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 長崎港を見下ろす小高い丘の上に立つグラバー邸は長崎市の観光名所のひとつ。だが、長崎にもうひとつのグラバー邸があったことを知る人は少ない。スコットランド出身の貿易商、トーマス・グラバーが幕末から明治初期にかけ、長崎市沖の高島で炭鉱の開発、経営に関わった時、炭鉱の近くに建てた屋敷だ。関係者の間では「グラバー別邸」と呼ばれている。

 第2次大戦後まもなく取り壊され、今は海をのぞむ跡地に看板が立つだけの静かな場所だが、最近じわりと注目を集めるようになった。きっかけは、今年7月に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして、高島の北渓井坑(ほっけいせいこう)跡が含まれたことだ。

 グラバーが開発に関わり、蒸気機関を採り入れるなど、その後の日本の近代炭坑のさきがけになった貴重な史跡だが、今は空き地の真ん中に井戸のように坑口が残るだけ。同時に世界遺産に登録された隣の端島(軍艦島)に比べると地味な存在だ。石炭採掘が終わり、1986年の閉山後は、昼間でも島はひっそりとしている。

 地元では、世界遺産登録を機に島を盛り上げようと、北渓井坑に関わりが深く、距離も300メートルしか離れていないところにあったグラバー別邸を復元して、観光の目玉にしようという動きがある。ところが、どんな建物だったのかがよく分からないという点が、ネックになっている。