サワコの朝【飾らない、倍賞美津子の魅力】 2015.10.24


(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはベテラン女優さんです。
でも私はねこの方はもっともっとこういう…こういう感じの役をもっとやった方がいいと私は思っているんです。
もういつまでも格好いい倍賞美津子さんです。
(拍手)
(2人)おはようございます。
ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。
あら…。
あら?だ…大丈夫ですか?デビュー50周年とかなんか言われてらっしゃいますけれど関係ない?私知らなかったんですよね。
知らなかったんですか?誰も周りでなんかお祝いとかしてくれないんですか?なんにも…はい。
「大パーティーしようよ」とか。
ない。
ふふふっ!やろうか。
何が?今日?今日…あっ今日これね。
ああじゃあはちゃめちゃに今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いしますもう。
(ナレーション)今日のゲストは瞬く間に看板スターとして活躍し僅か2年で映画の世界へと進出します。
映画女優としての地位を確立したのが今村昌平監督の映画「復讐するは我にあり」。
(緒形)おらぁ!
(倍賞)あんたのためにどんだけ辛か目に遭えばよかとですか。
この映画で生々しい人間の愛憎を見事に演じ…。
その後…。
数々の映画史に残る名作で存在感を見せてきた倍賞さん。
先週スタートした話題の新ドラマ「下町ロケット」では主人公を温かく見守る母親役を演じています。
何に使ってんのか気になってたの。
あの年頃の子はいろいろあって難しいけどなんだかんだいって心配してんのよあんたのこと。
更に倍賞さんが注目を浴びているのがいまだにまだ。
(スタッフ)あははっ!今でも?今日は倍賞さんが飾ることなく生きてきた人生をサワコに語ります。
今でも記憶に残っている曲というのは何をお選びいただいてますか?あの〜「男が女を愛する時」。
いくつぐらいの時に…。
(倍賞)これはもうちょっと…「SKD」入ってちょっとたってたかなぁ。
ふ〜ん。
もうちょっと18…20歳近くだったかもしれない。
SKDのだってダンサーだったんですもんね。
そう。
ラインダンスね。
ラインダンス。
でもう女の園ですから男の人それこそ大道具さんとかあとオーケストラの人しかいないんですよ男の人。
そんな…えっプロデューサーとかなんか先生とか…。
(倍賞)ううん全然全然。
コーチとか。
コーチっていうの?何?振り付けの先生とかそういうのも全然もう先生様様ですから。
そういうのできっとたぶん年齢的に外で男の人を見たいってなったんですよね。
男の人…。
もう恋に憧れる年頃なのに。
その間はあんまり恋とかはしなかったんですか?あんましないですね。
チャンスもなくて?うん。
ちょっとぐらいはおお好きかもなんて思ったけどもう全然。
んん…。
その曲を聴くと何を思い出すとかあるんですか?こんなに愛されてたらいいなって。
ちょっと恥ずかしくてやだ…。
詞を読めば分かるんですね?そう詞がいいんです。
こんなに愛されたらね。
これだったんですね。
そうです。
もう出だし聴いてあっこんなタイトルだっていう認識なく。
訳詞を読んでそういう歌だったのねって。
(倍賞)あははっ!はあ〜。
5人の兄妹のうち何番目なんですか?ええ〜っと下から2番目です。
いちばん上に長女がいてチコちゃんがいて兄がいて私がいて弟がいます。
活発な女の子では…。
活発は活発ですすごく。
興味とかそういうものがいっぱいある人で。
好奇心がものすごく多くて。
割にまっしぐらにこう好きなところに突っ込むっていう。
そうですね。
小学校…滝野川っていう所に王子野戦病院ってあったんですよ。
でちょうど今で思うと朝鮮戦争ですよね。
その当時の兵隊さんがどんどん送られてきててでサンクスギビングとかそういう時オープンして病院が…その野戦病院が王子の。
