同じで、自分はこの曲をこう受け取り、こう表現するという主張があって然るべきやねん。
先生の言ったことや教科書に書いてあることの次のステージとして。
そういえばマンガだって、実は日本人は絵巻物として、中世くらいからマンガを描き続けてきたともいえる。(高畑勲が、「12世紀のアニメーション」という本を出しとった)
あまりにもマンガが当然のようにありふれているので、どうして人間はマンガを描き始めたのか?という起源を考える人間はおらんやろ。
もっと以前までいけば、アルタミラの洞窟の壁画くらいまで行き着く。
人間は写実を持ってなかったから、絵で真実を伝えようとした。
そう考えると、真実でない創作を、絵を多用して描き始めたのが絵巻物なんかなあ。
とにかく、
"自分はこの曲をこう受け取り、こう表現するという主張"
ができてようやく、芸能人としての一歩を踏み出したと言っていい。
ゆかるん、田野、さややあたりからはその気概を感じる。
伊達娘からはまだ気概を感じん。
なぁちゃんも、どうも先生が言ったものとか誰かのパフォーマンスを完成形としてイメージしとるフシを感じる。
みきちゃんは、そのへんは考えずに全力でやっているように受け取る。
他の多くのメンバーは、言われているから惰性でパフォーマンスをしている。
こう言っても、ワカラン者にはワカランねんけど。
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