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「ありがとう」なんて言わなくていい。

めっちゃ便利な世の中だ 気分で書いたどうでもいいこと 考え方を変える

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なぁ、ばあちゃん・・・

 

 2014年8月、祖母が亡くなった。大きな笑い声、クシャクシャな顔、今でも鮮明に思い出せる。あの顔は絶対忘れられない。いつも笑ってるばあちゃんがホントに大好きだった。 

 ばあちゃんのことを考えると、今でも涙腺がゆるむ。

  

 なぁ、ばあちゃん・・・相変わらず大きな声で笑ってるかい?

 

 

感情を隠す

 16年前の話。

「ばあちゃんが倒れた!」
 高校から帰宅すると、母親が玄関にいる私のところに駆け寄りながら言った。

「そうなんだ」
 母親の表情を見て、少し考えてから発したのがこの言葉だった。時間にして数秒だったと思う。

 ソワソワ?ピリピリ?なんとなく異様な雰囲気を感じて、大きくなりそうな不安な気持ちを隠した。

 あの時、私の言葉を聞いて母はどう思ったんだろう?落ち着いてることを装ってたから不自然に感じただろうな。

 

「落ち着け」
 玄関から自分の部屋に入るまでは、唇と眉間に力を入れて、自分の気持ちを落ち着かせるのが精いっぱいだった。口の左下あたりが小刻みに震えてたけど、部屋まではなんとか持ちこたえられた。 

 部屋に入ったとたん、ヒザから崩れて視界が瞬時にボヤけたのを覚えてる。腕で口をふさぎ、声が漏れないようにしてた。

 気持ちが少し落ち着いたところで病院に向かった。病室に入ると、こっちを見ながらニコニコしてる人がいる。

 

いつもどおりのクシャクシャな顔
 今度は安堵の気持ちでいっぱいになった。無言で病室を出てトイレに逃げ込み、また泣いた。

「笑ってたな、よかった 」

 

 

臆病で甘ったれ

 祖母がどういう状況なのかもわからず、勝手な想像で大泣き。 今思い出すと、感情の収集がつかなくなってたのがよくわかる。

「ばあちゃんが 倒れた」という事実が受け入れられなかったんだろうね。いつも笑ってる元気な人だったから。

 

「おばあちゃんこだった」
 気持ちが過剰に反応する原因のひとつ。おばあちゃんこは気が小さい。甘ったれで臆病、他にもたくさん弱点がある。筋金入りのヘタレ。

 

 祖母はしばらく入院することになったけど、2ヶ月くらいで退院、その後もう一度入院。2回目の入院は、わりとすぐに退院した。それからは通院だけになった。

 

「狭心症」
 祖母が入院中のある日、お見舞いの帰りに母親から祖母の病名を聞いた。狭心症という病気の名前を目の当たりにしたのは、現在までに2回。母親が教えてくれたときが一回目、2回目は今年の春。検定を受けるために買ったテキストのなかに書いてあった。

 

 

覚悟が遅かった 

 祖母は、亡くなる一週間前に体調を崩した。その日から4日間、苦しくて眠れない日を自宅で弱音ひとつ吐かずに耐えていた。

 なぜ、すぐ病院に連れて行かなかったのか?いろいろ理由はあるんだけど、ここでは書かない。祖母もそれは望んでいないはず。

  

「覚悟した方がいい」
 体調を崩して5日目。入院することになったことを電話で伝えられた。すぐに病院へ向かった。

 病室に入ると、顔を見るなり笑ってくれた。でも、いつもの笑顔とは違う。苦しさを隠そうと、無理をして笑ってくれてるのが伝わる。笑顔を解いたあと、私の目を見ながら数回大きく無言でうなずいた。

 

「あの時ばあちゃんは、何を伝えたかったんだろうか?」
 無言でうなずいていた意味、亡くなったあとに時間をかけて考えた。今はわかった気がしてる。だけど、本当の意味は一生わからない。意味を知ってる本人がもういないから。実は意味なんてないのかもしれない。

 

「ありがとね」
 祖母が俺に言った最後の言葉。

 気持ちのどこかで「治る」と思いたかった。また笑っている顔を見せてくれると信じていたかった。

「甘かった」
 翌日、病院に行くと祖母は眠っていた。点滴されていたのは、目を覚まさなくなる薬。

 祖母の娘、母が薬を投与する決断をした。苦しむ姿を見ていられないという理由。なんとなく腑に落ちない感じがした。

 

もう起きないんだな・・・

笑ってくれないんだな・・・

話せないんだな・・・ 

 声には出していないけど、棒読み。感情はどっかいっちゃった。その場に立ったまま、寝ている祖母をしばらく見ていた。

「苦しさで4日間も眠れなかったんだよな」
 寝ている祖母を見ながら、たくさんの疑問が生まれていた。それが疑問だったということも今だからわかること。そのときは違和感しかなかった。

   

 入院して3日目の深夜、ありがとうではなく「ばあちゃん、さよなら」と言った。 

 

 

言えなかった後悔

 もう感謝を伝えることは出来ない。どうしようか考えたところで無駄なこと。伝わってると思うのは自己満足でしかない。

「感謝の気持ちを忘れずに生きていく」
 残された人に出来ることはそれしかないと思えたのは、納骨したあとだった。かなりの時間引きずっていたな。

 

祖母が口癖のように言ってた言葉がある。

「人には優しくしなさい」

 

 

こんな話はどこにでもある

 祖母が亡くなってから1年と2ヶ月。今は「ありがとう」を言わなくてよかったと、心の底から思っている。

 ここまでの文章は私にとって、「こんな人もいる」という情報を書いただけのどうでもいい文章です。こんな話はありふれています。祖母の話を利用したまでです。

 家族や友人、ペット、大切な存在が亡くなるという場面を、生きているあいだに経験しない人は、ほぼいないと思います。こんな話で共感を得ようなんて思っていません。
「後悔するな」という捉え方はしないでほしい。むしろ、後悔はするべき。 

 

 

「終わらせていけない」
 祖母が亡くなってから、私が祖母から学んだことです。続けることが大事という意味ではない。

 「人には優しくしなさい」
 後悔は経験に、経験は覚悟に。祖母のうなずき。

 

 次回はこの2つの言葉について書こうと思っています。祖母の終わりは、私にとってものすごい便利なモノになりました。使わないと便利さがわからない。

 わざと反感を買うような書き方をしています。人の命をなんだと思っている?と感じた方、ごもっともです。

 ここ最近、SNSで記事をシェアをしてくれる方が増えてきました。ありがとうございます。

 もしコメントを添えてこの記事をシェアするのなら、この記事のなかに出てきた祖母と母、そこに触れるコメントだけはやめてください。反感や否定の矛先は私だけにしてください。

 

 以前の記事にも書きましたが、否定感には瞬発力があります。直感で行動するのはいいことですが、使い方を間違うと良くない結果になることもあります。

 人によって、この記事を読んだあとの反応が違うと思いますが、「私自身は冷静に書いている」ということだけお伝えしておきます。

 

 

「反感を買う」
「共感を得る」
2つの言葉の意味ってなんでしょうか?

「終わらせてはいけない」
「人には優しくしなさい」
祖母が残してくれたモノ。

 

次回、私なりの答えを書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

文章中、ハッキリしない部分がたくさんあったと思います。それものちのち。


ではではでは。