「子供入れてくれるんだよ」って言うんですけどもう行きたくて。
私だけがそこ行って入ってるんです。
思い出があるんですよ。
じゃあお姉ちゃまも…。
誰も行ってない。
「えっそんなことあんたやってたの?」って言われたんですけど。
あははっ!だからその野戦病院に入った時も初めてホットドッグとコーラを飲んだのを覚えてるんですよ。
おお〜。
アメリカの…。
音楽も入ってきてるし。
カルチャーが突然王子病院に。
そう。
ガ〜ンと出てきたみたいな。
(倍賞)そうすごかったですね。
うん。
だから子供の時からきっとあんまつるんで歩くよりもそうやって興味のあるものに対しては自分で突進してったんでしょうねきっとね今思うと。
なるほどね。
でももともとその千恵子さんが先にSKDに入ってらした。
(倍賞)すぐ辞めちゃったんですよ。
すぐ辞めちゃったんですか。
映画の世界いっちゃったんですけど。
私は姉の舞台というかSKDを見に行ってなんてこんな華やかなキラキラした私の好きな。
子供の時にその野戦病院に入っちゃったみたいなあの…。
ホットドッグとコーラみたいな。
そう。
ああいう世界のキラキラ。
ミラーボールがぐらぐら回って。
ぐりぐり。
ぐりぐり回ってって。
あははっ!ビカビカ光って。
そういうとこが好きだった。
SKD時代の楽しい思い出とかなんかこう学んだ思い出とか…。
ああ〜でもあの…踊ってる時は楽しかったですやっぱり。
はあ〜。
タップダンスとか…。
それもやりました。
日舞もやりましたし。
日舞もやったんですか。
タップ…クラシックもやって。
でも普通のジャズダンスみたい…その当時はそういう方が好きでしたね。
ほう〜。

(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
だいぶ慣れてきたぞ。
意外とできるのね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
和食の厳選レシピが50種類選べるレンジ。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
どう?なかなかのもんだろう。
ふふっご自分でおっしゃるんですね。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」SKD時代にまあいわゆるデビュー作になる「人斬り」。
(倍賞)あっ「人斬り」。
「人斬り」って勝新太郎さん…。
(倍賞)そうなんです。
楽屋に電話かかってきて「あの〜勝新太郎です」「えっ!えっうそ!?」みたいな。
勝新太郎さんはご存じだった…。
(倍賞)うん知ってました。
それで東京プリンスですか?「東プリにいつごろ何時ごろ来てください。
ちょっとお話がありますから」。
本人から?本人から。
同級生に「これうそかも分かんないよね。
怖いから一緒に行ってよ」って友達と一緒に行ってもらって行ったら本当にいたんですよ。
本物がいた?本物がいたんですよ。
で「これを読んでごらんなさい。
この役を」って言って。
それは映画の台本だったんですね?映画の台本だったんですよ。
人斬り以蔵の話だったんですよ「人斬り」の。
でおもしろくってぜひやりたいって松竹に言って。
だって男の人がいっぱい出てるんですもんすごい人が。
あははっ!ねえそうでしょ。
出てる人が裕次郎さんとか三島由紀夫さん。
石原裕次郎さん三島由紀夫さん仲代達矢さん。
勝さん。
もうこれだけですごいじゃないですか!でもほんとにすてきなんですよ。
仲代さんが着流し着てフッと立ってる時またこれがすてきで。
だって仲代さんだっていくつ…30代ぐらいなんですか?30代後半ぐらいですか?そう…。
もう最高にみんなすごい時ですよね。
へえ〜。
誰がいちばんよかったとかあったんですか?う〜ん…。
いやそれぞれ個性がみんな違うじゃないですか。
だから…こういうこんなに広く男の人の…もうこんなに広くあるんだっていうことですよね。
あははっ!なんですか?いやいやなんか映画の内容より男をずっと観察してた感じ?
