どうにも怒りが収まらないので、愚痴を書く。
何に怒っているかというと、ブランディングにおいて重要な要素をワイフがあまりにも軽んじていて、その結果として取り返しのつかないミスをしてしまった。それも、僕がパンに復帰するきっかけとなったマルシェへの出店時にだ。
先般ネットで公表しているように、僕はパン事業を主軸に戻そうとしている。そのため、来週からは現在のセントラルキッチンに直売所を設けるし、来年には都内に製造設備を併設した店舗の出店も決定している。
ここ数年は長期保存用パッケージのみ製造されていたグランパーニュを、「焼き立て販売」用と「長期保存」用の2つの柱として、店売りと卸によって、よりカバー範囲を広げてナショナルデパートのグランパーニュの存在を世に知らしめていこうという計画を立てて進んでいる。
そんな状況で、焼き立てパンを販売するためのテストとして、本日開催の大規模なマルシェイベントへ出店させていただいた。僕も久々のパン製造への復帰で、肩慣らしとして徹夜でパンを焼くことにした。マルシェは盛況で、直前の深夜にレシピが完成した新商品も好調に売れ、パンは昼過ぎには全て完売した。
そして、販売の成功や、新商品の好調な動き、お客様の反応を喜び、感動に浸っているときに事件は発覚した。
ワイフが、今日のマルシェイベントで販売されたグランパーニュの詰め合わせに、ブランドロゴのラベルを貼っていなかったというのだ。
僕は久々に激昂した。ワイフを怒鳴りあげた。ブランドロゴが記されていない野良商品に価値なんて無い。よくも恥をかかせてくれたな、と。
ロゴの表示は、プロダクトをブランドとしてイニシャライズし、ブランドを機能させるアクティベーションという最重要の役割を担っている。食品において、プロダクトにブランドロゴを表示しないというのは、商品の帰属を放棄し、価値を放棄し、責任を放棄したのも同じ行為。
ようは、お金をかけて設備を整え、時間をかけて研鑽し、そして寝ないで作り上げた商品を、そのへんのオバちゃんが鼻くそをほじった手で握ったおにぎりと同じレベルにまで下げてしまう、最悪な行為だ。
ロゴやパッケージがどういう役割を担っているのか、分かりやすくいうと、
これは今回新たに発売したグランパーニュのラスク。
この状態では単なるお菓子。
それが、ブランドロゴを表示したらどうなるか。
こうなります。
どこの商品なのか、誰が作っているのか、どういう歴史がある商品なのか、何を伝えようとしているブランドなのか、この商品の存在意義は何か、このブランドロゴラベルを貼ることで、全ての情報をお菓子に与えることができます。
単なる「お菓子」が「商品」になる瞬間です。
このもっとも重要な工程をワイフが省略してしまったのです。僕は怒りました。怒り狂いました。ワイフが男なら、半殺しにして川に投げ込みます。苦労して作った商品にブランドロゴを表示しないという行為は、ブランドに対する最大の侮辱です。
「食べ物なんだから美味しければいいじゃない」というスカポンタンもいると思いますが、それは大きな間違いです。と言うか逆です。間違えないでください、というかよく憶えておいてください。
僕はブランドロゴを表示するために商品を作ってるんです。
は?と思われるかもしれませんが、僕が必死で考えて、徹夜で作って、苦労して売っている、血の滲むような努力の結果に生み出されたプロダクトも、ナショナルデパートにとっては、ブランドのヒストリーを語るためのツールでしか無いのです。商品はブランドを認知浸透させるための方便でしか無いわけです。どういう事かというと、
僕は商品を売るのではなく、ブランド売っているんです。
どんなに苦労して作られ、どんなに美味しいパンでも、ブランドロゴラベルが貼っていなければ、単なるゴミでしか無いんです。焼き立てで美味しければ、そのへんのオバちゃんが焼いても良いわけです。重要なのは「誰がいつどこで」その商品を「どのような思いで」作ったのか、そこを伝えないと、まるで意味が無いんですよ。その必ず伝えないといけないことこそが「ブランド」なわけです。
徹夜なので、さすがに眠いのですが、もう、怒りがおさまらず、怒りの矛先をどこに向けようかと思って結局ブログに書いているわけですが、マルシェで買ってくださったお客様にも申し訳ないですし、本当に失礼なことをしたと思っています。
お客様は単にパンを買いに来てくださっているだけの方ばかりではありません、ナショナルデパートを、ナショナルデパートのヒストリーを共有してくださっている方、そしてブランドヒストリーを共有するツールとしてグランパーニュがあり、その他の派生商品もあるわけです。
だから期待を裏切ってはいけないのです。道の駅で売られているそのへんのオバちゃんの手作りパンじゃないんです。ナショナルデパートのパンでなければいけないんです。価値を担保し、同じ時間、同じ空気を共有した証拠として、デザインがあり、ブランドロゴラベルがあるわけです。弛まぬ努力、関係の継続によって、ブランドの新たな歴史が刻まれていくわけです。
過去には、デパートは包装紙を売っている、と言われていました。それはナショナルデパートも同じこと。だから、今回のワイフのミスを僕は許さなかったのです。