(スタッフ)あははっ!だってすてきなんですもんもう。
だってあの映画って結構エロチックな…。
勝さんとこう絡んだりする役でしょ?ええ。
もうちょっとここを抜けとか髪の毛をきちっと結ったあとまたぐちゃぐちゃにされてもうちょっと崩してみたいな。
その時怒られたり演技指導とか注意されたりっていう経験は?なんかねあんまりにも何も知らないからかえって大事にされましたね。
みんなにかわいがられて。
そういう意味ではなんにも知らないからもうあっけらかんとしてたんだと思いますよ。
じゃあ女優ってちょっとおもしろそうっていう心は芽生えたんですか?いいえ。
「いいえ」?ふふっ全然。
なんかねう〜ん…。
芝居するのが好きじゃなかったのかもしれないですねいまだにまだ。
えっいまだに?うん。
だからたぶんなんかこう聞かれるじゃないですか「どういう役をやりたいですか?」とか一回も答えられなかったですね。
ないんですもん自分の中にいまだに。
もう辞めたいなこの仕事ってずっと思ってました私。
あははっ!ずっと!?辞めなかったのは?
(倍賞)これがねちょうど結婚して少したったらいろいろ彼の方でごたごたがあって働かなきゃなんなくなっちゃったんですよね。
だからやってたんですけど。
あっじゃあ生活のために?はい。
(一同)あははっ!家庭的経済状態のために。
はい。
ふふふっ…。
母ちゃん稼ぎに行ってたみたいな感じなんですか。
うん…やっぱり。
でもその撮影に入ったりその撮影の物語の中に入ってったらそれはそれでおもしろいとは?うんやってる時はね。
ロケ行くとまず何日か前に入ってぐるぐるぐるぐる回って町の人のいろんな話を聞いて…。
すごく好きですそういうの私。
あははっ。
助監督みたいなことしてる…。
そうです好きです。
で銭湯も行くし地方の。
銭湯も入っちゃう?
(倍賞)入っちゃいます。
それは別にみんなスタッフで入りましょうとかじゃなくて?じゃなくて行っちゃいます。
また1人で行っちゃう。
そうすると方言とかがもろに…おもしろいんですその空気感とか絶対画面では出ないんですけど。
でもなんかそういうのって必要…。
ないからこそ必要なものってありますよね。
やっぱりそういう意味では女優さんを楽しんでらした。
そう…そうですねある時からそういうことになってったのかもしれないですね。
でも今でも辞められるもんなら辞めたい…。
(スタッフ)あははっ!
(妻)よいしょ。
(夫)大丈夫か?
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
洗濯槽を浅く取り出し口を広く。
奥の物まで取り出しやすい洗濯機。
はいお願いします。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
(ナレーター)かけがえのない暮らしを守るために。
パナソニックは水と太陽光といった自然エネルギーから生み出した水素を使い効率的に発電する技術の研究・開発を進めています。
自然の力を活かしたクリーンなエネルギーでつくる次の社会へもう動き始めています。
お姉様と2人とも同じ映画界にいてこのなんていうかこう…。
仕事の話とか?仕事の話とかは…。
これがしないんですよね割と。
しないんですか?兄妹になるとまったく兄妹の話。
ほう…。
そこで…。
役の話とか?しない…しません。
あえて?う〜ん。
もう…きっと私が避けてたのかもしれないし。
うん…役が違うと出る場所もスタッフも結構違うんですよね。
ああ〜そっか映画の種類が違うとねなるほどね。
同じ映画界の中でも…。
全然違うんですよねうん。
お姉さんはやっぱり「さくらさん」のイメージが強いからそこを基準に私を…違うんだけどほんとは。
そこを基準に決めてくるから大人の勝手だなってすごく思ってましたけどね。
ああ〜。
あえてその千恵子さんと…お姉さんと違うタイプを自分で選んでいくっていうことはあったんですか?
(倍賞)それもあったと思いますね。
どんどんやっぱり違う方向に行った方がいい。
やるんだったらその方がいいんじゃないかっていうんできっと行動も言葉もしゃべるインタビューとかもきっとそういうことって私の中であったと思いますね。
イメージっていうのはその作ってた人たちがお姉さんはこうだからじゃあこっちはこうしようって体格とか例えばそういうのでも決めたと思うんですよね。
そうするとそれってレッテルはられるじゃないですか。
もう一度決まるとね。
(倍賞)でもなかなか…そのうちに自分もそのレッテルはられたのに近いような行動を執ってみたりとか人間ってそういうことをするものじゃないですか。
ましてこういう仕事をしてると。
決められた名前の中でこう育っていくっていうか。
(倍賞)そういうふうに思われてるんだったらそういう態度なりしちゃおう…。
ほんとは違うのに自分の中で偽りが出てくるんですよね。
へえ〜。
決められたら決められたでちょっと不満だしね。
でも決められもそれ壊すのは自分なんですけどね。
うん。
でもいいやこっちは違うからみたいなこともあるし。
でも今村昌平監督が倍賞さんのことをこの人は天性の女優だけども天性の普通の人でもあるみたいな…。
なんか言ったって。
そんな言葉をおっしゃったって。
ほんと「復讐するは我にあり」見た時も衝撃だったけども。
でも本がおもしろかったんですよあれ。
「復讐するは我にあり」すごいおもしろかったですよ。
そうか「復讐するは我にあり」の時は…。
あれの時に初めてで。
私はどっちかっていうと社会派みたいなのがすごく多かったしそういう映画が多かったからすごく勉強したってこともありますよねそういうことを知らないことを。
社会のこととかほんとに知らなかったんですけど。
バックグラウンドが重いから。
そういうこと。
で地元行ってそういうとこでロケしてたりしたらすごい勉強になりますよね要は。
そこに生きてる人たちを演じるわけだからね。
そうなんですよね。
そういう意味ですごく今の私をこう助けてくれてるっていうか教えてもらったっていうのはありますよねいろんな映画でそういう。
いろんな監督さんに出てますから割と。
出てらっしゃいますよね。
ええ。
いちばん辛かった思い出ってあります?映画の撮影とか…まあ仕事のうえで。
そう…う〜んと暑いとこ行ったとか。
ふふふっ!どこ行ったんですか?暑いとこって。
マレーシア行った時…。
でしゃべってるとセリフがこうどっかいっちゃうんですよ暑くて。
えっ!?暑くて。
であとうんと寒いとこ行ったりとかね。
そういうとこだけほんとに覚えてるんですよね。
あとモンゴルでなんか急に雹が降ってきたらこんな大きいのがコン!痛い!と思ったらこんな雹が降ってきたりとかそういうのだけ…。
あとお弁当がなんでこんなまずかったんだろうとかね。
あははっ!そういうのだけは異常に覚えてるんですよ。
もうこんなもんどうして私が食べなきゃいけないのみたいな。
そういう時は怒る?怒る!あははっ!でも言われたんですけどね僻地女優って。
「僻地女優」!?うん。
そういうとこでなんか楽しんじゃうみたいなとこがあったからどっかで。
嫌だ嫌だと怒りながらもどっか…。
そうじゃないとできないじゃないですか仕事が。
そりゃそうですよね。
うん。
私がねこんなことを口挟むのもなんだと思うんですけれどもね倍賞さんは大人の女のラブとかエロスとかそういう…。
もう未亡人が若い男と出会った葛藤の話とかヨーロッパの女優さんなんて…。
そうでしょ。
恋愛の話いっぱいありますよね。
ご自身はどう思ってらっしゃるんですか?そういう大人の恋よりも子供との恋の方が好きなんですよこの国…。
この国は。
そうです幼いのが好きなんです。
そうなのかしら…。
えっまたおばあちゃんって。
いつも思いますねでも。
そういうのしかやってないじゃないですか私たちの年代の人っておばあちゃん…。
そうみたい。
ねえそうですよね。
恋愛とかないです。
ないですか。
やっぱり久しくないですか?ないです。
実生活でもないです。
(スタッフ)あははっ!実生活でもないですか?ないですね。
深く聞くこともないけども。
はい。
ふふっ。
今は1人で?1人です。
あっそうなんですか。
うん。
割と一匹狼っぽいとこがあって1人でぶらつくのが好きなんですよ。
1人でコンサート行ったり1人で映画行ったり。
フッと気がつくとじゃあ隣に1人で倍賞さんがいたりするんですね。
でその人と終わって「よかったすてきでしたね」ってそこでお話をして終わり。
「じゃまたどっかで会いましょう」。
見ず知らずの人と?見ず知らずの人。
同じ感動というかそういうのを受けて…。
涙が出るほど感じる時もあるじゃないですか音楽って。
そうするとボロボロ泣いちゃいますよだから。
はあ〜音楽聴いてね。
そういう時にいてほしい人といてほしくない人っていますね確かに。
かえっていない方がいいですね。
あっいない方がいい。
ふふっ。
お嬢さんもだって日本じゃないんですよね?ええ〜っと向こうで結婚して子供を2人育ててます。
でもお嬢さんはまあ10代の頃かなんかにお父さんとお母さんが離婚しちゃって思い返せば娘を絶対に私が守るみたいな…。
それもありますよね。
やっぱり離婚した時に私が親権を持ったらじゃあ学校まではきちっとやろうみたいな。
自分が稼いで…。
そう。
お金かかりますから向こうの大学いくって。
で自分でしっかりと稼がないとこれは駄目だと思って。
その時は精力的に仕事をなさったんですね。
もうバンバン仕事をして。
やって…でもう高校から行っちゃいましたからボストンの方へ行っちゃって。
それで大学もボストンの方だったから。
高校にいくんでも「私が離婚したからいくんだったらいかせない」って言ったんですよ。
そういう反抗でいくんだったら嫌だと思ったんですよね。
ある程度大きくなった時に聞いた時に反発心もあったし…。
母親から離れたいって…。
(倍賞)っていうのもあっただろうし。
やっぱりそれはあるのは当たり前だと思いますけどね。
ふ〜ん。
どういうふうに育てようっていうふうに心に決めてらしたんですか?
(倍賞)私ですか?どういうふうってないです。
ただ育てなきゃっていう感じです。
学校へいきたいんだったらいかせなきゃみたいな。
ご飯は食べさせなきゃ。
うん。
そういう…だけでしたね。
お嬢さんの前では泣くことはなかったんですか?どんなに辛かったり疲れたり…。
そういうのなかったと思いますね。
ただニューヨークから帰って来る時空港で送ってって帰る時に「じゃあね」って向こうも笑ってるんですよ。
「じゃあねママ」って。
で私もそのまま別れたんですけど後ろ向いたと同時にバア〜って泣いてましたけど。
1人で?1人で。
そしたら娘は娘でそのあとママと別れたあと部屋に…ルームに行ってすごい泣いたってあとで。
親子ともども意地っ張りなのね。
そう意地っ張りなんですようち。
2人でハグして泣けばいいのに。
それはやんないわけなのね。
「じゃあね」って。
「じゃあね」っていう感じで。
でもがんを経験されて…。
してますね50…。
50の時にもなってそのあと10年後にもう一回やってますからね。
2回やってらっしゃるんですか。
その時はもうええ〜っとお1人になって…離婚されたあと?そうです。
それ不安っていうか衝撃というか…。
1回目のがんの時はありましたね。
ええ〜っと人に泣いたりとかしなかったら…まあなんかグッと我慢してたんですねきっと自分の中で。
そしたら娘が…。
お嬢さんおいくつだったんですか?その時。
大学卒業の時だから21〜22…。
手術の日に「もうママそんなに我慢するのやめなさいよ。
泣きたかったら泣きなさい」って言われたら一気にブワ〜って泣いてそしたらハグされたんです娘に。
うん!逆ですよね普通だったら。
だからそういう逆の立場になったっていうこと…。
母と娘が。
今まではもうやっぱりお嬢さんを自分の責任で守って育てて一人前にしなきゃって…。
でその時それで手術室に行ったのをすごい覚えてます。
ふ〜ん。
娘は卒業式だったんですよ大学の。
私行けるつもりだったのに行けなくなっちゃったんですよがんで。
娘は帰ってで私は入院してたら病室でそれこそほんとに音楽が聴こえてきたんですよ。
外から?外から。
そしたらフッと開けたら娘がこっち側にカセットテープ持ってこっち側に証書を持って…。
あっカセットテープ。
でこれをかぶって。
あっアメリカのこの…。
でマントみたいなのを着てで「威風堂々」の曲をかけながら入ってきたんですよ病室に。
自分1人の…ママのための卒業式。
出られなかったからって?いやぁ…。
ほんとそれにはもう…。
で枕元にずっと退院するまで証書を置いときましたけどね置いといて。
お嬢さん粋な計らいするね。
(倍賞)ですよね。
こいつ〜!と思いました。
憎いね。
さすが私の子と思いました。
(一同)あははっ!今倍賞さんを元気にしてくれる曲はなんですか?そのエルガーのそれこそ「威風堂々」大好きです。
今でも時々めいるとうちでバン!とかけます朝。
ビュ〜ンって。
卒業式の来た時のことを思い出すしあと自分も元気になりますね。
お嬢さんの卒業式の時には「威風堂々」がかかってた?かかるんです。
高校の時もかかってました。
そういうもんなんだ。
ニューイングランドの方だからイギリスですよねあれ。
そうするとあの〜…かかってましたね。
高校の時は行ったんです卒業式。
ああ〜そう。
これ元気になるんですよ私。
なるほど。
もう曲を聴いてる間も興奮しておりました私たち。
ねえ〜なんかね…。
なんか胸張ってきちゃって。
なんかなりますよねこういうふうに元気に。
「威風堂々」って堂々としてるけどもすごくロマンチックなメロディーラインでもあるんですね。
(倍賞)そうですよね。
いいですね。
この曲で卒業式っていうのは知らなかった。
だからそれももう一回そういうのを味わいたいっていうのはすごくありましたけどね。
ああ〜。
だから1人だけの卒業式をやってくれたんだと思いますよ。
なるほどね。
でこれでこう高校の時はみんながこう講堂に入ってくるんですよね。
卒業生が。
それで男の子がなんか葉巻を持って「たばこ吸ったって怒られないよ先生」ってわざとやってみたり。
まだ卒業してないじゃない。
もう大丈夫っていうのでわざと…。
わざとやる。
へえ〜。
じゃあ女優卒業する時これ流しましょう。
それいいですね。
ここに来て佐和子さん流していただけます?いいですよ。
ふふふっ。
「おめでとう!ようやく辞められましたね」。
喜んでくださいその時は。
一緒に卒業しません?私も?あっはい。
じゃあ一緒に。
一緒にやりましょう。
その時はよろしくお願いいたします。
2015/10/24(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字][解]【飾らない、倍賞美津子の魅力】

ゲスト・倍賞美津子/女優▽映画の内容より、男を観察していた!?芸能生活50周年。いつまでも“カッコイイ女優”倍賞美津子ーーその魅力に阿川佐和子が迫ります。

詳細情報
番組内容
ゲストは女優の倍賞美津子さん。松竹歌劇団に所属していた5歳年上の姉・千恵子さんの影響で同歌劇団に入団しました。19歳でステージデビューを果たし22歳のときには勝新太郎さんに誘われ映画「人斬り」に出演。その後転機となった、今村昌平監督の映画「復讐するは我にあり」では高い演技力が評価。近年では映画のみならず、ドラマ『半沢直樹』や『下町ロケット』など話題作にも出演するなど、第一線で輝き続けられています。
番組内容2
今年で芸能活動50周年を迎えた倍賞さんは、私生活では一人娘を女手一つで育ててきました。その娘さんが21歳の時、倍賞さんは癌を患ってしまいましたが、思いもよらぬ“サプライズ”を受けたと語ります。強い絆が生んだその出来事とは!?
飾らず自然体の姿が男性だけでなく多くの女性からも支持を得る倍賞美津子さんの魅力に阿川が迫ります。
 
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
倍賞美津子(女優)
1946年、茨城県生まれ。
1965年、松竹歌劇団に入団。「東京踊り」でステージデビュー。
1967年、映画「純情二重奏」で実姉・倍賞千恵子と共演し映画デビュー。
1969年、映画「人斬り」で京都市民映画祭新人賞を受賞し、松竹に入社。
1979年、映画「復讐するは我にあり」で今村昌平監督作品の常連となる。
第22回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞
出演者2
1997年、今村監督の「うなぎ」に出演。カンヌ国際映画祭パルム・ドール、
第21回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。
2015年、TBSドラマ『下町ロケット』に出演。
 
お知らせ
倍賞美津子さんが出演する、日曜劇場『下町ロケット』は、
あす25日(日)夜9時〜第2話が放送されます。
是非、ご覧下さい!!
 
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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